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青い空に向かって荒野の赤茶けた大地が真っすぐ伸びて真っ直ぐな地平線で分けられている。青い空も地表に近づくに連れて薄く白い雲がかかり、地と空の境を曖昧にしていた。
地平線。子供の時学校で習った。ブレーメンの里は山がちなので地平線を見るにはヒトの住む街まで出なくてはいけない。そういう珍しい光景のはずだったのに。
文明から遠く離れた寂れた地の変わり映えのない日常。強い日差しがジリジリと照りつけるがまだ早い朝方のせいか風は冷たい。乾いた風が眼球から鼻腔へ容赦なく乾燥させる。今日も暑くなりそうだった。
ニケは砂埃の舞う
「───それでね、あたし言ってやったのよ、
ニケは天性の真面目さゆえにラジオなんて持ち歩かない。だが
ニケは後ろを歩く歩哨の相方に適当な相槌を入れながら砂埃にまみれた電線を指でなぞって被膜の劣化が無いか確かめながら歩いた。
もっとも、そんな真面目に歩哨をする兵士なんてニケを除けば強化兵たちだけだった。一般兵はみな
ここ一五八〇高地は荒野と砂漠が続く
正義感があふれる一般兵はこういう前線に憧れ志願するが大抵は1ヶ月後には退屈な日常に嫌気が差して
「───それでね、あたしの決め台詞『
本来なら軍曹のニケがわざわざ歩哨なんてしなくていいのだけれど、指揮下の強化兵の中で1人浮いていた彼女を不憫に思って一緒の班になったわけだが、その理由は大体わかった。
彼女───左耳のタグに“一二一三”と刻印のある彼女は、並の強化兵と違ってよく喋ったし表情も豊かだった。階級章は襟元に小さく刺繍されていた。小さな丸が2つの上等兵。そして武器はニケの持つ三三式自動ライフルではなく狙撃用の照準器のついた旧式の八二式ライフルだった。
「───“まった”は無し。うん、無しだった。だって曹長がいい出したルールだもの」
ニケの指揮する分隊の10人の強化兵については本部から回された資料を読む限りは、“一二一三”の識別番号の横の備考欄には優秀な
「───軍曹殿もいかがですか」
久しぶりの丁寧な言い回し。
「いや、やめとく。そういう賭け事は
曹長───どの
「というか、どうしてお前が金を持ってるんだ? 賭けられる給金はもらっていないだろ」
「あれ、最初に言いませんでしたっけ。賭けたのはトゥインキーですよ」
ニケは思わず眉をひそめた。
「あのただただ甘ったるいケーキだろ」
常温でも保存できるケーキ、とあって荒野の前線基地によく配給で回ってくる。歯が溶けるくらい甘い。味覚はブレーメンもヒトも、ヒトを
「へへへっ、トゥインキーを40本も勝ち取ったの! すごいでしょ、へへへへ。次の配給はいつかな。ね?」
「補給の
顔を見なくても分かる───背後を歩く彼女はどうせしょぼくれたふうにしている。
「記録、電話線の皮膜が劣化して剥がれてる。ここも補修申請に書いておいてくれ。というか先月も同じだったぞ。ずさんすぎる」
“一二一三”の彼女はバインダーに目を落とすと鉛筆でかりかりと記入していく。銃のメンテナンスオイルの染み込んだ細い指先がトナーの薄いコピーした報告書の上を泳ぐ。
「できました! へへへ。軍曹殿といっしょだとなんだか楽しいな」
「お前、変わってるな」
「よく言われるんです。あたし。変だお前、うるさい黙れ、あと何があったかな。声が
ニケは足を止めて台座──塹壕から頭一つだけ出して突撃してくる
まずい。同じ強化兵の輪から外れているのを見てフォローするつもりで歩哨に連れ出したのに。“一二一三”の彼女は明らかに肩を落として、ライフルの
「俺が悪かった。すまなかった、言い過ぎたよ。変わってるだの変人だのと言われて
「えっ、名前? あたしのですか」
「いつまでもその認識番号じゃ呼びにくいだろう。となりの分隊長も部下の強化兵にそれぞれ名前をつけている。彼女の場合、ぬいぐるみみたいに名前をつけてはいるが……そうだな、じゃあ赤2、はどうだ? 赤毛の強化兵が1人いて、お前は染めた赤髪だから赤2」
「もっと名前っぽいのがいい」
「じゃあ何か好きなものは? 名前っていうのはそういうのに由来することが多い」
「んーと、トゥインキー、2号糧食、カード、小枝ちゃん」
「“小枝ちゃん”?」
「あたしが持ってるこの八二式ライフル、強化兵の仲間内の呼び名なんだ。旧式でボルトアクションで心もとないって言う意味で。でもでもあたし、このまえの
このまえ──2週間ほど前の遭遇戦だったか。回収された
さらに続いて彼女の成果披露は続いた。訓練所での射撃訓練、アイアンサイトでの狙撃、2町もの距離で狙撃を成功させた話、
「名前は、リンだ」
「リン? それがあたしの名前」
「ああ。その赤く染めた髪とあと……
「うんうん、気に入った。リン。はじめまして!」
小躍りするように踊っている。リン──南部の山岳地帯に住んでいる小鳥の名前だった。ブレーメンの里の外に住んでいて、赤い尾羽根と甲高い声で鳴く鳥だった。目立つ色と声で新人狩人の練習の的だが、彼女を見た第一印象とうり二つだった。
「あはっ、リン。あたしはリンです!」
リンはクルクルと両手を広げながら回った。
「ま、喜んでくれたならよかったよ」
「これからもずっとついてくね、軍曹殿」
「“ニケ”だけでいい。俺はヒトと違って肩書はあまりこだわらない」
あらためまして、とリンの細い指を握って握手した。
肩書にこだわらない──自分自身の生き方じゃない。捨てたはずのブレーメンとしての生き方だった。里に上下関係は無い。たしかに剣技を学ぶ上での師匠と弟子、上級者と未熟者という区分はあるがあくまでそれは剣技の技量の差にすぎない。皆平等に助け合っている。だからこそヒトの社会に出てきて、階級や富者と貧者、常識者と
歩哨再開。担当地区を1里ほど歩いて帰らなければならない。だらだら歩いていたら夕暮れまでに帰れない。ニケはコンクリート製の重厚な
「破損報告だ。ここも電線が劣化している。掩体壕も鉄骨が錆びているしそこの木の板も腐って穴が空きそうだ。いっそのこと基地司令の管理能力の低さを上に直談判してやろうか。ちょうどオーランドから武官が来てる。噂じゃ軍務省勤めの大尉だとか」
リンは鉛筆を持った手を走らせながら、
「ニケもたいがい変よね。一般兵なのに仕事熱心」
「熱心に仕事をするのが、ヒトの社会のルールだからだ。ルールっていうのはバラバラなヒトがひとつの方向に一緒に歩いていくための手段だ。ルールを守ること自体が目的ではない」
自分の言葉じゃない──初配属後によくしてくれた先輩の言葉。そして思い浮かぶ
ふと、バインダーから顔を上げたリンと目が合った。
「変わってるといえばその目の色」リンが
しかしニケは眉を細めた。
「目の色が
「そうそうそれそれ!」
リンがニケに急接近した。わずか1尺の距離でニケの瞳を覗き込んだ。鼻と鼻がぶつかりそうだ。
「もしかして、ブレーメンなの? ねぇねぇ、すごい。どうして言わなかったの?」
ニケはわざとらしく
「さ、行くぞ。次の掩体壕まで距離がある」
「ねぇねぇ、隠すことないじゃん。緑の目」
「若草色だ。そう思ってる」
「で、ブレーメンは? どうして隠してたの?」
「言う意味が無いから、だ。どうしてブレーメンのことを知ってる? 会ったことがあるのか」
「うん。訓練所でね。すっごいお年寄りなブレーメンが来て格闘術の指南をしてくれたの。で、あたしはずっと何度も何度も組手を挑んで。で『ガッツがある。お前は良い兵士になる』ってほめられちゃったんだ。えへへ。ニケはその人、知ってる?」
「知らない。何百人もヒトの軍に志願している。顔見知りばかりじゃないからな」つとニケは横目でリンを見た。「他にブレーメンについては? 外見はヒトとそう変わらないだろ」
「うん、変わらない。でもすっごく強い。そうそう、本気を出したら若草色の瞳が黄色に輝くんだよ! あとは、うーん? どうだろ。派手な入れ墨があって、それと──」
「剣を持っている」
「そう。そのおじいさん、すっごい幅広な剣を持ってたよ。振るうところは見せてもらえなかったけど。ブレーメンってみんな──」
「全員じゃない。剣技を継承していればそれに合った剣を。一般的なブレーメンならナイフを受け継ぐ。青く輝く神剣。
「ニケは、うーん、入れ墨がない! 軍規を守るため?」
「違う。両親が死んだからだ。両親がいなければ
両親の滑落死。ヒトならまだしもふつうブレーメンがそんな死に方をしない。そのせいで里ではさまざまな噂が飛び交った。悪霊のせいだの
「そっか。ごめんね、ニケ。辛いこと言っちゃったかな」
「ふん。もう6年も前のことだ。もう吹っ切れてる。剣がなきゃブレーメン本来の力を発揮できないが、それでも強化兵より強いし
「この前の慰安会で見た映画がきっかけ。家庭とか親とかそういうのはわかんないけど、訓練所で育ったみんなは
映画を見たくらいで感情を理解できるわけがないだろうに。大抵の強化兵と違ってリンは柔軟性がある。
「お互い、変わり者同士か」
ニケとリンは小石を蹴飛ばしながら乾燥した荒野を切り取るようにして掘られた塹壕を更に進んだ。途中、掩体壕で眠たそうにしている強化兵の分隊と出会った。彼らは交代が来た、と一瞬目を上げたがただの歩哨とわかると興味がなさそうに瞼を半分閉じた。
「じゃあ、ニケは
リンは掩体壕からしっかり離れたのを確かめてから言った。
「いや、ない。
「あたしはね、へへへ。ほら。10匹」
リンは肩に掛けていた
「実際に倒したかどうかなんてわからないだろ」
「あたし、見たもん! 照準器越しに緑の鮮血がプシャーって飛び散って、で動かなくなるの。バイタルポイントを狙えばそんなもんだよ。今までで10匹」
リンは誇らしげだった。多分嘘じゃない。彼女の優秀さはうすうすわかっていた。変わった強化兵なら戦闘技術も上々だった。
「俺は、そうだな。ヒトを100人は殺めた」
「もう、目付きが悪いのにその上、意地悪だなぁ」
「初めて言われたよ。そんなこと」
いや初めてじゃない。幼い頃一緒に野山を駆け回った幼なじみがいた。まったく流派の違う剣技をお互いに習いことあるごとに力比べをしていた。その彼女の言葉──いかないで。ぜったいさがすから。
腰に下げたホルスターに収まっている古びた私物の拳銃を撫でた。6年も経っているのにまだ過去に囚われている。
「ま、ブレーメンにとってみたら
「うわぁ、すごい。60匹も」
「匹じゃない。壊滅させた敵の小隊の数だ。1匹ずつ数えるのが面倒だから死体の一山ごとに1と戦果を数えるんだと」
「うへ、ブレーメンが味方で良かった」
「だろうな。ま、正式なブレーメンじゃない俺はそこまでは戦えないからヒトの軍隊の戦術を学んだってわけだよ」
最後まできちんと学んでいれば、何事もなければ。荒野の前線で変わらない日々を過ごすことはなかったのに。運命という言葉は嫌いだが偶然がいつも悪い方向へ転がる。
長老たちの言う宿命、
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