Part 02. Section Q

 神崎は総監執務室のあった司令棟四階を離れ、エレベーターで中央棟一階へと降りていた。保安セキュリティプロトコルにより、エレベーターとしての最低限の機構を備えた金属枠を除いてその全てがガラス張り。リフトに搭載された重力制御装置と、対となる『反重力』を操るリパルサーを用いて高速移動を可能に。施設面積、十六平方キロメートル――航空自衛隊千歳基地をも優に超える広さ故、徒歩での移動は現実的でない。日々職務に明け暮れる捜査員の円滑な人員輸送を支えていたのは、そのエレベーターや本部内の各所を繋ぐモノレールといった、の技術の結晶。

 リフトは一階に到着し、ドアが開いて間もなく神崎は前へと。中央棟一階、中央広場――職員、情報、何もかもが集約するその場は、彼等公安にとって欠かせない。

 ざっと見積もって今この瞬間――中央広場にいる職員は約三百名。年齢・性別問わず数は多いが、彼との大きな相違――言わずもがな年齢。外見から二十代と推定される者は一定数いるが、十代は誰一人として居ない。


「《トワイライト》」


 背後から呼ぶ声、振り返った先に立つは二十代後半の女性。茶髪の美しい容姿を持つ彼女は、情報局所属――その名をコードネーム《スウィンドラー》。年齢に見合わぬ肩書、事実上の情報局トップ。それ故『公安五大老』と称されるキーパーソンの一角だった。

「御機嫌麗しゅう、《スウィンドラー》」

「堅苦しくしなくていいのよ、どこか行くの?」

「A12ブロック――そう言えばお分かりでしょう」


 苦笑いしながら言う彼に、彼女はほんの少し同情するように表情を変えた。


「それは災難……、クオリティは最高なんだけど危ない物作る割合の方が圧倒的に多いのがネックよね」

「全くもってそうです、早急に上層部から業務改善命令を下してほしいくらいですが」

 彼の向かう先にある部署――形式上は特捜局に属しているが、一課の横に並ぶ。それ故司令部、特に上層部の意向が優先され、特捜局からの過度な要望は無視されることが多い。

「まぁ、ごく稀に良い代物を仕上げるという点が長所ですね」

 彼の腰のガンベルトに備えられた拳銃。数十年前まで米軍の制式拳銃として採用されていたことでも名高い。元来の流線的デザインは特殊改造によって失われてしまったが、得られたモノも多い。単発セミオート連発フルオートをワンタッチで切り替え、撃鉄下部に設置されたベゼルより『殺傷』から『麻痺』、『移動』など、その目的に応じてモードを変更可能に。とはいえ、モードの変更は特捜局の仕事柄多用するものの、連発よりも単発での発砲を好む――それは、彼が時折口走る言葉にも如実に現れていた。


 『困ったとき、頼れるのはハイテクの道具なんかじゃない――古き良き、セミオートの拳銃に他ならない』


 彼等はA12ブロックへと到着。自動ドアが開いた先には研究施設――無数の銃器に、白衣を着た研究員たち。奥から一人の青年が歩み寄ってくる。

「やっと来た、てっきり忘れてるものかと思ったよ」

 特殊捜査局兵器開発部門Q課――通称『Q課』の長、Mr.XXXスリー・エックス。数百名にも及ぶ研究員を率いて、公安本部の設備はさることながら銃器・車両の他、所謂『スパイ道具』の開発及び製造を行っている。

「悪いな、色々と報告があったもんで」

「そうだろうね、わざわざ大阪が君を指名する程のことだ」

「上の判断だからな、特段急ぎの任務もない以上従う他ないだろう」

 たとえ非番であろうと、呼ばれれば日本中どこでも出向く――十六歳とは思えぬ程の立ち回りに、同僚を始めとして多くの者が尊敬を抱く。


「それと《スウィンドラー》、ここに用とは珍しいことで」


 彼の言葉に間違いはない。何せ彼女は近接戦闘――特に格闘が専門という、現代において圧倒的に異端な戦闘スタイルをとっている。兵器開発・製造を主とするQ課を訪れるような用などあるはずがない――というのが、彼の考えであった。

「普段来ない場所だからね、せっかくと思って」

「いつでも歓迎ですよ、オーダーメイドも出来ますので」


 彼女は彼の言葉に頷き、研究員と共にQ課本部を歩く。


「じゃあ、早速だけど――」

「分かってる、じっとすればいいんだろ」

 慣れた手つきでスリー・エックスがホログラムを立ち上げ、彼の動きに連動して天井より伸びる機械――生体バイオスキャナー。対象の外傷からDNAの塩基配列に至るまでを直接触れることなくスキャンする医療機器の一種であり、全職員が受ける規定となっている健康診断でも用いられる。

 二十秒足らずで全身のスキャンを終え、再び動くアーム。レザーグローブを外し、右腕の袖をまくる彼の動作に応じて血液を採取したのち、検査データが複数のホログラムへ。

「まぁ、あったら困る訳だけど」

 砂嵐のように暗号化された情報の上に、公安の中枢システム『ミカエル』による解析結果――『所見なし』と。

 捜査員の検診は本来医療部が主体となって行うものの、神崎に関してはQ課が担当――本人どころかスリー・エックスでさえ大半のデータの閲覧権限はなく、上層部の中でもごく少数の者及びのみが真相を知っている。

「腕の具合は?」

「潤滑剤なら要らん」

「ちゃんと手入れしときなよ、いくら僕のとはいえ君の身体のことだ。それに――」

「何かあったら困る、だろ」

 ごく稀に右手の素肌を垣間見る機会はあるが、彼は決して左手の覆いを外そうとしない。日焼け嫌いの若者という言葉では済まされないほどに、誰にも左手――そして左腕の姿を見せず、訳すらも。

「血圧少し上がり気味なのは気になるけど、まぁ大丈夫か」

 ミカエルが作成したレポートに目を通しながら呟く。どうせ彼のことだ、ずっとうどんばっかり食ってるんだろう――と。


「――やっぱり、君もダメなのね」


 スリー・エックスの背後から響く《スウィンドラー》の声。展示品を見回っていたはずだが、いつの間にか怪訝な表情でそのホログラムを見つめ続けている。

「私も知らないんですよ――残念ですが、機密なので」

 そのデータを瞬時に公安上層部へと送信する。二人の会話は当然神崎の地獄耳に拾われているが、余計な干渉はしない。

「機密の中の機密かぁ……『機密』は情報局こっちのセリフよ」

「本人に聞いてみては?」

「それがねぇ……」

 《スウィンドラー》は神崎へと目配せをするが、即座に「機密事項です」と。本人ですら知らないのに、何故機密のままにするのか――人間にあるべき探求心はどこへ消えたのか。

「まるで七不思議ね」

 スリー・エックスは頷く。ホログラムの操作により、用いられた機材は全て収納――その終了を以て、投影も。

「ところで、何かめぼしいものはありました?」

「そうね、これとか」


 その物体を目の当たりにして、彼は後退りを。

「ちょっと、一回落ち着いてください!」

「え、これカメラじゃないの――」


 彼の静止虚しく、時すでに遅し。微かな音と共に振動し――爆発。至近距離での爆発により、文字通り吹き飛ばされる彼女。小型カメラのガワを被った、衝撃榴弾ショック・グレネード。二人が駆け寄ると、気を失っている彼女の姿と――低周波の鳴き声と共に近づく毛の塊。倒れる彼女のもとへとゆっくりと近寄り、ミャーオと鳴いている。


「あぁ、なんてことでしょう」


 スリー・エックスはその猫を抱きかかえる。彼の飼い猫であり、頻繁に専用のブースを抜け出しては危険極まりないQ課本部内をうろつきまわる。その一方で、日々の勤務により疲れる研究員たちの癒しとなっているのも事実。誰にでも懐く性格と――その活発さに、彼等の視線が向けられていた。

「気を確かに!」と《スウィンドラー》の身体を揺さぶる神崎。

「うーん……」

 なんとか意識を取り戻し、起き上がると同時に一言。

「やっぱりなんとなくそんな予感がしてた」

 神崎だけでなく、彼女もまた複数回に渡ってこのの被害を喰らったが故に、もはやジンクス。ジャケットの埃を払い、ゆっくりと立ち上がり――ふと腕時計を見て口を開く。

「そういえば、もうそろそろ仕事があったの忘れてた――そろそろ行かないとね」

「展示品は下手に触らないで頂きたいものですが、ご無事でなにより」

 無言かつ少し疲れたような表情で頷き、Q課本部を去る。


 その背中を見届ける二人――スリー・エックスが視線を移せば、神崎はそこで漠然と立ち尽くしている。彼の瞳に焼き付いていた光景、そして耳に響く微かな悲鳴――彼は、姿なき何かに取り憑かれて。

「おーい、大丈夫か?」

 彼の意識を現実へと呼び戻す。悪夢から目覚めたような息の荒さに、スリー・エックスは続けた。


「……には程遠いみたいだね」


 神崎もまた無言で頷き、深呼吸をしてポケットから取り出す。神崎からのパスで、彼の手にあったのは猫缶。

「限定生産の高級品、差し入れだぞ」

「ありがとね~」


 猫の鳴き声に混じって、穏やかなスリー・エックスの声が、歩み去る彼の背後から響いていた。

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