第19話 自己欺瞞-3

「へぇ。そんなことが……。」


 宮良みやら先輩は僕の話を特に驚くような素振りも見せず、泰然たいぜんたる態度で聞いていた。


「でもそうなると、1つ気になることがあるよね。」


 先輩はそう僕に指摘する。


「なんだろう。わからないけど。」


「簡単なことだよ。なんで許斐このみちゃんは前もって君との約束を中止したり、延期したりしなかったのかってこと。」


 ──確かにそうだ。その理由が分かれば、何故許斐さんが自身の抱える悩みを周囲に打ち明けることをかたくなに拒むのかなど、他の秘密をも紐解ひもとく手掛かりになるはずだ。


 僕は話し込む内にぬるくなってしまったビールを一気に仰ぐ。気づけば1時間が経過していた。既に卓上にあった大瓶は空になっていたので、今度は料理に合いそうな芋焼酎を水割りで注文する。


「何かトラブルに頭を悩まされていたにしても、それをあらかじめ伝える訳でもなく、態々わざわざ約束の当日を迎えてから、結局影太えいたくんの告白を断った。」


「許斐ちゃんの正直で人思いな性格とはかけ離れてるというか、矛盾した行動だったように感じるんだよねぇ。」


 先輩の言う通り、その点は僕も引っ掛かっていた。許斐さんなら、何か逼迫ひっぱくした事情が発生した時点で僕に連絡するなりして、約束の中止、ないしは延期を持ち掛けていただろう。敢えて僕の期待を長引かせてからフるなんて、無駄なことはしないはずだ。


「聞けば許斐ちゃんは、誰かに腹を立てた様子で声を荒らげていたことがあったんでしょ?」


「これは俺の憶測だけどさ、例えば、そうすることを誰かに命令されていたー、とかね。」


 ──許斐さんに、敢えて僕に対して不誠実な対応をとらせることを強要するなど、一体誰が得をするのだろう。


「そんなこと、一体何の意味が……。」


「憶測だって言ったでしょ? 意味なんて俺のあずかり知るとこじゃないけど、強いて言うなら、恋敵こいがたきを減らすためー、とかかなぁ?」


 ──どういうことだろう。僕は先輩の軽い口調とは裏腹に緊張感を保ったまま次の言葉を促した。


「だからぁ、あの可愛くて思いやり深い、引く手数多の許斐ちゃんだよ?何処からか影太くんが抜け駆けしようとしているってことを聞きつけた結果、君の許斐ちゃんに対する心証しんしょうを害することができれば、君は彼女を嫌うかもしれないと考えた。」


「それを目的として、許斐ちゃんを脅迫するなり何なりして、影太くんとの仲を引き裂こうとしたー、って、俺も酒が回ったのかな。想像力が半端ないって自分でも思うよ。」


 ──いや、たった今宮良先輩が語った内容は、あながち先輩の妄言だとも言い切れないほど、筋は通っている。あの心優しい許斐さんのことだ。彼女の性格を逆手にとれば、家族や友人を傷つけるだとか、相談相手を痛めつけるだとか、適当な脅し文句で彼女が周りに助けを求めにくい状況など、簡単に作り出すことができる。


 僕と宮良先輩の話し合った内容は全て、僕たちの想像の域を出ていない。しかし、夏の暑さと適度な酔いにあてられた僕の脳は勝手な想像を止めることなく、暴走を続けた。気づけばついさっき注文したばかりのグラスも空いてしまったので、同じ物をもう一度注文する。


「ところで影太くん、なかなかお酒強いんだねー。」


 確かに、僕は先輩との会話に夢中になっていたので気が付かなったが、時刻は10時30分を回ろうかというところで、彼是かれこれ3時間ほど、チェイサーをはさむこともなくぶっ通しで飲み続けていた。


「まあ、ね。でも酔いにくいってのもなかなか難儀なもんだよ……。」


「ストレスを発散しようとしても大量に飲まなきゃ酔えないし、酒の席でつい失態や失言をしても全部覚えてるもんだから後々思い出して恥ずかしくなったりするし、良いことないよ。」


 僕は不本意ながらも酒豪として、今まで体験してきたデメリットを並べ立てる。


「そうなんだー。でも、俺にとっては羨ましいけどなぁ、沢山飲める人。隣の芝生は青いってやつかねぇ。」


 こうして、長きにわたって続いた先輩との協議にも一段落がついた頃、店内の暑苦しい空気に耐えられなくなってきたので、夜風に当たりに行くと言い残して、席を立った。


 外に出た僕は、肺にたまって蒸れた空気を入れ替えるために大きく深呼吸する。だが夜とはいえ、熱帯夜に吹く風も例外なく熱気を帯びていて、不快感は拭い去れない。しかも、店の出入り口付近に設置された灰皿の前には複数人の客がたむろして、煙草を吹かしていた。


 僕は両親が共に重度のチェーンスモーカーだったため、その影響で煙草に対して極度の嫌悪感を抱いていた。それにもかかわらず、僕は大きく息を吸って副流煙を取り込んでしまったため、せ返る。──これだから、他人の迷惑を考えない愛煙家は嫌いだ。


 とはいえ、ここに灰皿が設置されている以上、彼らの行為は店の公認を得ているも同然だ。僕は行き場のない怒りをくすぶらせつつ、店内へ戻ろうかと思った矢先、ゼミで同じC班に振り分けられた同学年の女学生が現れた。──確か名前は、柳楽楓なぐらかえでさんだったか。奇抜な恰好は相変わらずだが、その立ち振る舞いにはどこか気品と知性を感じさせるものがある。


否己いなきくんか。お疲れ様。」


 彼女もこちらに気が付いたようで、声を掛けられる。


「あ、柳楽なぐらさん。どうも……。」


「堅苦しい挨拶は必要ないよ。私たち同い年だし。班も一緒になったんだから、仲良くしよう!」


「あぁ、うん。ありがとう……!」


 柳楽さんは確か、僕が座っていた席の反対側に居た許斐さんの近くで飲んでいたはずだが、そこそこ酔いが回っているようで、以前よりも馴れ馴れしく語り掛けてくれる。


「否己くんは、宮良先輩とはどんなこと話してたの?」


 彼女の問いに僕は反射的に答えようとしてしまうが、許斐さんのプライバシーに関わる問題でもあるため、そのまま伝えてしまっても良いものか、逡巡する。


「まあ、聞かなくても大体分かるよ。愛しの許斐先輩のこととか、でしょ?」


 ──できるだけ周囲に会話の内容が漏洩ろうえいしないように気を付けていたつもりだったが、いつの間にか声が大きくなっていただろうか。揶揄からかうようにそう言い放った彼女に対して、僕はすっと青褪あおざめる。


「当たりみたいね。あーいや、盗み聞きとかはしてないから安心して! ただ……。」


「許斐先輩も、しきりに否己くんのことばっかり話題にして、嫌われたーとか、ごめんなさいーとか、そんな話ばっかり。何かあったのかなーって。」


 ──なんだって。許斐さんは未だ、僕への悔恨の情に苦しんでいるらしい。きっと彼女に非はないのに、そのようなことで心苦しい思いをさせていることに申し訳なさを感じつつも、どこか嬉しく感じてしまう僕はなんて意地悪い人間なのだろう。


 ただ、それだけで僕と宮良先輩が先の一件について話していたと考えるには、根拠薄弱だ。


「あとね、私は紗綾さやちゃんの親友なの。昨日会ったときに、共通の知り合いの許斐さんが話題に出たとき、紗綾ちゃんが否己くんから相談を持ち掛けられたってことを聞いて、ピンと来たの。」


 ──そうだったのか。しかし、許斐さんを悩ませる問題はあくまで内内で解決することが望ましく、事を荒立てれば、彼女に悪意のある人間を刺激させ、実質的に彼女が外部に助けを求めたことと変わらない。そうなれば、如何なる事態に発展するかは、僕には想像もつかない。


 以上のような諸々の注意事項は、氷山ひやまさんを協力者として引き込んだ段階でしっかりと伝え、釘を刺しておいたはずだ。それなのに、情報が柳楽さんへと知れ渡っていることに、僕は不快感を隠せない。そんな僕の表情を察してか、彼女はなだめるように説明する。


「あー、言いたいことはわかるよ? 許斐先輩のためにも、なるべく大事にはしたくないってことでしょ?」


「でも、私は許斐先輩の身近な人間の1人だし、私だからこそ手に入れられる情報もある。私は心から彼女を心配しているし、紗綾ちゃんは私のそんな純粋な気持ちを汲んでくれたから、協力者として私を指名してくれたの。」


 ──まあ、いいだろう。柳楽さんも、許斐さんのゼミの後輩兼友人として、彼女のみが獲得し得る情報というものがきっとある。そうでなくとも、今日だってもし彼女が隣で酔っ払った状態の許斐さんを諫めていなければ、彼女が大声で何を暴露していたか分かったものではない。


「うん。わかったよ。もう色々と知られちゃってるんだろうし、こうなったら柳楽さんにも、許斐さんが抱える苦悩の原因究明と、その解決を、とことん手伝ってほしい。」


「もちろん! 何でも頼ってくれていいよ!」


「そのためにはまず、お互いに情報を共有する必要があると思う。後日、改めて連絡するから、そのときにまた相談しよう。」


「了解!」


 問答を終えた僕たちは、揃って店内へ戻る。僕たちは予想以上に時間を食っていたようで、宴もたけなわ、終電の時刻が迫ってきたため、そろそろ解散といった雰囲気だ。


「皆、そろそろお開きにしようか! 電車で帰る人は終電逃さないように気を付けて! 2次会に向かう人はお会計が済むまで外で待ってて!」


 今回の親睦会の幹事を務めていると思しき女子学生が声を張り上げて、酔いが回ったメンバー全員に報知ほうちする。すると、許斐さんの様子を窺っていた柳楽さんが僕の肩をつついた。


「許斐先輩、すっかり酔い潰れちゃったみたい。否己くん、送って行ってあげられない?」


 許斐さんの方に目線をやると、そこにはテーブルに突っ伏してピクリとも動かない彼女の姿があった。──いや、しかし……。


「柳楽さんが送っていくことはできないの?」


「私、許斐先輩とは住んでいる場所が真逆の方向でね……。」


「それに聞いたよ?否己くんは許斐先輩と同じ高校の出身なんでしょ? まあまあ家は近いんじゃないの?」


 ──僕は現在一人暮らしをしており、高校時代住んでいた実家とはかけ離れた位置に居を構えている。もっとも、都内の物件の家賃は学生にとって、おいそれと負担できるものではなく、県外から1時間かけて大学に通っている。そのため、大学との直線距離でいえば実家と現在の本拠に大差はなく、仮に僕の実家と許斐さんの家が近いとすれば、僕は急遽きゅうきょ実家に帰省するという建前をもって、ついでとして彼女を送っていくことも可能である。


「まあ、そうだけど……。いや、でもなぁ……。」


 僕が尻込みしていると、柳楽さんは許斐さんを揺すり起して問い掛ける。


「先輩、許斐せんぱーい。起きれます?」


「否己くんが送ってくれるらしいので、住所教えてあげてください。」


 ──いやまて、僕はまだ送っていけるとは一言も言ってないぞ。そう訂正しようとすると、許斐さんはゆっくりと顔を上げて、もぞもぞと鞄を漁り、学生証を取り出すと裏面を見るように促す。裏面には、大学から家までの電車の乗換駅が記されたシールが貼ってあった。その終着点として書かれていた駅名に、僕は見覚えがあった。


「この駅、僕の実家の最寄り駅から2つ離れたとこだ。」


「おお! すぐ近くじゃん!」


 ──ここまで押し切られると最早もはや、僕に断ることは不可能だ。いい加減、観念することに決めた僕に、柳楽さんはそっと耳打ちする。


「許斐先輩をわずらわせる厄介な問題の正体がなんであれ、さ。いずれにしても一度、本人に直接聞いてみないことには、状況の進展は望めないだろうね。良い機会だから、許斐先輩のこと送っていくついでに、いろいろ聞いてみたら?」


 ダメ押しにと、もっとももらしいことを言って言葉たくみに僕をけむに巻こうとする彼女の心根こころねを理解しつつも、仮にも恋情れんじょうを寄せる相手である許斐さんの艶姿あですがたにあてられた僕は、心なしか酔いが加速するような感覚を覚えながら、一先ず二人分の会費を幹事に預けて、代わりに許斐さんの身柄を預かる。彼女に肩を貸して無理やりに歩かせながら、店を出ていこうとするときに、背後から男子学生の刺すような視線を感じながらも、今はそれどころではないと責任感を持って彼女を送り届けようと心に決めたのだった。

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