第29話 自己韜晦-2
「へぇー、まさか勘付かれていたなんてね……。」
ぜえぜえと肩で息をしながら余裕ぶった表情で話すその人物に僕たちは見覚えがあった。
「うそ……。」
「どうして、宮良くんが、私に、ストーカーなんて……。」
許斐さんは激しく狼狽している様子で、録画中のスマホを此方に向けるので精一杯のようだ。
「許斐ちゃんが悪いんだよ。俺たちは小さな頃からずーっと一緒だったのに、何処の馬の骨とも分からないような陰キャが好きだとか適当なこと言って、僕の想いを無下にするんだから。」
宮良は身勝手な言い分をべらべらと並べ立てる。こいつと許斐さんは幼馴染だったのか?
「照れ隠しだったんでしょ? 昔から許斐ちゃんの傍にいた俺よりもぽっと出のチビの方が好きだなんて、あり得ない冗談だもんねぇ。」
宮良が僕のコンプレックスを侮辱した途端、許斐さんが怒気を孕んだ声を上げる。
「ふざけないで! 貴方みたいに隠れてこそこそ嫌がらせをするしか能のない人よりも、優しくて、誠実で、誰よりも努力家な
僕は意図せず許斐さんの本心を知る。──ありがとう、許斐さん。
「どうしてだよ……。なんでそんなこと言うのかなぁ……。」
「わかった! こいつに脅されてるからそんな思ってもいないようなことを言わされているんだ!」
すると宮良は突然凄まじい勢いでじたばたと暴れ出し、僕の拘束を振りほどく。
「無駄だぞ! 撮影中の動画にはお前の顔と、自供とも取れる内容の発言が収録されたはずだ。」
「これを警察に持っていけば、ほとんど証拠を残さなかったお前とはいえ逮捕は免れない!」
僕は宮良を取り逃がすまいと咄嗟に口走る。
「なんだよ。まさか俺がこの場からおめおめと大人しく逃げ帰るとでも、思ってるのか?」
「なに……?」
「お前が居るから許斐ちゃんと俺は幸せになれない……。お前が消えれば! 許斐ちゃんと俺は1つになれる!」
そう言って宮良は、何処ぞに隠し持っていたのかナイフを僕に突きつけた。刃渡り10cmは優に超えていそうなコンバットナイフに一瞬怯んでしまうが、
「否己くん、ダメだよ……! 逃げよう!」
「逃がさないよ。お前はここで必ず殺す……!」
「やれるもんならやってみろ。こっちこそ、お前を絶対に許さない……!」
最早後戻りはできない。どんな結末を迎えようが、ここで全てが決着する。僕は命懸けで許斐さんの
「殺す前に1つ聞いておきたいことがあるんだ。」
いけしゃあしゃあと宮良は言う。
「いつから俺の本性に気付いていたんだ?」
「最初に疑問を抱いたのはある日お前がゼミを欠席した時だ。」
──そう。宮良が月曜日の講義を欠席する2日前の土曜日に、丁度僕たちは宮良による襲撃を受けていた。僕の息の根を止めようと鈍器を振りかざした宮良の犯行を阻止するために許斐さんが体当たりした結果、宮良の体は壁際に吹っ飛ばされて頭を強打していたためだ。その時、宮良がぶつかった壁には明らかに僕のものではない血痕が残されていた。
「あの時、お前は許斐さんに返り討ちにされたことで頭から流血していたはずだ。そのことを僕は見抜いていた。」
「僕も同じような怪我をさせられたから分かる。頭部の挫創は2日そこらで完全に治癒するものじゃない。包帯だのガーゼだの、最低限の処置をしなければ傷はかなり目立つだろう。」
「そんな状態でのこのこ大学にやって来たら、あの時の路地裏での襲撃犯は俺だ、と、そう自白しているも同然だからな。」
加えて、1週間程度許斐さんにストーカー被害の記録をとってもらった際、宮良が怪我を負って学校に来ていなかったと思われる月曜日から数日はストーカーからの迷惑電話は増加した反面、尾行や監視は減ったという点も状況証拠として成り立っている。ある日を境に犯人の気配が再び近づいたという記録も、おそらく宮良の怪我が治癒して通学を再開した時期と一致するのだろう。
「だから講義を欠席した俺が犯人だって決めつけたの? 余りにも理由が消極的じゃないかな……?」
──確かに、それだけで宮良が犯人だと確信を得た訳じゃない。
「お前が襲ってくる前の親睦会、僕はお前に許斐さんの異変のことで相談していた。」
「そのときお前は詳細な仮説を立ててストーカーの動機や行動について事細やかに言い当てて見せた。」
「お前が他者の変化に
宮良はゼミでのグループワークの際に、類まれなるリーダーシップを発揮するなど、有能で仲間想いな一面を併せ持っていた。今となってはそれもある種の演技だったのかとも思うが、そんな宮良であれば許斐さんが僕の告白を断った
「だがそれも自身の犯行を誰かに看破されることを恐れていたために、許斐さんの違和感に疑問を持つ人間に先手を打って、親身に協力する姿勢を見せつつストーカーの行動原理をある程度開示することによって信頼を得るためだった。」
「そう考えれば、ストーカー本人が自ら手の内を明かすという、その矛盾した行動にも合点がいく。」
「身近な相談者として僕に接近していれば、僕がどこまで情報をつかんでいるのかを常に見張り続け、もし真相に辿り着こうという兆候があれば口封じ、端的に言えば殺人をも視野に入れていた。そういうことだろう! 違うか……!」
僕は自分で宮良の思考を紐解いていくうちに、怒りが抑えきれなくなってくる。
「お見事! あん時は俺も酒が入ってたから少し喋りすぎたけどね。その通りだよ。だから今こうしてお前をぶっ殺してやろうとしてるんだろうが!」
僕の怒鳴り声に呼応するように宮良が殺意を剥き出しにして
──宮良は僕の説明に納得したようだが、正直言って、宮良をストーカー本人だと確定させるには証拠不十分だったのは否めない。相当の可能性を以て宮良を犯人に指名した上で今回の作戦を練ったことは嘘偽りないが、それでも残りは直感と運任せだった。許斐さんの下に脅迫文が届いていた以上、残る猶予は限られていたし、今回のような計画を急いで立案して実行に移す必要があった。結果的に色々な幸運が重なり合って犯人である宮良を追い詰めるに至った。ここでやられてしまっては今までの努力が台無しだ。
そのとき、先程までスマホで動画を撮影して証拠保全に努めていた許斐さんが宮良の背後からひっそりと忍び寄りナイフを叩き落とす。
「否己くん、今!」
実は僕と許斐さんは、お互いに目配せして宮良が持っている凶器をどうにか手放させることができないか模索していた。まさに
僕は絶好の好機を逃すまいと宮良にこれまでの
──ガッ。
手応えありだ。奴の頬に僕の渾身の拳が命中する。宮良は一瞬
「てめぇ! ふざけやがって!」
宮良から打ち下ろされるように放たれる右腕を僕は間一髪で回避する。奴と僕には頭1つ分くらいの身長差があるため、重力の関係で命中すればダメージが大きいのは僕の方だろう。
加えて、各種格闘競技においては体重別の階級が定められているように、僅かな体重差によって近接格闘の有利不利は決定する。つまり、身長が高い分だけより体重が重いと考えられる宮良の方が僕よりも有利であると、客観的には考えられる。しかし、所謂ガタイの良さでいえば僕の方が上回っている。一般的に鍛えられた筋肉は密度が高くなるため、低身長で体全体の体積が小さい僕でも体重は重くなる。従って、体重差によるアドバンテージはある程度縮まっているはずだ。
とはいえ、どれだけ御託を並べようとも、宮良が依然として有利な状況にあることは変わらない。僕は宮良の攻撃を紙一重に躱しながら、蹴り技も駆使して一方的に宮良に打撃を与える。
「くそが!
すると宮良は一向に当たらない打撃を諦めたのか、一気に僕との距離を詰めてその体格差を存分に生かした寝技に移行するため、手四つの力比べで僕を押し倒そうとする。僕も負けじと応戦して両手にありったけの力を込めて押し倒し、逆にマウントポジションをとった。僕は奴の抵抗力を削ぐため両拳で苛烈に攻め立てる。だが、目前の忌々しい男を無力化することに一心不乱となっていた僕は、致命的な見落としに気が付かずに最悪の事態を招いた。
──ザシュ。
刹那、僕の脇腹には許斐さんが叩き落としたはずのナイフが埋まっていた。刃渡り10cm以上のナイフが、凡そ半分近く刺さっているような気がする。
「ぐぁ……!」
叫ぶこともできず、唸り声を上げながら僕はその場に横たわるようにして倒れこんだ。
「っ、いや……! 否己くん!」
許斐さんの悲痛な叫び声が聞こえる。ダメだ。彼女を守らなければ。しかし、思うように声が出ないどころか、呼吸が浅くなってなかなか立ち上がることもできない。
「舐めやがって……。俺を甘く見るからこういうことになるんだよ……!」
宮良は今度こそ僕に止めを刺そうとナイフを利き手に持ち替えて立ち上がる。
「やめて! 貴方の望みは私なんでしょ? 何でも言うこと聞くから、否己くんのことは見逃してあげて……!」
許斐さんは倒れこむ僕の前に立ち塞がって
「こいつはまた死損なって俺の邪魔になるかもしれないからな。許斐ちゃんを脅して無理やり従わせるような鬼畜は、俺が処分しなくちゃねぇ……!」
──このままでは今度こそ殺されてしまう。僕は正真正銘、最期の力を振り絞って宮良が凶器を持つ右手に掴みかかる。ナイフを奪おうと取っ組み合いになるが、脇腹を刺された僕は余りの激痛によってうまい具合に力が入らない。
「っ、この、鬱陶しいぞ……! いい加減くたばりやがれ!」
──ズ、ズズッ……。
次の瞬間、宮良がナイフを持つ手を全力で押し込むと、腕力が弱まった僕の血濡れの手をナイフが滑り抜け、胸元に深々と突き刺さった。
「いや……、いやぁあああ……!」
──許斐さんの泣き叫ぶ声が遠くに聞こえる。一体何が起きた。どうしたんだろう。僕は状況が一切理解できていなかった。だが、そんなことは最早どうでもいい。分かっているのは、許斐さんの泣いている原因が目の前の外道にあること、そして此奴を倒せるのは、僕だけだということだ。
「ざまぁみろ! やったぞ……! 遂に殺してやっ──がっ……!」
僕は声高に勝利宣言しようとする宮良の首を全身全霊の力を以て締め上げる。
「てめぇ……!」
ナイフは胸に刺さったままだ。僕は再びマウントポジションをとって奴の首元目掛けて全体重を乗せる。こうなれば気道や血管を閉塞させ、気絶させるまで締め続けるまでだ。
「っ、かっ……。」
宮良はじたばたと手足を動かして抵抗をやめなかったが、30秒ほど経過した時点でピクリとも動かなくなった。もしかしたら殺してしまったかもしれない。そんなことよりも、僕は自らを犠牲にすることでようやく許斐さんを宮良の
──許斐さん、もう泣く必要はないんだよ……。何故か泣き止んでくれない許斐さんの姿を心残りに、眠気に誘われるままに僕は瞼を閉じた。
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