第18話 自己欺瞞-2

 時は経ち、週末を迎える。僕は許斐このみさんを苦しめる問題の正体を突き止めるため、この1週間、大学の構内で彼女と僕が所属する法学部の学生を見つけ出しては、手当たり次第に聞き込みしていた。


 流石は許斐さんと言うべきか、誰にでも親切で社交的な彼女について知る者は多かった。しかし残念ながら、聞き込みの成果はほとんど得られなかった。だが、ある日僕は、たまたま知り合うこととなった人物から1つの有力な情報を得ることとなった。


「あの、突然お声掛けしてすみません。許斐佳容このみかよさんという名前をご存じありませんか……?」


「えぇ、知ってますけど。何ですか急に……。」


 僕はたまたま教室で隣に座っていた女学生に尋ねる。人見知りの僕にとって、見知らぬ人に声をかけるというのは例え同年代の人間に対してでも勇気が要ることだ。怪訝けげんそうな目でこちらを見返す女学生にたじろぎながらも、僕は質問を続けた。


「申し訳ないです。彼女、最近何かに思い詰めた様子で元気がないんですが、その原因に心当たりがあれば教えて欲しいんです。」


「そんなの、分かりませんよ。それに、知っていたとしても見ず知らずの方に彼女のことを明け透けに喋るのはちょっと……。」


「これは失礼しました。僕は否己影太いなきえいたといって、彼女の友人で、高校時代の後輩でもあります。」


「その名前、確か……。いえ、分かりました。でも、本当に何も知らないんです。」


「どんなことでも構いません。情緒が定まっていなかったとか、知らない人物と関わっていたとか、些細な変化があったら教えてください。」


 そう伝えると、彼女は一瞬考え込んだ後、何か閃いたように顔を上げる。


「そういえばここ最近、佳容ちゃんについて、少し違和感を感じたことならあります。」


 彼女は許斐さんの異常について話し始める前に、軽く名乗ってくれた。彼女の名前は氷山紗綾ひやまさや。僕と年の同じ同級生で、許斐さんはフットサルサークルの先輩らしい。お互い法学部の学生ということで、同じ講義をとることも珍しくないためその度に勉強の面倒を見てもらったこともあるという。


「佳容ちゃんは誰にでも分け隔てなく優しくて、なんでもできる皆の憧れの的です。」


「だから日常的に佳容ちゃんに近寄ってくる人間は男女問わず多くって、知らない人と喋っているところを見かけることも間々ありました。」


「だけどある日、サークルの部室に向かおうとしたら、佳容ちゃんが誰かと話す声が聞こえたんです。」


「珍しくもない光景なので、邪魔しないようひっそりと部室から離れようとしたら……。」


 ──もうやめて! わかってるから、それだけは、お願い……!


「そう、聞いたこともないような怒気を含んだ声で、叫ぶ声が聞こえたんです。」


 ──なるほど。許斐さんが頭を悩ませていることと関係があるのか現時点で断定はできないが、滅多に怒りを露わにしない彼女がそこまで取り乱していたということは、只事ではなかったのだろう。


「あの、佳容ちゃん、何かあったんですか?」


 氷山ひやまさんはそう僕に、不安な様子で尋ねた。僕はこれまで許斐さんを巡って起こった出来事や彼女の変化について、簡潔に話せる範囲で伝えた。


「そんなことが……。それに影太くん、貴方の名前、佳容ちゃんから聞いたことがあったのを思い出しました。」


「佳容ちゃんってば、貴方のことを話していたとき見たこともないくらい満面の笑顔で、てっきり彼氏でもできたのかと思って聞いてたんですけど。」


 ──それがまさか、こんな地味な男だったなんて、とでも言いたいのか。僕はその先の言葉を勝手に予測して、少しムッとする。


「もし佳容ちゃんが助けを求めているなら、私も解決のために協力したい。」


 氷山さんも許斐さんを心からしたい、うれいているのだろう。これ以上心強い協力者はそういない。そう思った僕は、迷わず答える。


「そう思ってくれて心強いよ。何かわかったらお互いに連絡しよう。」



 ◆◇◆



 こうして僕は氷山さんと連絡先を交換して、その場を後にした。やっぱり、許斐さんは人間関係に重大な問題を抱えているようだ。数時間後に迫ったゼミの親睦会、もとい宮良みやら先輩との作戦会議を意識し始めていた。


 ここ最近、一連の出来事によって、心身共に疲弊し切っていた僕は、気づけば昼寝をしていたようだ。時刻は18時半を迎えようというところで、約束の時間には間に合いそうもない。僕は急いで準備を整え、宮良先輩に少々遅刻する旨を連絡してから出発する。


 およそ1時間後、親睦会の会場であるはずの居酒屋に到着した。中からは既にゼミのメンバーの賑やかな会話が聞こえてくるので、遅刻した身分の僕は単身店内へ突入することを躊躇してしまう。僕は店の前で右往左往しながら、入店のタイミングを見計らっていると、中から酒気を帯びた感じの客が出てきた。


「あれ、否己くんだー。遅かったねぇ?」


 そう呂律が怪しい様子で僕に話しかけてきたのは、なんと許斐さんだった。


 ──まだ親睦会が始まってから30分くらいしか経っていないはずだが、もう出来上がっているのか?いやいや、そんなことよりこの間、僕たちはあんなに気まずい形で別れたっきりだったのに、もういつもの調子を取り戻しているのか。複雑多岐にわたる疑問の数々が脳内でひしめき合い、完全に言葉を失った僕は、茫然自失ぼうぜんじしつとしながらも彼女へ意識を向ける。


「んー? どうしたの? もう親睦会は始まっちゃってるよ?」


「否己くんも中入って! 改めて乾杯しよっか!」


 僕は未だ状況の整理がつかない中、許斐このみさんに促されるまま店内へと足を運ぶ。そんな僕の気を知ってか知らずか、許斐このみさんは一方的な会話を途切れさせることなく、ゼミのメンバーが囲んでいるテーブルへと僕を案内した。


「否己くん来ました! これで全員揃ったね!」


 許斐さんは声高らかに宣言する。総勢20名にも満たないメンバー全員の注目を集めた刹那、座がしらける。僕の到着を心待ちにしていたなんて物好きはこの場にいるはずもないのだから、当然である。──ただ1人を除いて。


「影太くん、こっちー。」


 まだ一滴の酒も飲んでいないのに心拍数が上がり、赤面した僕に助け舟をを出すように、端に座っていた宮良みやら先輩が声をかけてくれる。僕は誘われるままに先輩の隣へ腰かける。


「酔っ払いに絡まれたみたいで大変だったねぇ。何飲む?」


 僕は優しく気遣ってくれた先輩に軽く会釈して、取り敢えず卓上の瓶ビールを頂こうと伝えると、彼は僕にコップを持たせてしゃくをしてくれる。まだ完璧に冷えた状態だったビールは、蒸し暑い熱帯夜に漂う熱気にじんわりと焼かれた喉にみるようだ。


「ありがとう。許斐さんって、あんなに酒に弱いの……?」


「いや、普段はそうでもないんだけど。今日は初っ端から飛ばしてたみたいでね。」


 やはり許斐さんは何らかのストレスを感じているのか、それを発散するようにハイペースで飲み続けた結果、既に酩酊状態の一歩手前まで来ているらしい。


「それじゃあさっそくだけど、何があったのか聞かせてもらえるかな。」


 僕は許斐さんとの間で起こった出来事と、氷山さんをはじめとする複数名から得た情報を、その経緯を含めて、ありのまま先輩に話した。

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