幕間 ─another side─

 私は関東地方南部に位置する高等学校に通う新2年生、許斐佳容このみかよ。数多くの出会いと別れを繰り返す季節である春を迎え、各々の進路に向かって羽ばたいていった卒業生たちを見送る傍ら、新入生を迎え入れる立場となった私は、今般2年生にして生徒会長に抜擢ばってきされた。


 慢性的な人材不足が寄与した結果ともいえるが、友人や教師との幅広い信頼関係と日頃から気を配っていた内申点によって、代表として立候補した翌週にはあれよという間に当選していた。特別目立ちたかった訳ではない。率先して学校行事をまとめ上げていこうという意欲があった訳でも、有名大学へと進学するために内申点の更なる向上を求めていた訳でもない。──ただ、私はだったから、斬新な何かに挑戦して自分に自信をつけたかっただけなのだ。


 ──私は、自分を好きになれなかった。どれだけ頑張って勉学に打ち込んでもテストで学年1位の座を奪取したことはないし、スポーツの競技大会で優勝するといった経験もない。何らかの善行や功労によって社会的貢献を表彰されるなど、そんなことも当然ない。端的に言えば、私は特定の分野で1番になりたかったのだ。しかし、何をやっても今一つ熱中できずに、器用貧乏に終わってしまう私は自身を無価値な人間なのだと、諦観の境地に達していた。周囲の人間は私のことを才色兼備の完璧超人だと持て囃すけれど、私の内面的な要素を良く知らない関係値の低い人々から遠巻きに放たれる羨望の声など、私の空虚な自尊心を満たすことはない。


 そんな私も今度こそはと、意を決して就任した生徒会長として与えられた最初の仕事は、在校生代表として新入生の入学式で祝辞を述べることだった。一身に降り注がれる期待の眼差しに反して、不安と緊張に押し潰されそうな私にできるのは自作の台本を暗記してひたすら練習することのみだった。


 新入生の入学当日、式は滞りなく運び、あっという間に私の挨拶の番が回ってきた。教師や生徒たちは勿論、彼らの保護者や学校関係者も一堂に会して私が発言するのを今か今かと待ち侘びている。手足を微細に震わせながら、冷や汗をかく私の姿は彼らの目に、どのように映っている事だろう。自己肯定感の欠如した私の関心事は、何時でも何処でも余所目ばかりだ。あの人は私をどう思っているのだろう。この人に迷惑はかけていないだろうか。昔からそんなことばかり考えていたせいで、何時しか私は広く浅く、中身の伴わない人間関係を手にする代償に、他人の評価ばかりを気に掛ける人間になってしまった。


 ──複雑多岐にわたる事情から、中学卒業を機に就職したり、進学以外の進路を選択したりする若者もいる一方で、折角高校進学を果たした新入生諸君には私のような人間になってほしくない。そんな思いの丈を赤裸々に語っていると、私は知らぬ間に時間一杯まで喋り尽くしていたようだ。台本を暗記したまま機械的に祝辞を述べるのみだったはずが、私の人生経験に基づいた説教臭くも正直な思いが響いたのか、会場は割れんばかりの拍手喝采に包まれていた。


 結果的に、私の演説は新入生含む在校生全員の心を掴んだようで、卒業までの期間、私の人気はうなぎ上りだったみたいだ。また、生徒会長としての任期も同じく、卒業に至るまで継続した。在学期間のおよそ3分の2を生徒会長として過ごし、母校の学生自治に貢献したというのは、史上初めての長期政権だったようで、漸く私は1番になった達成感を味わい、僅かながら自信を持つことができた。


 そんな私にとって、在りし日の高校生活に残してきた唯一の後悔と言えば、もっと仲間との絆を大切にすべきだったということだろう。中途半端に幅広い人間関係を構築していた私は、必然的に一人ひとりとの関わり合いが希薄きはくになった。親友と呼べるような気の合う友人も、ましてや恋人なんて出来るはずもなかった。皆が私と一定の距離を保って、遠慮がちに接していたように思う。──私という人間は、そんなに近寄り難いのだろうか。


 しかし私には、高校時代の日々を回顧かいこすると、必ず思い出す人がいる。それは私が入学式で祝辞を担当した高校2年生の春、入学試験で満点を取った秀才がいると話題が巻き起こったことに始まる。学校創立以来の快挙に皆がその逸材を一目見ようとあちこちを奔走し、新学期早々に忙しない雰囲気が校内に漂っていた。


 No.1に執着していた私にとって、入学早々に前人未踏の偉業によって一躍有名人となった新入生に対して嫉妬心を抑えられなかった。その憎らしい顔を私も一目拝んでやろうかと、人だかりができていた教室に足を運べば、新入生同士打ち解け合うように複数のグループが会話を楽しんでいる中で、ぽつんと隅でそっぽを向いている男子生徒の姿を認めた。


 彼の名前は否己影太いなきえいたと言うらしい。その名に違わず孤影悄然こえいしょうぜんとした姿で窓の外を見ながら座っている彼の姿を見て、気が削がれたかのように興味をなくして去っていく人だかりの傍らで、私は彼に目を奪われたまま呆然と立ち尽くした。彼は私が持っていないものを持っている。でも視座を変えれば、逆もまた然り。私は私で、彼にないものを持っているはずだということに気付いた。


 私はそんな簡単なことにも気付かずに、あれが欲しい、これが欲しいと強欲に何でも手に入れようとして、手に入らなければ自分の弱さを憂いて勝手に傷ついていた。──それではダメなのだ。手に入らないものがあるからこそ、人々は互いに手を取り合い、足りない部分を補い合う必要がある。だから人間社会は成り立っているのだ。初めから完璧なんて目指さなくても良い。手の届く範囲から、着々と努力を重ねて、そんな自己研鑽の過程で誰かの役に立つことができればそれで十分じゃないか。


 嫉妬に突き動かされていた私の欲深い向上心は、彼の物静かな背中にさとされるように鎮まっていった。彼はきっとそのことを理解しているからこそ、あんなにも平然と周囲の目を気にせず堂々と自然体に振舞うことができるのだろう。──素敵な人だな。いつか私もあの人のように胸を張って生きていけるようになりたい。そう思った私は、その日から彼の背中に憧れを抱いて、目標として邁進していこうと決心した。


 ──だから、高校卒業を間近に控えた冬のある夕暮れ時、放課後の教室に呼び出され告白を受けた相手があの否己影太いなきえいた本人であると知ったときには、思わず自分の耳を疑ったものだ。正直なところ、私個人の我儘を通すことができるのなら即座に色良い返事をしたいところだ。だが、私は都内の私立大学へ進学を決めており、彼とはおよそ1歳とはいえ年の差があるだろう。であるならば、ここは年長者として己を律して、まずは私の考えを伝えてから彼が全て理解した上でそれでも私との交際を受け入れてくれるのか、確認する必要があろう。


「ごめんなさい。私はもう後少しで卒業しちゃうし、進学先は都内の大学だから疎遠になることは避けられないと思うの。だから、いろいろと不便をかけることになるかもしれないけれど、それでも良い……?」


 彼は茫然自失とした様相を呈しており、先程までの緊張感で凝り固まった表情から一気に脱力して「そうですか、すみませんでした」と言い残してその場を去ってしまった。──そう、だよね……。私は容姿と性格を褒められることが多かったので、彼からの告白にこちらから前向きな姿勢を見せれば断られることはないと高を括っていたが、どうやら過信だったようだ。期待感を裏切られた悲しみに涙を一粒溢しながら帰路に就いたのを、今でもはっきりと覚えている。



 ◆◇◆



 ──いざ思い返してみると、この頃から色々とすれ違ってたんだなぁ、私たち。ストーカーからの思わぬ強襲に命からがら退散して、帰宅することができた私は、否己いなきくんとの記憶に想いをせていた。高校時代から逞しく大人びた印象を与えていたことにより近寄り難い雰囲気を醸し出していた彼は、話してみれば意外と臆病で可愛いところがあるただの青年だった。ショックを受けると自暴自棄になって極端な思考に陥りがちなところも、私とそっくりだ。否己くんと私は、存外に似た者同士なのかもしれないということに、最近気付いた。


 ──私は否己くんのことが大好きだ。多分、高校時代からずっと。否己くんは最初から自分の一方的な片想いだと誤解していたようだけど、本当は違う。私も高校時代から彼のことは心のどこかでずっと考えていたのだと、今思い返せばしみじみとそう感じる。でも、それを伝える勇気は私にはなかった。ずっと彼の勇気に助けられているんだ。


 それにもかかわらず、私は彼の想いを2度も無下に扱ってしまった。不可抗力とはいえ、決して許されるものではない。だから、もう一度私から彼に想いを伝えて付き合って貰おうなどと言うことは許されない。何度も勇気を振り絞って交際を申し込んでくれた彼の想いに報いる機会をことごとく逃してきた私が、今更自分から告白しようなどとは虫が良すぎる。


 どんな時でもせめて誠実な態度で接したいという私個人の哲学に依拠いきょした我儘だというのは百も承知だ。だが、ストーカー行為の恐怖に支配された私の頭は、正常な判断を下す能力を著しく低下させていたため、このように偽善的な結論を導出するだけで精一杯だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る