Ciao!

 ミチルが学校敷地内での「ストリートライブ」の許可を、顧問の竹内先生に打診したのは休み明けの事だった。すでに期末考査も近い事もあり、考査が終わって夏休みに入るまでの間、ということで話は通ったが、場所については学校側から条件がついた。

「B棟裏、要するにクラブハウス付近でないと許可が下りなかった。中庭もアウトだ」

 竹内先生は腕組みして、仕方なさそうにミチルに伝えた。その理由は、だいたいミチルもわかった。

「吹奏楽部ですか」

「ああ。向こうは向こうで夏休み中にコンクールがあるからな。顧問の浦賀先生はやんわりと言ってきたが、要するに邪魔にならんようにしろ、という事だろう」

 A棟3階では毎日、吹奏楽部が練習している。そこにアルトサックス、エレキギターのアドリブてんこ盛りサウンドが聴こえてきたら、邪魔なことこの上ない。

 先生も面白くはなさそうだったが、仕方ないともミチルは思った。べつに吹奏楽部を目の敵にしているわけではない。ミチル自身、中学では吹奏楽部だったのだ。アルトサックスの実力は多少知られていたので、高校に上がってフュージョン部に入ると知って、必死で説得してきた女子の先輩もいる。


 ひとまずストリートライブの場所に関しては、期末考査が終わってからメンバーで相談しよう、という事になった。



 初夏の爽やかさに夏の熱気の気配が差し込んできた頃、期末考査がようやく終了した。生徒たちは結果に不安を覚えながらも至上の解放感に身をゆだねていたが、フュージョン部の面々は若干浮かない顔をしていた。部室に集まった5人は、恨めしそうに二重窓の外を睨む。窓には、止まることなく水が流れ落ちていた。雨である。

「なるほど。街角音楽祭が夏休みに入ってからの理由がわかった」

 ミチルは、譜面を片手に重い雲を仰ぐ。そこそこ強い雨である。試験明けでカラオケにでも繰り出そうと思っているような人達には雨も関係なさそうだが、校庭でストリートライブを目論んでいる集団にとっては、予想外の方向からの妨害であった。

「どうする?」

 ジュナは、例のジャンクのアイバニーズをバラバラに分解していた。直せるのだろうかと心配しつつ、ミチルは「よし」と膝を叩いた。

「演奏できないならできないで、やれる事はあるよ。マーコ、あんた勧誘ポスター作るって言ってたよね。あれ、どうなったの」

 すると、バスドラム内部の吸音用タオルの量を調整していたマーコが振り向いた。

「印刷データは作ってある。デザイン科の松村先生に賄賂渡しておいたから、こっそり大判プリントしてもらう手筈になってる」

「何を渡したの」

「田中商店の鯛焼き」

 ミチルは眉間にシワを寄せつつマーコを睨む。松村先生は大の甘党で、あんこを食わせておけば何でも言う事を聞くと、まことしやかに言われている人物である。

「アシがつくような事はしてないわね」

「ぬかりはない」

「よし、掲示する場所はマーコに任せる」

 だんだん、やっている事が地下組織じみてきた。

「そっちはマーコに任せるとしてだ。やはり、直接的な勧誘活動も必要になってくる」

「といってもね。私達、1年生と接点ないでしょ」

「うーん…」

 ミチルはマヤの指摘に唸ったが、そこではたと思い出した。

「あっ」

 突然背筋を伸ばして立ち上がるミチルを、全員が何事かと見た。ミチルは、期末考査で忙しかったため、すっかり存在を忘れていたある人物を思い出したのだった。

「そうだ…あの子がいた」

「あの子?」

 ジュナが、誰だという顔をした。するとミチルは唐突に、部室を飛び出してどこかに走り去ってしまったのだった。

「あいつ、しっかりしてるけど突然衝動的に行動する事あるよな」

 わかる、と他の三人が無言で頷いた。


 オーディオ同好会の部室では、もはや部室のただ一人の主となった1年生、村治薫が何やらデスクの上で、ニッパーやカッターを手に何かの青いケーブルを加工していた。

 今日は20cmのユニットがついた、箱がやけに大きなスピーカーからゲームのサントラが流れている。

 唐突にドアをノックする音がして、薫は「人が来るなんて珍しい」と世捨て人のようにつぶやいた。


 ミチルがノックすると、少し間を置いてドアが開いた。何回見ても女の子と間違えそうになる、村治薫少年だ。

「やっほー」

「…こんにちは」

「あっ、何その意外そうな顔は」

「いや、ここに人が来る事じたい珍しいから…」

 君は世捨て人か、とミチルは笑った。

「入っていい?」

「この雨の中、入るなとは言えない」

「なんか、喋る事も面白いね、薫くん」

 一度しか入っていないオーディオルームに、ミチルは勝手知ったるといった様子で入った。

「あっ、この曲友達の家で聴いた事ある。ゲームの曲だよね。…なんか、この間と音が違うな」

 ゲーム好きのマヤの家で確か聴いた曲だ。スピーカー自体の音質は、スピード感はないが、深みと重みのある低音だと感じた。

「わかるの」

「うん。なんていうか、重みがある。どれが鳴ってるんだ」

 ミチルは林立するスピーカーに近付いて、鳴っているものを特定した。この間聴いたものより、直径が倍もあるユニットがついた、巨大な箱状のスピーカーだ。箱の下に四角いダクトが口のように開いていて、巨大な一つ目のオバケといった印象を受ける。

「これは何ていうの」

「名前は特にない。型番はDB-32だったかな。ダブルバスレフっていう構造のシステム」

 ダブルバスレフ。プロレスの技だろうか。すると、薫少年の解説が始まった。

「普通のバスレフはダクトがひとつだけ付いているんだけど、ダブルバスレフは内部で第一、第二キャビネットに仕切られていて、共振周波数が異なるダクトが直列になっている。二段階で低音の共振を起こせるから、再生オクターブを普通より低く出来るんだ。ただし、瞬発力が落ちるのがデメリットになる。雄大でゆったりした音楽には向くけど、アップテンポなJ-POPやロックだと、眠い音になるかも知れない」

 よくわからない理屈の機銃掃射を受け、ミチルは頭がくらくらした。クラスメイトでアニメオタクの誉れも高い寺岡くんが、語り始めると止まらなくなるのに似ている。第一キャビネット?ダクトが直列?

「それで、どういったご用件?あっ、この間話したスピーカーの件かな」

 ありがたいことに、薫くんは設計理論の機銃掃射を止めてくれた。ミチルはホッとして、ひとつ咳払いしてスピーカー前の頑丈な椅子に腰を下ろした。


「音楽の演奏に興味がありそうな1年生、か」

 薫くんはケーブルを加工する作業を止め、チェアーに足を組んで、腕組みしつつ考えた。

「いるにはいる。けど、あいつはロック系で、すでに自分のバンドがあるからな」

「…そうか」

「なに?サポートの人でも探してるの?あっそうか、曲によってはサックスがツインのも多いからね」

 フュージョン部の事情を知らない薫くんは、音楽ファンらしい見当違いな推測をした。

「うーん…仕方ない」

 ミチルは、現在おかれているフュージョン部の状況を、薫くんにきちんと説明することにした。同好会に格下げされ、その先は廃部の公算が高いという、ごくシンプルな将来図だ。

「今学期中に5人?もう、存続させる気がないんだね、学校側は。嫌がらせにしか思えない」

「なんか薫くん、可愛い顔してけっこうハッキリ言うのね」

「可愛い顔、ってやめてくれるかな」

 薫くんの眉間にシワが寄った。どうやら、コンプレックスがあったらしい。

「あっ、ごめん」

「まあ慣れてるからいいけど。それにしても、5人かあ…もちろん、音楽をやる意志がある人でしょ」

「それはそうだよ。…できれば、そういう人達にバトンタッチして、いずれは学校を去りたい。ワガママなのはわかってるけどね」

 ミチルは、フュージョン部という存在そのものに愛着を持っていた。それは、入学してフュージョン部を選択した時に、何人かの人間からフュージョンというジャンルをバカにされた事も一因である。薫くんは、ミチルの心情を察したのか、よし、とデスクを叩いて立ち上がった。

「わかった。力になれるかどうか自信はないけど、同級生とか他のクラスの知り合いを通じて、興味がある人いないか探してみる」

「ほんとう!?」

「別に、ただ声掛けするくらいなら僕自身は労力も何もないし。いいよ」

「ありがとう!」

 ミチルは身を乗り出して、つい薫くんの手を両手で握りしめた。薫くんの頬が少しだけ赤くなる。

「わっ、わかったから。そっちは僕に任せておいて」

「うん、頼んだよ」

 そう言って、ミチルはふと我に返り、なんとなくオーディオ同好会の部室をぐるりと見渡した。ちょうど、なんとなく悲愴感の漂う曲が流れてきたところである。

「…ごめんね。薫くんの立場も考えないで、勝手なお願いして」

 オーディオ同好会は、もう廃部が確定しているも同然である。わずかでも希望があるフュージョン部は、それに比べればまだいくらか、幸せな状況かも知れなかった。もっとも、来年になれば仲良く廃部ルートもあるが。

「ああ、気にすることないよ」

 薫くんは左手をヒラヒラと振って、本当に未練も何もなさそうな顔をした。大人だな、とミチルは思う。そうだ、この少年はどこか達観している。老成、と言えばいいのだろうか。どういう育ち方をすれば、こんな15歳の少年になるのだろう。

 その時ミチルは、ふと思い立って、ひとつの質問を薫くんに投げかけた。

「…ねえ、薫くん。なおさら気を悪くするかも知れないけど」

「え?」

「もしもだよ。薫くんに掛け持ちで、ギタリストとして入部して欲しい、って言ったら」

 そこまで言って、突然薫くんの表情が凍り付くのがわかった。不愉快とか、そういうのと少し違う。何かまずい事を言っただろうか。

「あっ、あの、演奏は、無理です」

 いきなり敬語に戻った薫くんが、しどろもどろに拒絶の意志を示し始めた。だが、ミチルはいささか納得ができなかった。

「無理って、このあいだうちの部室でギター弾いてたじゃない。めちゃくちゃ上手かったよ。あれで演奏が無理とか言われたら、練習中のあたしの立つ瀬がどこにあるっていうの」

 さっきの機銃掃射のお返しとばかりに、ミチルは正論の斉射を行った。だが、薫くんの表情は変わらない。

「ひっ、弾けないんです」

「弾けないって…」

 そこまで言って、ミチルはようやく理解した。

「あっ、わかった。人前で弾くのが嫌ってこと?」

 薫くんは、無言でブンブンと首を縦に振る。目がマジだ。どうやら本当らしい。

「あたしの前じゃ弾けたのに?」

「あれは、ステージじゃないから…」

 言葉がストレートな薫くんらしくない。何やら、話したくない事があるようだ。要するに、大勢の前で改まって演奏する事ができない、という事らしい。

「なるほど。うーん、もったいないなあ。あんだけ弾けるのに…」

 ミチルの表情があまりにも無念そうだったのか、薫くんは申し訳なさそうにうつむいた。

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいよ。こっちこそ勝手な都合で、勝手な事言って申し訳ない。人にはできない事がある」

 そうは言いながら、目の前におそらく一流と言っていいギタリストがいるのに、引き入れる事ができないのは残念である。といって、スタジオ録音専門要員というわけにもいかない。バンドである以上、大勢の前で演奏できる事は第一条件である。それにどのみち、目標を達成するには5人という人数を揃えなければならないのだ。

「わかった。ひとまずさっきの件だけ、お願いします。お礼に今度、田中商店の鯛焼き買って来てあげる」

 どうも、田中商店の鯛焼きが人を買収するアイテムになりつつある。薫くんはようやく平静を取り戻したようだった。

「うん、わかった。声をかけられるだけ、かけてみるよ」

「ありがとう。そうだ、ねえ。うちの部室、見学に来ない?いまメンバー揃ってるよ。女子5人、ハーレムだよ」

「えっ」

 あまり品がいいとも言えない誘いに、薫くんは突然なにか閃いたような顔をして、奥に引っ込んだ。ほどなくして、小脇に何かケースを抱えて戻って来る。

「じゃあ、演奏を録音させてもらえる?」

 箱の中身はレコーダーとマイクだった。オーディオマニアという種類の人間は、録音マニアでもあるのだろうか。


 ミチルは、マーコがポスターの件で抜け出している事を完全に失念していた。薫くんを連れてフュージョン部の部室に戻った時、その室内はある種、異様な空間であった。ジュナは透明な作業用フェイスガードを装着し、散乱する何個ものピックアップに囲まれて、ジャンクのアイバニーズの配線を直そうと奮闘している。マヤはノートPCに表示された譜面を睨み、彼女の周囲にも紙の楽譜が散乱していた。クレハはなんだか修験者みたいな真剣な顔で、アンプを通さないベースでフィンガリングの練習に打ち込んでいる。その彼女たちの視線が、入って来た1年生男子に集中した時の、薫くんの心境はどんなものだったろう。

「もう見つけて来たのかよ!」

 ジュナが驚きと期待を込めて、ミチルを見た。ミチルは申し訳なさそうに顔を引きつらせる。

「ごっ、ごめん。この子はたまたま知り合った、オーディオ同好会の子。見学したいっていうから。入部希望というわけじゃないの。部員募集の声掛けに協力してくれるんだって」

 いちおう、ギターが弾けるという事は伏せておく事にした。弾けると知ったらジュナがうるさい事になる。そのジュナは、半田ごてをスタンドに置いて背伸びをした。

「声掛けか。そいつは有難いな」

「お力添えできるかわかりませんけど。1年4組電子科、オーディオ同好会の村治薫です」

 女子4人に囲まれて、薫くんは一切緊張する様子がない。さっきミチルが手を握った時、頬を赤らめたのは何だったのか。すると、マヤが興味深げにPCから手を離して振り向いた。

「オーディオ同好会って、もう廃部になったんじゃなかった?」

「いちおう、まだ存在はしています。廃部が確定したのは事実ですけど」

「ふーん。オーディオ好きってことは、耳もいいのかな」

「そこまで良いかどうかはわかりませんけど、音響の変化は聞き分けられるつもりです」

 ミチルと会話する時のタメ口はどこに行ったのか。まだ初対面という事もあるが、何となく反応が違う。クレハは身体でリズムを取りながら、無言で薫くんを観察していた。

 そこへ、ドアが開いてマーコが駆け込んできた。

「先生の買収完了!ついでに鯛焼きみんなの分も買ってきたよ!」

 戻ってくるなり大声で贈賄の事実を自供した犯人は、見知らぬ男子――のちに語るところによると、女子だと思ったらしい――を見付けると、ごくシンプルな質問をした。


「だれ?」


 これが、薫くんとフュージョン部5人の邂逅だった。

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