ステップ・アップ・アクション

 翌朝、登校して席についたミチルのもとに、同じクラスのキーボード担当、金木犀マヤがバッグを下げたままやってきた。マヤはミチルと同じ情報工学科、2年1組である。

「おはよ、ミチル。昨日はバンド出られなくてすまんかった」

「おはよう。気にしないで、昨日はちょっとね」

「え?」

「ちょっと調子が悪くて、早く切り上げたから」

「ふーん」

 マヤは訊ねかけて、それ以上踏み込んでくるのをやめた。どうも、ジュナからミチルの扱い方を皆が学習し始めているような気がした。

「そういえば、顧問に相談した件どうなったの」

 バッグを下ろしながら、マヤは訊ねた。ミチルの背筋が少しだけ緊張する。だが、早いうちに話さなければならない事だ。ミチルは意を決し、マヤに向き直った。

「うん。今日、そのことでみんなに話がある。放課後、全員揃うのを確認しておきたい」

「…そう。わかった」

 少しだけ神妙に、マヤは頷いた。



 放課後いつもの通り、フュージョン部2年生の5人は部室に集まった。練習は話が終わった後にということで、当のミチルが一番最後にやって来るまで、メンバーはエフェクターの設定を弄ったり、バンドスコアをチェックするなど時間を潰していた。

 ミチルが改まった様子で「ちゅうもーく」と手を叩く。だいたいみんな話の内容は予想していたので、それほどの緊張感はなかった。


「ということで繰り返すけど、今学期中に1年生の部員を5人確保すること。これが我らフュージョン部が来年以降も、存続できる条件であります」

 そう言って締めたあと、ミチルはマットにわざとらしく突っ伏して全員に詫びた。

「これが私の交渉力の限界です。ふがいない次期部長でごめんなさい」

「あーもう、おもてを上げい」

 見かねたジュナが、ミチルの両脇を抱えて上半身を起こす。

「上等だろ。ほっときゃ同好会からの廃部確定ルートだったんだ。それを、まあだいぶハードモードではあるけど、存続の可能性がある所まで持ち込んだんだ」

 ミチルをバスドラムの横にどかすと、ジュナは空いたスペースに胡座をかいて、この間ジャンクコーナーで見つけたというアイバニーズを爪弾き始めた。乾いたスチール弦の音が響く。

「そうね。ゼロに近かった可能性が、3パーセントくらいにはなったのかしら」

 クレハのフォローも彼女らしい。3パーセントは妥当な数字なのだろうか。1パーセントもないようにミチルは思う。しかし、マーコとマヤも好意的であった。

「やるだけやればいいじゃん」

「そうね。最悪、同好会でも私は構わないけど。要するに、私達の代でフュージョン部を無くしたくない、って事でしょ?ミチルが言いたいのは」

 まったくその通りである。みんなそれは理解してくれているし、また同じ気持ちでもあるのだ。

「先輩達は何て?」

 マヤの問いに、ミチルはスマホのLINEを開いた。3年の、ユメ先輩とのトークが表示される。

「ユメ先輩は、私達のやりたいようにやりなさい、だって。もし失敗しても、やらないでガッカリするより、やってガッカリする方が何倍もマシだよ、だってさ」

「ユメ先輩らしいわね」

 マヤは苦笑いした。ユメ先輩はミチルと同じく基本はサックス担当なのだが、いわゆるマルチプレイヤーで、ドラムス以外はほとんどの楽器をこなしてしまう天才肌である。

「それで、どうするの。次期部長さん」

 マヤは、キーボードに片肘をついて真面目に訊ねた。ミチルは、みんなの気持ちを確認した今、もう迷いはなかった。

「うん。やれるだけやってみよう。今学期中に、1年生を5人集める」

 改めて口にすると、あまりにも高いハードルに全員がつい笑い始めた。

「すごいこと宣言したわね」

 クレハが、珍しく肩を震わせて笑っている。それぐらいすごい話なのだ。春の勧誘で一人も獲得できなかった集団が、あと1か月そこらで5人集める、と言っているのである。

「柔道部に頼んで、一般生徒を5人拉致するとか」

「とりあえず法律は犯すな」

 ミチルは、真顔で言うマーコに念のためツッコミを入れておく。それを皮切りに、メンバーは口々に具体的な対策について話し始めた。マヤが、キーボードの出力端子をクリーニングしながら全員に問いかける。

「そもそも、春の勧誘で上手くいかなかった原因って、何だろう」

「そりゃあ、フュージョンの認知度が低いからじゃないの?」

 身も蓋もないことをジュナが言った。そこでミチルが反論する。

「まあそれも一因ではあるだろうけど、アピールが足りなかったからじゃないのかな」

「あん時、ここでさんざんパフォーマンスやったじゃん。ちょっとしたライブの連チャンだったぞ」

「うーん」

 ミチルは唸った。確かに春、3年生が呼び込みを買って出てくれて、ミチルたちはひたすら音楽の実演に励んでいたのである。あの時、だいぶ肺が鍛えられたのではないかと思う。

 すると、黙っていたクレハが手を挙げた。

「ここでやってたから、ダメなんじゃないのかしら」

 それは、ごくシンプルな指摘だった。

「わざわざ、クラブハウスから離れたハウスに入ってみよう、って思う人、たぶん少数派よ」

「わかった!じゃあ、ストリートライブだ」

 マーコがスティックを突き上げて大胆な提案をした。ストリートライブ。それも、学校の敷地内で。他のメンバーは一瞬呆気に取られたが、すぐにその案を真面目に検討し始めたようである。ジュナは、さり気なくアンプの電源を入れ、シールドをジャンクで見つけたアイバニーズに接続した。とたんに盛大なノイズが流れ、慌ててシールドのプラグを引っこ抜く。やはりジャンク、直すのはひと苦労しそうである。気を取り直して、ジュナは言った。

「ストリートか、なるほど。シンプルすぎて、今まで考えつかなかった」

「フュージョンは室内楽ってわけじゃない。野外向けの景気のいいナンバー、選んでみようか。音楽祭のいいリハーサルにもなるし」

 ミチルの具体的な提案に、全員が頷いた。こうして、フュージョン部のリベンジ勧誘活動が始まったのだった。


 目的が定まると、ミチルは自身のサックスプレイヤーとしてのエンジンに火を入れた。まず、曲選びである。

「よーし、人が集まるようなナンバー、提案ある人」

 と、自信に満ちた態度で選択を他人に委ねたのが、ミチルの敗因と言えばそうであった。間髪入れず、マーコが挙手して言った。


「本田雅人!」


 その提案に、ミチルはギョッとしてマーコを睨んだ。お前は何を言っているんだ。しかし、援護射撃はミチルの背後からではなく、正面から飛んできた。

「いいわね。いままで何となく避けて来たとこもあるし」

「カラッと乾いてて、初夏っぽいサウンドだし」

 マヤとクレハも、完全にマーコに同調している。まずい。3対2か、というミチルの予測は甘かった。

「ま、ギターもちょいと大変なナンバーが多いけど。いいよ、やるってんなら」

「ちょっと待って!!」

 まさかの、親友ジュナの裏切りである。銀河マーコ帝国の戦艦4隻の集中砲火に対し、自由サックス同盟の戦艦ミチルは一隻で抵抗した。

「まじで言ってんの」

「まじに決まってるでしょ」

「まじか」

 ミチルは愕然とした。

「いちおう確認するけど、本田雅人が人間じゃないの、君たち知ってるよね」

「知ってる。あれは高度な演奏能力を持った、地球外の高度知的生命体」

 マヤはさらりと言ってのけた。みんなわかっている事である。少なくとも現代の日本国内で、特にサックス奏者を志す者が知らない筈はない、超絶テクニックのウルトラプレイヤー。その人のナンバーを演奏すると、この無謀なJKどもは言っているのだ。

「あのね。大変なの、サックスだけじゃないのよ。”Real Fusion”の3曲目とか、やれって言われてやれる自信、ある?ドラムスのパターンだけ聴いてても頭おかしくなるよ」

 諸提督の戦意をくじくため、総司令官ミチルは高難易度の曲を挙げた。"Real Fusion"は本田雅人の2000年のアルバムである。部室にCDがあるので、改めて聴いてみた。アンプの調子がいい事に、マヤは気が付く。

「あれ?コンポ直ってる」

「あっ、そ、そういえばそうだね。なんでだろ」

 昨日、オーディオ同好会の村治少年に直してもらった事はまだ伏せているミチルだった。


 改めてそのナンバーを聴くと、どう考えてもおいそれとできる演奏ではない事がわかる。難易度は高い。ゲームでいえばナイトメアかインフェルノである。

 演奏が終わって、他の面々の顔を見たミチルは言った。

「はい。やれる?」

 すると、マーコは事も無げに即答した。

「やれるんじゃない?」

「嘘でしょ」

「やってみよう!」

 マーコはもうすでに、ドラムの後ろにスティックを握ってスタンバイしている。すると、マヤたちもキーボードやベースの音出しを始めた。ジュナが、ポンとミチルの肩をたたく。

「まっ、サックスが一番大変なのはわかる。けど、次のレベルに到達するチャンスだって思えばいいんじゃないの」

「むー」

 ミチルは憮然としながら、ラッカー仕上げの愛用サックスの準備を始めた。実は今日リガチャーも黒地の革製に新調したのだが、最初の演奏が高難易度の曲になるとは思ってもみなかった。

「ちょっと練習させて。練習」

 ミチルはそう言って、部屋の隅に移動した。

「いいよ。じゃあ私、簡単な曲の進行メモしておく」

 さらりとマヤは言ってのける。マヤは鍵盤専門だが、耳コピで簡略化した譜面をだいたい書いてしまうという離れ業を持っているのだ。ジュナはジュナで、譜面なしでも曲全体をすぐに把握できてしまう。両極端の天才が揃っているのである。

 

 かくして、ようやく始まった本田雅人のコピーだが、最初の演奏はひどいものだった。まず、リズム隊の音が揃わない。この時点でもう致命的なのだが、そこにもってきてミチルのサックスが、まるで話にならない。ミチルが下手なのではなく、曲の要求が高度なのである。キーボードとギターは比較的まともだったが、二人とも表情を見ると不満そうだった。改めて、世の中には大変な曲もあるのだと思い知らされた5人である。


 やや戦意を喪失しかけた5人は、いったんドリンクを飲んで休憩した。マーコは金ダライに入れた水で、手首や肘を冷やしている。これは、大太鼓の有名な演奏家の真似をしているらしい。

「なんていうか、音楽の捉え方が他のアーティストと違うよな」

 ジュナの感想が、全てを物語っていた。そういうミュージシャンは時々いる。他のアーティストと同じ楽器を使っているのに、音の世界観がまるで異なる人達が。

 何が違うのだろう。ミチルは考えた。しかし、違うといっても本田雅人の楽譜は市販されている。楽譜があるということは、理論上は演奏できるということだ。


 ミチルは不意に立ち上がって、再び手入れしたサックスを首に下げた。ジュナたちの視線がミチルに集中する。ミチルの表情は、真剣ではあるが、同時に妙な静けさに包まれていた。

 ジュナは、その表情を今まで何度か見ている。最初に見たのはいつだったか忘れたが、それはたいがいミチルに、ある事が起きる前触れであった。


 ミチルの唇に力が入る。流れて来たのは、いま演奏していた曲ではない。だが、同じアーティストが書いた曲だ。T-SQUAREの1991年のアルバム「NEW-S」の、"MEGALITH"。それまでのスクェアサウンドにはなかった、ジャズ・ファンク色の強い、本田雅人が加入した事を象徴するナンバーである。

 ミチルが選んだ練習方法は、そのアーティストのより原点に遡ってみる、という方法だった。ジャズ・ファンクは、ミチルが指標にしているキャンディ・ダルファーのジャンルでもある。もともとミチルには、そのサウンドのセンスがある筈だった。


 ミチルの演奏は完璧で、ほぼミスがなかった。次第に他のメンバーも音を合わせ始め、結局フルバンドでの演奏になってしまう。以前はそれほど自由に演奏できなかったこの曲が、今や軽々とできるようになっていた事に、5人は驚き、かつ興奮していた。

 演奏が終わった時、よくわからないが全員、飛び上がって拍手していた。誰に対してなのだろうか。自分達のレベルが上がっている事が、嬉しかったのだろうか。

「よし。本田さんの曲、もっとやってみよう。その音楽理論を、私たちの指や腕に叩き込むんだ」

 ミチルの提案に、全員が頷いた。部活がなくなるかも知れないというショックから、5人はすでに立ち直りかけていた。何がどうなったところで、自分たちの手から音楽が消え去るわけではない。まだ、できる事はある。その勇気を全員に与えたのがミチルである事に、本人は気付いていなかった。


 空が少しずつオレンジ色に染まる中を、夏の訪れを感じさせる風が吹き抜けた。

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