5
勝利、とは結局のところ戦いのずっと後に数を数えるのが仕事の連中が決めることだ。こちらの死傷者、戦場に残っているテウヘルの
あるいは現場にのこのこやって来る情報部員は、撃破した
そういえば──通りの真ん中で焼け焦げた
この3日間、だだっぴろい戦場で何が起きたか、なんて分かるはずもなく。似たような顔つきのテウヘルの死に顔と似たような個性の強化兵たちの死に様が焚き火を囲みながら順繰りと浮かんでは消えた。
ニケは白くなりつつある東の地平線を眺めた。まだあちこちで黒煙がたなびいているのが見える。上空では遅れてやってきた
市街地で散発的だった戦闘が終わり、あらかたヒトの死体は回収できたが黒い毛むくじゃらなテウヘルの死体は放置されたままだった。一般兵たちはその腐敗臭に顔を歪めているが、嗅覚の鋭いブレーメンのニケにとってみれば鼻腔にこびりつくその臭いに辟易としていた。ポケットから嗅ぎ薬を取り出してハーブの香りを吸い込む。もともとヒトの体臭に耐えられないときに使うものだ。気休めにしかならないが気分転換にはなる。
隣ではリンが配給された戦闘糧食を食べ終わり、ニケの分まで手を付けている。やや空腹を感じるが、やると言った手前、腹をすかしているリンの食事を横取りするのは気が引けた。
「……35、36、37、38」
リンは咀嚼の合間に、思い出したかのように数字を読み上げている。
「あまり急いで食べるな。ほら、水だ」
炊事班が持ってきたペットボトル入りの水──たぶんどこかの商店から拝借した商品をリンに分けてやった。リンは一気に飲み干してしまった。なかなかにいい食いっぷりだ。一回り体の大きい一般兵よりもよく食べる。
「やあやあやあ、無事だったんだね、君たち。ああ敬礼はいい。そのまま食事を続けたまえ、リン君。敬意よりも兵士の休息と食事は何倍も大切だからね。ところでリン君は何を数えているんだ」
「ご無事でしたか、大尉。リンは今日 撃ち倒したテウヘルの数を忘れないように
しかし野生司大尉は怪訝な顔をしたが、すぐにニコリと表情を変えた。
「
「しかし、すみません。兵士を守りきれませんでした」
「ふむ、これは戦争だ。それは悲しむべきことだが、今は達成できたことに目を向けるとしよう。仕事の方は?」
「テウヘルの残党狩りはあらかた終了しました。その間にこちらに目立った被害はありません。日が暮れてからは死体の回収です。まあ、自分もリンもあまり眠れずにこうして砂漠の向こうの地平線を眺めています」
「ところで、軍曹。いいニュースと悪いニュースとあるのだが、どちらから聞きたいかね?」
「それは。それは自分が聞く意味があるのでしょうか。つまり、自分は
「ワシは兵士の主体性を信じておる。それこそがテウヘルのような野獣との違いだからな。して、どちらから聞きたい?」
まるで映画俳優のような言い回し。野生司大尉はそれ自体を楽しんでいるかのようだった。
「ではいいニュースから」
「市民と兵士合わせて1万人は、避難時の混乱によるけが人を除けば、全員が列車で避難することができた。そして増援が到着し、重傷者は無事、
「では悪いニュースは?」
「アレンブルグが攻撃を受けている。その顔、予想できたという感じかな、軍曹?」
「推測の域を出ていませんでしたが。テウヘルが本格的な攻撃をする割には、2波、3波の増援がなく空中要塞もすぐに姿を消してしまいました。そして巡空艦がゆっくりと着陸しているところを見ると、別のところで空中要塞が発見された、ということになります」
「ふむ、良い推察力だ。ここだけじゃなく他の駐屯地も攻撃を受けている。どこも奇襲でラーヤタイよりもひどい状況とのことだ。が、悪いニュースはもうひとつある。軍務省と第2師団は、ラーヤタイからの撤退を決定した。街を放棄するとのことだ。オーランドから来た尉官に引き継ぎをしたところだ。事務的な男でいけ好かない輩だった」
「しかし、みな命がけで戦ったのに!」
「まあ、落ち着くんだ、軍曹。君自身も民間人を救助したじゃないか。生還した兵士も大勢いる。それだけで勲章モノだ。戦術的には痛手を受けたが戦略的には成功、といえなくもない」
「救えたはずの命だってあったはずです」
「それはふむ、そうだな。しかしだ。なにも心を冷たくせねばならない、という意味ではない。悲しむ心があってもよい。がより大局的な目線を持つことが必要、ということだ。士官学校で習ったんじゃ無いのかね」
たしかにそうではあるが──野生司大尉はそのことを知っているはずがないのだが。
「はい、大尉。心に留めておきます」
「よしてくれ。敬意を払われるとこちらとしても調子が狂ってしまう。ブレーメンらしくもっと
ニケのすぐとなりで、リンはバネじかけのように飛び上がりながら、口に詰め込んだ戦闘糧食を飲み込んだ。
「──君たちの大隊が壊滅した今、部隊の再編成が行われる。君たちも新たな指揮官と人員と合流し新たな任地に
「では自分たちもアレンブルグへ?」
「いやいやいや、それはまずないだろう。あそこは第1師団の管轄だ。防衛もまた第1師団が担当している。私達第2師団の人員が関与すれば越権行為として政治的に干されてしまう」
「くだらない軍閥主義ですか」
少し言葉が過ぎたかと思ったが、かえって大尉は上機嫌だった。
「そう、その反骨精神があってこそのブレーメンだ! 君たちは部隊再編成中でいわば“無所属”なのだが、どうだい? ワシの部隊に入らないかい?」
「はい、大尉閣下の指示の下獅子奮迅の活躍を成し遂げてみせます」
すぐ横でリンが敬礼したまま答えた。どこかで借りてきたような浮いたセリフだった。
「しかし、大尉。自分たちは兵士です。命令されればその通りに行動します。どうしてまた提案を」
「ワシは
「初めて聞く部署ですが」
「確かに前線ほど活気ある部署ではないが、少なくとも砲弾は飛んでこない。どうかな?」
「いえ、大尉。どのみち自分たちに選ぶ権限はないのでは?」
ニコリ、と野生司大尉は笑った。
「グハハハハ、ブレーメンに冗談は通じないようだ。君の言う通りすでに君たちの仮の人事異動願はオーランドに
「今、ですか? 戦いの後処理がずいぶん残っています」
「すでに増援部隊と指揮官が配置されている。そう気をもむことはない。そうだな、しいて言えば出発までにシャワーを浴びて荷物をまとめることだ」
荷物、といってもあの砲撃で基地が跡形もなく吹き飛んでしまって何も残っていない。そもそも私物は
持っていくべきもの──腰の古い拳銃が1丁あるだけ。里を出るときに大切な人から贈られた武器というより骨董品だ。しかしこのおかげで命が救われた。触れるたびに彼女の別れ際の顔がよぎる。
「では行動開始だ。市民競技場に着陸している8593号機でオーランドへ向かう。出発は〇八〇〇。競技場でシャワーを浴び、着替えを受け取ること。食事は、おすすめしない。なにせ季節風に乗って西へ行くんだ。ひどく揺れるからね。明日の朝には到着するだろう。では、ワシは書類をまとめねばならいん。8593号機出会おう。8593号機、間違えないように」
野生司大尉は言うだけ言うと踵を返して去ってしまった。
「つまり、どゆこと」
リンは再び糧食のトレーを持ち栄養補給を再開しようとしてる。
「身だしなみを整えてオーランドへ向かう。新しい上司は野生司大尉だ」
ニケはライフルと背嚢を担ぐとスタスタと焚き火を後にした。市民競技場は市役所の隣にあったはずだ。思い出といえば部隊対抗で球技大会が開かれていた。しかしながらブレーメン出身なのでそういった体力比べは自重していた。ヒトとはあまりに不公平でひんしゅくを買うことになる。
ニケの後ろを、リンが糧食を食べながらついてくる。
「ん―喜ぶべきこと?」
「人によって違うだろうな。テウヘルの侵攻が始まったのに一番安全なオーランドへ行くんだ。死から遠ざかるのは良いことかもしれないが」
「だったら、あたしは戦いたいな。だってそれがあたしの役目だし他の生き方なんて知らない」
「だったら知ればいい。リンは賢いんだ。すぐに慣れるさ」
緩やかな丘を登って市民競技場を目指した。道路の排水溝は赤と緑の血が流れた痕がありその上に大小様々な
崩れ落ちた家屋のソファで兵士が寝息を立てていた。強化兵に特有の色素の薄い髪の下で黄色い認識タグが揺れている。
ふと後ろを振り返った。リンは律儀にも道路脇にあるゴミ箱に食べ終えた糧食の空きトレーを投げ込んだ。耳の認識番号一二一三が目に入る。
「えへへ、なになに? あたしに話でもあるの?」
「いや別に」
「もう、隠すこと無いじゃん。話そうよ」
忘れていた──リンは優秀な狙撃兵だがおしゃべりな変わり者だった。
「じゃあ話を聞くだけだ。俺からは特に言いたいことはない」
「んーじゃあ、えーと。あの大尉もあたし
「俺たちについては否定しない。大尉についてはどうしてそう思うんだ?」
「たとえば、強化兵を使い捨てにしようとしない。同じ仲間として扱ってる感じ? 戦うときだけじゃなくてさ。なんだか大切にされてる気がする。ニケはどう思うの?」
「優秀な指揮官だ」
「えーそれだけ?」
首都勤務の役人とは思えない肝の座り方だった。砲弾と銃弾が降ってくる中でも鷹揚に構え部隊を率いて走り回ってる。現場を知っている叩き上げの軍人、というのは見て取れるがそんな人物が首都の軍務省勤めというのが矛盾している。大抵の一般兵は給金をもらうととっとと退官してしまう。それ以上にそこまで昇進しているのは、単純に優秀さというわけではなさそうだった。
「嘘、とは言わないが大尉の本心が見えない。本心が2つ3つありそうなそういう人物だ」
「ん、よくわなんない。いい人ってこと?」
「それは立場によって変わるだろうな」
「だーから、どっちよ」
「たぶん──」
まだわからない。単純な剣技力量差で決まるブレーメンとは違いヒトの腹積もりは予見できない。
競技場の外周は真っ暗だがその内側は煌々と明かりが灯っていた。巨大な楕円形の
シャワー室は競技場に備え付けのもので夜通し働いていた兵士が汗を流していた。
「ところで、リン、女性用はあっちだ」
「でもいつもはみんな一緒──」
「皆が見ているから、ほらここで服を脱ぐんじゃない」
ニケは小柄なリンの肩を押して隣のシャワールームまで送り届けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます