追跡

第23話 自己反省

否己影太いなきえいたさん、診察室までいらしてください。」


「否己くん、呼ばれたみたいだよ……?」


 僕は許斐このみさんに付き添われて、脳神経外科の診療所に来ていた。今日は日曜日なのだが、近所に休日診療を実施している病院が見当たらなかったので、実家から少し距離のある街はずれの病院まで許斐さんの運転で車を飛ばした。僕たちはお互いに自動車免許を取得しているが、頭部を負傷している僕が車を運転するのは流石に危険だと判断した許斐さんが車を出してくれた。



 ◆◇◆



 件の殺人未遂から一夜明け、酒も興奮も完全に抜け切った僕は想像を絶するような痛みに飛び起きたことで一日が始まった。僕の唐突な深夜の帰郷に唯でさえ怪訝そうな顔をしていた両親だが、僕の起床と共に上がる悲鳴を聞いて只事ではないと察知したようで、僕は洗いざらい事の顛末てんまつを話す羽目になった。


 許斐さんにまつわるトラブルの概要と昨夜受けた挫創の理由を簡単に説明すると、両親は押し黙ったまま頷いて聞いていた。話が一通り済むと、母はに落ちない様子で言葉を発した。


「警察にも頼れない、犯人の目星もつかないじゃあ、貴方と許斐さんの身に危険が迫る一方じゃない。」


「それでも僕は、たとえ命懸けになろうとも、許斐さんを守ってあげたいって、そう思うんだ……。」


 すると母は再び口をつぐんで、大きく溜息をついた。そこで父が、入れ替わるように声を上げた。


「良く言った! それでこそ俺の息子だ。」


 昔気質むかしかたぎな父は母と対照的に、自ら危難に首を突っ込もうとする僕の拙く浅い考えを歓迎しているようだった。


「お前にとって、その許斐さんとやらは大切な人なんだろ?」


「そんな人が助けを求めてるんだ。ちょっと殴られたくらいで腰抜かして逃げちまうような奴に育てた覚えはないからな。」


 ──2人とも両極端だなあ。母さんにはもう少し僕の気持ちを理解してほしいし、父さんにはもう少し僕の身の安全を案じてもらいたいものだ。しかしまあ、何を言われようが僕の決意は固く、揺らぐことはない。


「聞いてくれてありがとう。ストーカーの正体はまだ分からないけど、全く手掛かりがない訳じゃない。少なくとも身近な場所に犯人が隠れている可能性が高いことはわかってるんだ。」


 僕は犯人が許斐さんの連絡先を把握していることや犯行動機が凡そ一方的な恋愛感情にあることなど、いくつかの情報を突き止めつつあることに触れ、説得を試みる。すると、ダイニングテーブルの傍らに置いておいたスマホが着信音と共に振動を開始する。おそらく、昨日病院へ行くと約束した許斐さんから安否確認の電話が掛かってきたのだろう。


「だからまあ、心配しないで……。」


 早々に話を切り上げて、電話に出る。予想通り、許斐さんからの電話を受けた僕は病院まで彼女の運転で送ってもらえるというありがたい申し出を受け、それに甘える形で現在に至る、という訳だ。



 ◆◇◆



「付き添いの方もご一緒に聞いていただいて構いませんが、如何いたしますか。」


 先程受けたレントゲンや頭部CTなど、仰々しい検査の結果を聞くために診察室に通された僕は、あれだけ心配してくれた許斐さんを一刻も早く安心させてやりたいと、彼女と一緒に医師の診断を受けることにした。当初、許斐さんは大袈裟おおげさにも脳神経外科を標榜ひょうぼうしている大病院まで足を運んだ方が良いのではないかと、僕の今朝の症状を聞いて慌てふためいていたが、意識も明瞭で自力で歩けていたため、彼女の反対を押し切りなるべく近所の診療所に連れて来てもらった。


「失礼します……。」


 遅れて診察室に入ってきた許斐さんが僕の隣に着席すると、年配の医師はゆっくりと診断結果を告げた。


「結論から言って、直ちに命を脅かすような致命的な状態ではありません。」


「ただし、頭蓋骨の線状骨折、まぁ所謂ひびが僅かですが見受けられますので、保存的治療を行いながら経過観察していきましょう。そうすれば、頭蓋内損傷も伴っていないようなので、特に後遺症も残らないかと。」


 医師から伝えられた内容は特別深刻なものではなかった。そのことにほっと胸を撫で下ろした僕の横で、許斐さんは僕以上に分かりやすく安堵の表情を浮かべ、大きな溜息をついた。


 僕は激しい運動を控え、再度の打撲に気を付けるよう念を押されて病院を後にした。止血処置として包帯が巻かれたこと以外に特別な治療介入がなかった代わりに、僕は経過観察のため近く再来院することを約束した。許斐さんは最後まで僕のことを心配してくれていたようだが、診察が全て終了して外に出て駐車場まで歩くと、緊張の糸が切れたようにへなへなと運転席に座り込んで呆然としていた。


「良かったぁー。待ち時間も長かったし何か異常があったんじゃないかって、気が気じゃなかったよ……。」


「心配かけちゃってごめん。でも、安心したら心なしか痛みも引いてきたような気がするよ。」


「それは良かった! 気が緩んだら急におなか空いてきたね。」


 確かに、妙に緊迫した空気に包まれていた僕たちは朝から無駄に体力を使ったためか、途端に空腹を感じ始めていた。しかも、病院には朝一に到着して9時に受付を済ませたはずだが、諸々の手続きが完了して病院を出て、時刻を確認すれば既に正午を迎えていた。


「折角だから、許斐さんさえ良ければ何処か外食しに行こうか。」


「そうだね。じゃあ、出発しまーす!」


 許斐さんはいつもの調子を取り戻したようで、元気よくアクセルを踏んだ。

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