第12話 かわいい曲

 桜はぐちゃぐちゃになったプリンを見ながら、一樹の話を聞いた。好きな人のためにその人を諦めて海外へ行ったこと、そこで同じアパートにいた日本人のバレエ留学に来ていた二つ年上の女性に出会ったということ。そして彼女は怪我が原因でバレエを辞めてしまい、一樹の世話をしてくれるようになって、結婚したということ。でも一樹がその頃、ピアニストとして成功しかけていたので、いろんな国で演奏することになり、奥さんだけ日本に帰ってきたということ。それから奥さんが知らない大学生と心中したということ。そして好きだった女性から声をかけてもらって、日本の大学でピアノ講師をするようになったということ。

「それで、イマココって感じですか」

「今ここ?」

「はい」と言って、桜は深いため息をついた。

「プリン、食べないの?」

「食べます。…でも…生きていくのが怖くなりました」

「え?」

「だって。まだそんなにたくさんの試練があるかと思うと…人生、辛いです」

 一樹は吹き出してしまった。

「なんで笑うんですか? だって、悲しいじゃないですか。好きな人とも一緒になれなくて。奥さんは違う人と死んじゃうし…」

「君だって相当な経験をしたと思うけど」

「私が悲しいのは…私が信頼してたのに裏切られたってことで…。彼が死んだのは…カーブを曲がりきれなくてっていう事故で。恋人が亡くなったんじゃなくて、裏切り者が亡くなったんです。だから…」

「…だから?」

「だからなんで死んでしまったのかって…。二股かけてたことも反省もせずに死んでしまって。許せません。怒りが沸々と湧いて止まらないです」

 そう言いながら、涙が溢れてきている。そういう風に泣けたり、怒れたらよかったのかもしれない。一樹は口を横に引っ張って涙を拭っている桜を見て思った。

「好きだったの?」

「あんなやつ…好きじゃないです」

 そう言って、プリンにスプーンを入れた。泣き怒りながらプリンを食べる桜を見て、一樹は唖然とした。なんというか、生命の塊の様な、触れると熱さを感じるような気がした。

「僕の勝手な想像だけど、彼は君のこと好きだったんじゃないかな。他の人がいても」

 プリンをドンと音を立てて置き直した。

「じゃあ、なんで浮気なんかするんですか?」

「それは理性が弱かったんじゃない?」

 桜は唇を噛んで唸っている。

「まぁ、浮気していい理由ではないけどね」

「…寂しがり屋でした」

 いよいよ大泣きしそうなので、一樹はティッシュを箱ごと渡した。そして明日、ラジオ局で演奏する予定なので、さっさと食器を洗ってピアノを弾こうと思った。キッチンで皿を洗いながら、なぜだかふと優しい気持ちになった。すると多少、足をひきづりながら桜が近づいて来て「私がやります。一樹さんはピアノの練習してください」と言った。

「いいよ」と断ると、横からじわじわ押してきた。

 仕方なく、水で手を注いで交代することにした。

「足、大丈夫?」

「はい。もう大分良くなりました」

「…明日、ラジオ局行くんだけど、一緒に行く?」

「え?」

「東京観光して帰るって言ってたから…」

「お邪魔していいんですか?」

「大人しくできるでしょ?」

 桜は首を何度も振って頷いた。一日中家にいて退屈していたに違いない。泣いた後なのに、嬉しそうな顔を見せて「ありがとうございます」と桜は言った。こんな子を泣かせるなんて、と少し、一樹も腹が立った、と同時にそんな気持ちになった自分にも驚いた。

 ピアノでWaltz for Debbyを弾く。作曲者の姪のために作られたという可愛いらしい曲は桜にぴったりだった。姪は二歳だったけれど、と一樹は苦笑いをした。携帯が鳴って、桜が慌てて持ってきた。

「あ、取りに行くから」と言って、一樹が出ると、山崎だった。

「おーい。今日、来なかったから、明日のことなんだけど」と時間と集合場所を教えてくれる。

「あ、一人見学連れて行っていい?」

「見学? いいよー」と軽く返事してくれた。

 電話を切って、時間を場所をすぐにスケジュールに入力した。すると山崎からもメッセージで時間と場所を送ってくれている。いい加減に見えて、仕事はきっちりしている様だった。

「その曲、素敵ですね」と桜は言った。

「君に似合うよね」

 そう言われて、桜は目を大きくして、すぐに背中を向けて、キッチンに向かった。

 

 

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