第26話 自己犠牲-2
ストーカーからの電話に気分を害した僕たちは、誰も使っていない空き教室へとやって来た。勉強はもうこれ
「はぁ……。なんか、大変だったね。」
やれやれといった様子で微笑む許斐さんに、僕は肩透かしを食らったように唖然とする。
「う、うん。でも、大丈夫? いつもこんな迷惑電話を?」
「まぁ、今日は何時にも増して気持ち悪かったけど、最近はほぼ毎日だね。」
そういって許斐さんは僕に、ストーカーから受け取った電話の着信履歴を見せる。
「取り敢えずこれもスクリーンショットで保存しておいて。あと、さっきの会話、録音できてるかな?」
「うん、確認したけど、ばっちり
許斐さんは僕の指示通り、ストーカーからの電話が掛かってきた時点で録音を開始し、会話内容を証拠としてしっかりと保存していた。僕はバックアップとして、録音データを許斐さんから受け取る。
「でも、どれだけ証拠を集めたところで、犯人と直接結びつくような証拠がなければ警察も頼りにできないし、犯人の正体もわからないんじゃ……。」
「そうかもね。だけど、まずは約束通り1週間、気配や視線を感じたとか些細なことでもいいから、記録しておいてほしいんだ。」
「客観的で純粋な記録が必要だから、目的はまだ許斐さんに話せない。悪いようにはしないから、理解してほしい。」
僕は独自の考えに基づいて、許斐さんの協力を求める。今はまだ、僕の本意を明かす訳にはいかない。
「わかった。私は
許斐さんは僕への信頼と共に、無条件に協力する姿勢を示してくれる。僕は彼女をストーカーによる犯行の犠牲にしながら手掛かりを掴もうという手段以外に何も思い浮かばなかった自分を呪うと同時に、彼女の思いに何としてでも応えなければならないという責務を改めて実感する。
◆◇◆
1週間後の月曜日。僕は許斐さんが事細やかに記録したストーカー被害の一部始終が纏められた日記帳を受け取る。どうやら、以前と比較して、ストーカーから迷惑電話が架かってくる頻度は高まっている一方、尾行や監視といった付き纏い行為は明らかに減っていたようだ。しかし、最近になってその傾向が再び逆転して、実際に犯人が近くに居る気配を感じることが明確に増えたということが記録から窺える。──なるほど、僕の予想通りだ。
「許斐さん、僕、犯人がわかったかもしれない……。」
「え、うそ!?」
3限の講義が終了し、ゼミのメンバーが全員帰宅した教室内で、僕は念には念をと、誰にも悟られないようにあくまでも冷静に、こっそりと許斐さんに耳打ちするように話す。
「許斐さん、静かに!」
「ご、ごめん……。でも、本当なの……?」
僕の突然の暴露に動揺を隠せなかった許斐さんは、僕につられるように慌てて声のボリュームを下げる。
「少なくとも、可能性としてはかなり高い。直感的にだけど、僕個人としては、ほぼ確信してるよ。」
「でもどうやって……。いや、それよりストーカーの正体は、誰なの?」
許斐さんは脳裏に浮かぶ数多くの疑問から最も優先順位の高いものを僕にぶつける。
「それはまだ言えない。きっと許斐さんは動揺してしまうだろうから。」
「僕たちの目的は犯人を警察に突き出して許斐さんの安全を確保することだ。そのためには、ストーカー本人の犯行現場を押さえて、言い逃れができない状況を作出する必要がある。」
「っ、そんなこと、できるの?」
「できる。ただしそのためには、許斐さんの協力が不可欠だ。」
「私の......?」
「うん。許斐さんには、あくまで何も知らない状態で自然体のまま、一芝居打ってもらいたいんだ。」
僕は許斐さんのストーカーを現行犯として取り押さえるために、必死に考えを巡らせる。
「この間、ゼミの皆で親睦会を開いてもらったよね。その帰りに、僕たちは襲われた。」
「そ、そうだったね。」
「あの時はまさか犯人が本気で殺意を抱いていたとは知らずに完全に油断していたから、不意を突かれて危険な状態に陥ってしまった。でも、それを逆手にとれば、犯人を捕らえることができる好機ともなり得ると、そう思うんだ。」
「それは、そうかもしれないけれど……。そんな状況、2度も作り出すことなんてできるの?」
「僕らの大学はあと数日で長期休みに入るでしょ?」
そう、僕たちが通う大学は新型感染症の再拡大により各方面への対処に追われ、今学期は始業時期がずれ込んでいた。そのため、例年通りならばとっくに夏季休業に突入しているはずの8月になっても講義が残っており、代わりに9月から長期休業に移行する予定となっていた。
「そしたらタイミングを見計らって、慰労会的な感じで、ゼミのメンバーで飲み会をセッティングできないかな。」
「お酒が入った相手の方が犯人も襲い掛かってきやすいだろうし、どうかな。」
僕は即席にしては抜かりない計画に自信を見せ、許斐さんに提案する。
「ごめんね。その考えには賛成できないかな。」
僕は許斐さんの予想外の返答に狼狽する。
「え、どうして?」
「理屈としては筋が通っているんだろうけど、私はもう、否己くんを危険に晒すようなことは、したくない。否己くんが傷つくところは、もう2度と見たくないの。」
そのように言われてしまっては、返す言葉も見当たらない。そんな僕の心の内を察するように、今度は許斐さんの方から提案を受ける。
「だったら、私が
「そんな! それじゃあ許斐さんに危険が及ぶだけだ!」
「でも、それで平和な生活が取り戻せるなら、やるしかない。」
僕は決意に満ち満ちた彼女の瞳に、反論を許されていない気がした。
「わ、分かったよ……。だけど、ストーカーは慎重で、用心深く正体を隠してる。そんな奴がいきなり許斐さんを襲ってくるとは考えづらいんじゃ……。」
大切な人に傷ついてほしくない気持ちは、僕も一緒だ。一定の理解を示しつつも、可能な限り反論を試みる。
「それが、そうでもないんだよ……。」
そんな僕の考えとは裏腹に、許斐さんは一枚のコピー用紙を取り出して、僕に見せてくる。
「っ、これは……。」
どうやら、僕の想定は大きく間違っていたようだ。事態は一刻を争うかもしれない。
「じゃあ、その方向で、詳しい段取りを決めようか。」
僕と許斐さんは、来るべきストーカー確保の瞬間に向けた入念な作戦会議を開始したのだった。
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