3

 まぶしい。

 全身が重い。

 停止していた思考が急に回り始めた。後頭部は硬い地面を感じる。そして薬品の燃えるすえた臭い、テウヘルとヒトの血の臭い。

 目を開けたら空の真上に太陽が輝いていた。

 齟齬そご──まだ朝方だったはずなのに。

 敵に見つからないように、飛び起きたい気持ちを抑えつつ手足がまだ動くことを確認した。けんはつながっているし出血もしていない。骨もたぶん大丈夫。

 ゆっくりと頭を上げて周囲を見渡した。死と灰が焼け焦げた地面に降り積もっている。焼けた死体がヒトか何かの残骸か区別がつかない。遠くから銃声と砲撃の爆音がこだましているがテウヘルも味方も生きて動くものは無かった。

 ニケの体はテウヘルからの砲撃で吹き飛ばさたらしく塹壕の外に飛び出していた。

 ──生き返らせてやる。自称・ア・メン の言葉。

 いやたぶん、ただの幻覚だ。脳震盪のうしんとうとかそういう外傷。あるいは有害なガスを吸いすぎたか。そういうのは軟弱なヒトの症状だと思っていたがブレーメンの体にもそういう影響があるとは。予想外だった。

 ニケはかたわらに落ちていたライフルを拾い上げると塹壕を滑り降りた。そこらじゅうで地面がめくれ上がっていて、多脚戦車ルガーからの砲撃が容赦なかったらしい。ヒトだけでなくテウヘルの先鋒部隊もまとめて吹き飛ばしたのは、さすが犬並みの戦術といわざるをえない。

 死体と肉片を踏まないように歩いて倒れている相棒に近づいた。左右非対称アシメの赤い髪が砂漠の乾いた風でサラサラとなびいている。

 リンは外傷は無いようだった。胸が小さく上下している。そして彼女の足元には不発だった榴弾が深々と地面に突き刺さったままだった。

「リン、リン、無事か?」

 ニケはリンの首筋に指を当てて脈を確認した。体温もまだあたたかい。たぶん気を失っているだけ。力なく言葉にならない返事だけが返ってくる。

「足と手は動かせるか?」

「う、うぅーん。ニケ?」

「ああ、そうだ。運が良かった。不発弾だった。だがすぐにここを離れよう。動けるか」

「ちょっと……なんだろ。気分が悪い」

「担いでやる。あそこの地下壕へ行こう」

 ニケはリンに肩を貸してやり、彼女のライフルも脇に抱えた。コンクリート製の地下壕は砲撃に耐えたようだった。だがヒトの気配はない。テウヘルの臭いも無かった。

 警備兵の詰め所は壁と低い天井に飛び散った赤と緑の血痕こそ残っているが無事撤退できたらしい。机の上には日常の任務指令書と配置図がそのまま置かれていた。朝のお茶が入ったマグカップもそのままだった。

 リンを空の弾薬箱の上に座らせると、給水タンクから水を紙コップに入れて持ってきてやった。

「ゆっくり飲むんだ。そう、そうだ」

「口の中が。うぇ。まずい」

 ニケはリンの口の中を覗き込んだ。歯茎からの出血と、歯が一部欠けていた。

「歯を食いしばったんだろう。あとは爆風のせいもある。気管が内出血しているのかも」

 しかしリンはニケの袖口をギュッと握った。

「大丈夫。まだ戦える。戦えるんだから心配しないで。こんな傷、ツバつけとけばすぐに治るんだから。あ、口の中だからツバはつくか」

 リンは何度か目をしばたかせると自分の足で立ち上がった。さすが強化兵だけあってブレーメンに負けず強靭だった。

「強化兵は傷の治りが早いからって、あまり無理をするなよ──」

「これからどうするの? とりあえず基地に向かう?」

 ニケは壁際にあった無線機を操作した。片耳にヘッドホンを当てて周波数と出力を切り替えながら味方の会話を探した。

 支援要請と支援要請そして撤退命令が繰り返し流れていた。

『──繰り返す。全小隊へ。戦闘可能な部隊はただちにラーヤタイ市内へ撤退、69番通りにて集結。繰り返す。全小隊へ──』

 リンは自身のライフルの調子を確かめながら、

「不思議よね。テウヘルが奇襲してきた割にはもうこの陣地にテウヘルの姿が見えない」

「確かに。占領するなら第2波、第3波もあってもおかしくない、が。嫌な予感もする」

 ニケは壁に貼ってある地図を指差して説明した。

「いいか。今俺達がいるのは第2師団の防衛ラインの南端。防衛線の中央に基地があって西側の後方、岩山の麓にラーヤタイ市がある」

「うんうん」

「集結地点が69番通りならテウヘルはすでに市街に入っている」

「じゃあ、基地はもう落ちてる?」

「その可能性が高い。そしてこの奇襲ももしかしたら陽動ようどうにすぎないかもしれない。テウヘルが狙うとしたら大陸北部のアレンブルグということになる」

「ニケ、なんだかすごいね。基地司令みたい」

「士官学校にいたんだ。これぐらいはわかるさ」

「じゃあ、なんでまたこんな僻地へきちで軍曹をしてるの?」

 ニケは途中まで口を開きかけたが、ライフルを担いでごまかした。

「市内まで戻るぞ。ざっと2里はあるが走れるか? 敵の後方から襲撃をかけることになる」

「もちろん。体調も回復したよ。あーでも弾がない。誰かのを拾えるといいけど」

 リンの言う誰か、は死んだ兵士のことだろう。しかし狙撃手以外で旧式のライフルを支給されている兵士を運良く見つけられるとも思えない。

 ニケは自分のライフルを差し出した。

「ほら。使えるよな。まだ弾が残ってる。補給できるまではこれを使うんだ」

「うん、いいけど。ニケはどうするの?」

「俺はこっちのほうが好みだ」

 ニケは左手に拳銃を握り、右手でナイフを構えた。

「え、マジで」

「もちろん、戦えるさ」

 ブレーメンの剣技とナイフの扱いはまるで違う。だが眼前で敵を葬ることは心地よかった。自身の優位を感じそして勝利と生の実感を味わえる。

 ふたりは塹壕ざんごうの地下トンネルを基地方面へと進んだ。そして途中から地上に出て塹壕に沿って走った。

「リン、足元に注意しろ。味方が撤退するときに対テウヘル用の地雷を仕掛けているかもしれない」

「見てる見てる。狙撃手イン・エンは目がいいんだから」

 ニケはジグザグな塹壕の角を覗き見て、そして進んだ。どこもかしこも燃料が燃えた黒い煙で覆われていて生きたテウヘルの臭いを感知しづらい。

「どうしてその言い方なんだ?」

「その、ってどの?」

狙撃手イン・エンは古いブレーメンの言葉だ。遠くから狙いを定める、とかそういうの」

「訓練所にブレーメンの剣士が来た、って話をしたよね。そのときにいろいろ教えてもらったの。やさしいおじいさんだったよ」

「ヒトに気遣いするブレーメンは珍しいが……ただ純粋に戦う力を評価したならそれも無くはない話だ」

「あ、もしかしてニケが優しいのも、あたしの強さを認めてくれたってこと」

 ここまでリンは早足で歩いてきて息が上がっているのに軽口はいつもと同じだった。ニケが塹壕の外を確かめていると直ぐ側でリンは上機嫌だった。

「ああ、たぶんな。今から市内に入る。準備はいいか? 疲れているなら少し休むが」

「全然!」

 ニコニコスマイルと一緒の返事だった。

 軍用地と市街地とを隔てるフェンスは多脚戦車ルガーに踏み潰されてひしゃげていた。周囲にはヒトよりふた回りも大きいテウヘルの足跡も残っている。

 市内各所のスピーカーからまだサイレンが鳴っていた。市民は慌てて避難したらしくドアというドアが開け放たれていた。訓練どおりなら5000人ほどの市民は駅から汽車で避難する手筈になっているが無事かどうかまだわからない。

 石畳の道路には、ところどころに強化兵とテウヘルの死体が転がったままだった。不用意に空薬莢を蹴飛ばさないように進んだ。

 背の低い白い外壁の建物が密接して並んでいる。泥を乾かして作ったレンガだから防弾性能には期待できない。

 ニケはハンドサインを出して止まった。リンも状況を察して自身のライフルに弾を込めた。

「敵、数3。服屋の前だ。俺が忍び寄って1匹を倒したのを合図でお前も撃て」

「うん、了解了解」

 リンの赤い左右非対称アシメの髪がぱたぱたと揺れた。

「俺に当てるなよ」

 ニケは道路脇のゴミ箱、荷車、乗り捨てられた乗用車の陰に隠れて進んだ。3匹のテウヘルはくぐもった唸り声で何かを話している。言葉、というより犬の唸り声のように単純な感情表現に思えた。連中にブレーメンやヒトほどの知性はない。

 3間の距離まで近づいた。これ以上遮蔽物はない。

 ナイフ、よし。拳銃、装填済み。

 戦いの前──ニケは全身の血が沸騰したような熱さを覚えた。筋肉──腱──骨の隅々まで感覚が拡張される。世界がゆっくりと動いて見える。

 走った。

 瞬時にテウヘルとの距離を詰めた。

 3匹の内1匹がニケの姿に気づいたときには、ニケは壁をけって飛び上がり最初の標的の頭上にいた。

 ナイフを振り下ろした。一匹目のテウヘルの、腱と軟骨で補強された首の隙間を狙い気管と動脈を一度に切り裂く。着地の瞬間に脇の下を切り裂いてテウヘルが機関銃を構えられなくする。

 すぐ隣の2匹目のテウヘルの頭部がぜた──リンの狙撃。しかし頭部の肉を削いだだけで致命傷には至っていない。

 ニケは顎の下から左手の拳銃で狙いを定めると3度 引き金を引いた。下顎から鼻までが爆ぜてその標的は絶命した。

 流れる所作で崩れ落ちた1匹目の標的の目に銃弾を1発だけ撃ち込んでとどめを刺した。

 数秒で2匹が倒れた。残る1匹は慌てて銃を構えるが至近距離でニケに狙いが定まらない。しかしテウヘルの赤い目はリンを見ていた。

 ヒュン

 短い間隔でテウヘルの首の隙間の、アーマーのない部分に銃弾が立て続けに飛来して、テウヘルは崩れ落ちた。わずかに息があったがニケが側頭部にナイフを刺してとどめを刺した。

 リンは周囲をライフルの照準器を覗き込んで警戒すると、ニケが貸したライフルを構えて、姿勢を低くしてニケのもとに来た。そしてニヤリ、

「へへへ、ニケの目が黄色に光ってる。あ、でももとに戻った」

 ニケは両手にべっとりと付いた緑色の返り血を死体のアーマーにこすりつけて拭った。拭いきれない油分が爪の間に残っていて気持ちが悪い。

「まだこれからだ。味方の集結地点まで距離がある」

「ねぇねぇ、これ使ったら? 重いけどブレーメンの体力なら問題ないでしょ」

 リンは足元に転がっているテウヘルの機関銃を蹴って示した。

「重さも反動もなんとかなるがグリップが大きすぎる。指が届かない。そんなのよりも接近戦のほうが楽しい──」

 咳払い。興奮で熱くなった血を深呼吸で冷ます。しかし心臓の高鳴りまでは止まらない。

 道端に転がる死体。目に入るたびに声が聞こえる──先輩の最期のことば「たす……けて」

 しかしテウヘルの死体は沈黙したまま──楽しい。楽しい。楽しい。

「行くぞ」

 恐ろしいまでに好戦的な自分の人格が恥ずかしかった。

 市内を進むに連れて火災が目立ってきた。そして甲高い銃声も辺りに響いている。爆轟の風か季節風かはわからないが乾いた風が通りを駆け抜けて砂塵を舞い上げている。地響きで割れずに残っていたガラス窓がガタガタと揺れている。石畳や泥レンガの壁で音が反響していて位置がつかめない。

 頭上。宙ぶらりんだった信号機が落ちてきた。

 一旦足を止めて喫茶店の角から通りを眺めた。路線バスを倒した即席のバリケードの手前にテウヘル。数は20匹程度。その更に向こう側が味方の集結地点で装甲装輪車が道を塞いで重機関銃でテウヘルを牽制していた。

「残りの弾は?」

「弾倉1つ分。外さなかったら大丈夫」

「三三式の弾じゃテウヘルの体表を貫通しないだろ。牽制程度でいい。俺がやる」

「頑固だなぁ」

「よく言われたよ」

 ほんと頑固で嫌になっちゃう──かつての幼なじみの声で再生された。嫌だと言われても遊ぶときはいつも彼女と一緒だった。

「はいこれ。あたしのナイフ。その一本だけじゃ折れちゃうでしょ。あたしが持っててもたぶん使わないし」

「ああ、ありがとう。リンは狙撃の位置についてくれ。リンの発砲と同時に襲いかかる」

「マジで? むこうの小隊、重機関銃を撃ってるんだよ」

「当たらないように走るさ」

「マジで?」

 リンの頭をポンポンと叩いて安心させてやった。

 ニケはアパートの3階まで駆け上がると、裏路地側の窓から出て屋上に這い上がった。強い太陽光を反射する真っ白な漆喰が塗られている。明るさのせいで一瞬だけ視界が消えた。

 真下──路線バスの即席のバリケードにテウヘルの一団がいた。小型の迫撃砲を毛むくじゃらの手で器用に調整している。

 リズムの良い発砲音──リンの中距離からの射撃で小隊に唸り声で指示を出していた指揮官クラスのテウヘルを打ち倒した。致命弾ではないが重傷を負って動けない。

 ニケも飛び降りた。迫撃砲を触っていた一団の中央に着地してナイフを振る──目を切り裂いて2匹のテウヘルの視力を奪う。そして眉間で引き金を引いて1匹のテウヘルの顔が爆ぜた。

 次──ライフルを構えているテウヘルの一団に瞬時に肉薄──肘と脇の腱を切り裂いて動きを封じる。そしてアーマーの隙間に弾丸を2発ずつ叩き込む。

 残り3発。

 柱の陰から腰だめ・・・に構えた機関銃の銃身がニケを狙っていた。

 ブレーメンの脚力で地面を蹴った──急接近──銃口を蹴り上げると大口径の銃弾が連射され歯科医の店先をずたずたに引き裂いた。

 テウヘルの顎の下で立て続けに3発撃った。犬に似た顔が内側から爆ぜた。

 残弾なし。遊底がスライドしたまま停止。

 ニケはホルスターに拳銃を収めるとリンから預かったナイフを左手に握った。

 次──さらに3匹接近。その背後ではリンからの狙撃で1匹が撃ち倒されている。

 ナイフを振るう。

 正確な軌道で白刃はくじんが振るわれる。右のナイフでテウヘルの指を切り落とす。そして逆手に持った左のナイフで2度 首を素早く刺し貫く。

 その巨体が崩れ落ちるより先に、テウヘルの巨体の死角から隣の標的に瞬時に接近した。地面を蹴りテウヘルの頭上より高く跳躍する。ヒトもテウヘルも、急に上下へ動くと視野から外れて対応しづらい。銃で狙いを付けるならなおさらだった。

 テウヘルの肩に着地し右のナイフを深々と突き刺した。しかしそこでナイフが根本から折れた──ブレーメンの持つ剣ならこんな面倒なことはないのに!

 1匹目が地面に倒れ、2匹目は緑の鮮血のあぶくを口角から吹き出したとき、ニケは3匹目の背後に回っていた。

 比較的皮が薄い膝の裏を切り裂いて立てなくすると、頭蓋と脊椎の付け根を狙ってナイフを突き刺し、とどめを刺した。

 気配──身構えて背後を振り返った。

「オイオイオイオイ、待て待て味方だ」

 本気で怯える顔──その顔の下、襟の記章は曹長を示していた。耳に識別タグのない一般兵。食堂でときどき見たことがある顔だが名前までは知らない。彼の部下はぞろぞろとテウヘルの前線を占拠し息あるテウヘルに止めの銃弾を叩き込んでいる。

「遅れました。砲撃でしばらく動けなかったので。たぶん気を失っていたかと」

 ニケはあくまで慇懃に、短く報告をした。

 夢、あるいは幻覚を思い出した。ア・メン を名乗る不定形のナニカかと話をした。その内容はすでにおぼろげな記憶になって消えそうだった。

「お前たち、塹壕にいた部隊なのか? 朝の奇襲で生き延びた部隊がいたとはな。それにお前、その黄色に光る目。ブレーメンが部隊にいるっていう噂は本当だったのか」

「俺は剣を持っていません、曹長。一般の兵士より多少、強いだけです」

「多少でテウヘルの小隊ひとつをナイフで斬り殺すとは。お前が味方で良かったよ」

「それよりも原隊に復帰したいのですが」

「市庁舎で大尉が部隊の再編成をしている。まずそこへ向かってくれ。道はわかるよな。俺たちはここの通りを死守しなきゃならんから弾薬を分けてやることはできないが、仮設司令部なら銃弾の補給も受けられるはずだ」

「大尉? 基地司令か大隊長じゃないんですか」

「基地が襲撃されて以来、行方不明だ。行方不明というのは、まあそういうことだ。指揮は首都オーランドから視察に来ていた大尉が引き継いでいる。軍務省勤めの役人と思ったが、的確な指示のお陰でなんとかテウヘルを封じ込められている」

「そう、でしたか。わかりました。ご無事で」

 ニケが会釈して曹長と分かれたとき、リンが2挺のライフルを担いでやってきた。

「はい。返すよ。もうどっちも弾が空っぽ。あ、そのナイフはあげるよ。うへぇ。緑の血がべとべと」

「戦いは血を被るものだ」ニケはしゃがむと、足元に転がっていたテウヘルの死体の簡易的な弾帯チェストリグ で血を拭い取った。「市庁舎まで行こう。味方陣地だが気を抜くなよ」

 通りという通りはめちゃくちゃに破壊されていた。石畳は砲弾の爆発で飛び散り身を隠せる深さのクレーターが掘られていた。

 数人の兵士たちが逃げ遅れた市民に付き添い駅に向けて早足で歩いている。あちらにも防衛ラインが敷かれているのだろう。

 ラーヤタイ市庁舎は辺鄙な町の中にありながら精一杯に豪華に作られていた。鉄筋コンクリート製の4階建てで、大理石であしらった土台の上に立っていた。今だけはその堅牢さをありがたく思うばかりだ。

 市庁舎の前のロータリーには軍用の8輪装甲トラックが停まり周囲で兵士が忙しそうに走り回っている。負傷者を満載したトラックは後送のため駅へ向かった。

「大尉ってどんなヒトだと思う?」

「さてな。だが軍人もいろいろある。銃を握るのが得意なタイプもいればペンを握るタイプもいる。場合によってはペンのほうが……リン、伏せろ!」

 空気を切り裂く音──はるか頭上で薄い黒煙を引っ張りながら急接近する小さな影。

 ふたりが石畳の地面に伏せた途端、砲弾が落着し地面を揺らした。着弾の衝撃で体が一瞬だけ浮かび骨の芯まで揺さぶられた。もうもうと砂埃が立ち込め、吹き上げられた金属片や岩がばらばらと降ってくる。

「リン、怪我は?」

「うん、手足はまだ繋がってる」

 リンは耳をトントンと叩いている── 一時的に聴力が落ちたサイン。

「それならいい。市庁舎に砲弾が落ちたらしい。とにかく急ごう。多脚戦車ルガーの射程圏内に入っているかもしれない」

 辺りは粉塵と黒煙と炎で満たされていた。ロータリーに駐車してあった装甲トラックはあっけなく爆散炎上した。市庁舎は壁が崩れ最上階の一角が崩落したがその形はまだ保っている。

 飛び散ったガラス片を踏みながら市庁舎のホールへ足を踏み入れた。待合用のベンチや筆記台など可燃性のものはすべて取り払われ、がらんどうな1階ホールは兵器を収めた箱が乱雑に積み上がっている。

「ちょっとまて。ここで指揮をしている大尉に会いたいんだが」

 ニケは急ぎ足で階段を降りてきた強化兵を呼び止めた。

「今はそれどころじゃ、ええと、軍曹。敵が上階に侵入してきています。自分は伝令で応援を呼びに行くところです。大尉殿はおそらく3階のセーフルームに避難したかと」

 強化兵は早口にそう告げると建物の外へ走っていった。

 ニケとリンはお互いに顔を見合わせた。

「ここに置いてある武器、借りちゃう?」

「どれも対ルガー用の兵器だ。まちがってもそれを撃つなよ」

 リンは腰をかがめて無反動砲のロケット弾に手を伸ばそうとしていた。

 武器が先かテウヘルに遭遇するのが先か、どのみち前に進まなければ武器はない。

 角に注意しながら上階へと進んだ。途中2階の壁が崩れ、となりのビルと木板が渡されていた。

 3階の建物の中央に近づくと鼻をつくテウヘルの臭いと低い唸り声が聞こえてきた。リンは廊下で息絶えていた兵士から弾倉を1つだけ拝借すると音を立てないように三三式ライフルに装填をした。

 怒号は窓のない廊下の袋小路からだった。2匹のテウヘルが交互にスレッジハンマーで鋼鉄製の扉を叩き、もう1匹が自身の毛を焦がしながらガストーチで蝶番ちょうつがい を溶断しようとしていた。溶断器具は近場で盗んできたものらしい。ヒト用のサイズで毛むくじゃらの太い指先では酸素とガスの調整が合わせられず鉄を温めているだけのようだった。

「あいつら何してんのかな」

 リンが角の陰から覗いて目を細めた。

「テウヘルの知能は犬並みだからな。指揮官クラスがいなきゃごくごく単純なことしかできない。あの鋼鉄の扉、内側からかんぬきがあるだろうから爆薬が必要だろうに」

「じゃあじゃあ、強化兵あたしたちのほうが頭いい?」

 ニケはリンの軽口を真に受けず、ハンドサインで攻撃準備の指示をした。

「もう一度、一緒に攻撃を仕掛ける」

 ニケはナイフを構えた。戦いを前にして血が沸騰するような熱気を感じた。しかし今度はその熱気がぐいぐいと心臓を締め付けている。

「できるの? なんだか顔色が悪いけど」

「大丈夫だ」

 いや大丈夫じゃない。ブレーメンの剣が無いのに無理をして戦ってきた。どこか体に不調が出てもおかしくない。

「さっきの倒れてた仲間からもらったんだけど、はいこれ。手榴弾。ニケの合図に合わせるから」

 カチリ。リンはライフルの安全装置を解除した。

 ニケは手榴弾のピンを引き抜いて廊下の袋小路──3匹のテウヘルの真ん中に放り投げた。

 驚きの唸り声と壁を揺らすような爆発と突風のような爆風が駆け抜ける。ニケは走りリンは銃を構えた。

 倒れたのは1匹だけ──手足が取れて胴体がなかばちぎれかかっている。手榴弾に覆いかぶさったらしい。

 標的との距離はまだある──しかし銃口はすでにニケを捉えていた。

 リンの持つライフルから銃火が光る。的確な3点バースト射撃がテウヘルの胴体に当たり体勢を崩させる。ニケは予備動作なしに垂直に飛び上がり、そのテウヘルを踏み台にしてさらに跳躍した。

 ニケが地面に着地すると同時にリンはその手前のテウヘルの顔面を撃ち貫いた。

 次の標的──ブレーメンらしい動体視力で、テウヘルが持つ機関銃の撃発がスライドするのを捉えた。銃身の長大な機関銃は室内で取り回ししづらい。

 発射と同時に横に避ければいい。造作もない。

 ブレーメンの持ち前の俊敏性は、しかし発現しなかった。沸騰したような熱い血液が心臓を締め付けて動きが鈍った。

 ニケは精一杯に体をそらして火線から逃れた。そして地面を蹴ると瞬時に肉薄し、テウヘルの両腕の腱を斬り裂きそして首から延髄えんずいに達するまでナイフを突き立てて、そしてテウヘルは崩れ落ちた。

「ニケ! じっとしてて」リンが慌てた様子で走り寄ってきた。「撃たれてる。早く止血しないと!」

 ニケは痛みを感じなかった。しかし脇腹と背中側の戦闘服に穴が空き、血が滲んでいる。

「貫通している。大丈夫。慌てなくていい」ニケは、止血帯を手に慌てているリンの手を抑えた。「もう血は止まっているだろ。大丈夫。ヒトと体の作りが違う。そう簡単に死ぬわけがない」

 ブレーメンは体が強靭だからそうそう死ぬわけがない。常識そして矛盾──突然山道が崩落し、滑落死した両親の姿。

「50口径で撃たれてるのに。ふつうならもう死んでる」

「ヒトと同じにしないでくれ。傷もすぐに塞がるし、1週間もあれば治るさ」

 リンは本気で心配しているようだった。しかしニケはリンの手を優しく抑えると、よくやったと頭を撫でてやった。

 ニケはセーフルームの入り口の、鋼鉄のドアを何度か叩いた。

「外の敵は排除しました!」

 声が届くだろうか。わからない。だが扉の奥で重々しく金属が擦れ合う音が聞こえ、ぎしぎしと鋼鉄製のドアが開いた。

 はじめに現れたのは頬に傷のある強化兵で、続いて面識のない中隊長とそして埃をかぶった軍服を着た大尉だった。大尉はリンが背負っているのと同じ八二式ライフルを慣れた手付きで扱っている。内地の役所勤めの軍人とは思えない。

「いやはや、君たちが来るのは監視カメラで見ていたが、よもやひとり……いやふたりだけでテウヘルをやっつけてくれる・・・・・・・・とは思わなかったよ。はっはっはっは」

 落ち着いた軍人、というより楽天的なヒトのおじさんという風な人柄だった。顔の深いシワは実年齢以上に老けて見え、それが実際の戦闘経験を物語っていた。

 ニヤリ──大尉が微笑むと、

野生司のうすマサシだ。おっと握手ではなかったな」

 場違いな自己紹介とややゆるい敬礼だった。ニケも敬礼で応じ、リンもまたそれに倣った。

 変わった内地の軍人。しかし彼が指揮を執っているお陰で崩壊寸前の部隊がテウヘルの奇襲に持ちこたえている。

「はじめまして、大尉殿。ニケ──ニケ・サトーです」

「ふむ、その光る瞳とブレーメン式の名前。ふむ、普通の・・・ブレーメンにしてはずいぶんと腕が立つようだが。継称けいしょうがあるんじゃないのかね、君のような武人には」

 大尉の品定めする目がじろじろとニケを見た。

「ニケ・義・サトー──義式の剣術を継承していますが、事情があって剣は持ってません」

 たいていのヒトはブレーメンに興味を示さない。差別的なまでのヒトもいる。とはいえそれ以上にブレーメンはヒトに対して優越感を抱いている。ブレーメンの里から出て分かったが結局、お互い様ということだ。この大尉がブレーメンに興味を示すのは、戦場における有効な戦力だからだろうが。

「まあいい。そう卑下することはないさ。剣が無くてもワシらよりは何倍も強い。ブレーメンの剣士が1000人相手に戦う千人隊長だとすれば、君は100人隊長といったところだろう」

「恐縮です」

 謙遜──ではなく反応。ヒトの社会ではこう反応すれば良いと亡くなった先輩から教わった。

「さて、軍曹。実のところワシに妙案がある。ブレーメンの君がいれば成功率が上がる気がしてきた。ふっ、その顔。『信じて大丈夫なのか』って思っているだろう。まあわからなくもない。だがワシも若い頃は第2師団の歩兵大隊でテウヘルとやりあっていた。一五八〇高地での戦闘なら任せてくれたまえ。そして、うまく行けば逃げ遅れた市民の避難をできる限り少ない数の犠牲だけで遂行することができる」

 大尉──野生司マサシは改めてニケに握手を求めた。

「君に期待しているぞ。ブレーメン」

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