第16話 自己憐憫-2

 ──ああは言ってみたものの、冷静になった僕の頭はやはり、死にたくなるほどの失望感に支配された。悲しい、悔しい、憎らしい、恨めしい。いや、どれも違う。何とも形容しがたい複雑多岐にわたる感情がスムージーのように心の中で入り混じり、1つのカオスを作り出していた。



 ◆◇◆



 あの後、僕は自分がどうやって自宅まで帰ってきたのか覚えていない。──5限の講義はきちんと受けたんだっけか。もはやそんなことなどどうでもよかった。唯一思い出せるのは、喫茶店を出る前の会計に際して普段は姿を見せないマスターが表にでてきて放った言葉だ。


「あの子の友達か?」


佳容かよちゃんだよ。先週も彼女とここへ来ただろう。」


「薄々感づいただろうが、彼女は何か問題を抱えているようだ。それを彼女は俺含め、誰にも話したがらない。」


「お前が助けてやってくれ。好きなんだろ? 彼女のこと。」


 許斐このみさんは喫茶店の常連客だと言っていた。従ってマスターとも仲が良く、普段から悩みを打ち明けて相談に乗ってもらっていたらしい。だが、そんな気の置けない仲であるマスターに対しても、一切相談を持ち掛けようとしないというのだ。そんなマスターからの情報が、僕のまとまらない思考を一層複雑なものにすると同時に、一筋の希望ともなっていた。──僕がフラれた要因は、僕だけにある訳ではなさそうだ。



 ◆◇◆



 率直なところ、僕は告白のやり直しを許斐さんに受け入れてもらった時点で成功も同然だと高を括っていた。それでも周到な準備を欠かさずに臨んだ2度目の求愛があっさりと失敗に終わったことの原因に心当たりはない。


 一旦情報を整理しようと、パソコンデスクに付属しているリクライニングチェアに身を預ける。すると、許斐さんから受け取ったまま未開封の状態で放置されたプレゼントが目に入った。今は見たくないという気持ちがある反面、僅かばかり好奇心が打ち勝ってラッピングの中に入っていた木箱のふたを開けてみる。


 するとそこには、筆記体でEitaと、僕の名前があしらわれた紺色のハンカチにメッセージカードが付されていた。僕の名前が入ったハンカチ、すなわちこの世で僕だけに宛てられた、許斐さんが僕のことを考えて贈ってくれたプレゼントである。そのことが何より、僕にとっては感無量かんむりょうだ。──だったはずなのに。よりにもよって、目立つようにあしらわれた赤いバラの花が皮肉にも、本当に美しかった。


 もはやこのハンカチは失恋の証となってしまった。ただせっかくの贈り物を処分するなど余りにも忍びないので、一先ず大切に保管しておくことにした。流石にこのハンカチを普段使いできるような鋼鉄こうてつのメンタルは、生憎あいにく持ち合わせていない。


 そんなことよりも、メッセージカードには一体何が書かれているのだろうか。今更何が書かれていたところで失恋の傷をえぐることになるのは変わらないのだが、ここまできて分からず仕舞じまいは気持ちが悪い。


 僕はどうにでもなれと、二つ折りのメッセージカードを開く。するとそこには、紙の面積に対して予想だにしない量の文章が綴られていた。


否己いなきくんがこれを見ている頃には、きっと私はもう君に合わせる顔がないくらい酷い裏切りをしてしまったことでしょう。本当にごめんなさい。」


「今更私が何を言っても信用できないかもしれないけど、誤解のないよう伝えておくと、否己くんは何も悪くありません。君は本当に信じられないくらい魅力に溢れた素晴らしい人です。」


「そんな君から向けてもらった好意を、あまつさえ2度も無下にした私は、きっと恨まれても仕方がないでしょう。」


 メッセージカードには、主に僕への謝罪文が認められていた。このプレゼントを用意していた段階で、既に許斐さんは僕の告白を受け入れる気はなかったということの証左しょうさである。また、手紙の内容から察するに許斐さんは1週間前の時点では僕の気持ちに応えるつもりだったが、何か心変わりがあったのか、当初の予定を翻して僕をフッた。それを裏切り、だといっているのだろうか。


 その後も彼女の謝罪は続いたが、特にこれ以上の手がかりはなかった。兎にも角にも、今まで得た情報を照合すれば、許斐さんは何かのっぴきならない事情に頭を悩ませており、その事が足枷あしかせとなってか、僕の告白は受け入れられなかった。そしておそらく、彼女は助けを必要としているが、それを大っぴらに求めることはできない。


 ──こうなったら、どのような結果になったとしても、僕はとことん許斐さんに執着して告白失敗の理由を彼女自身の口から説明してもらわなければ気が済まない。僕にはその権利があるはずだ。そのためにはまず、彼女の悩みを知り、解決に導くことが必要だ。僕は新たな決意を胸に、眠りにつくのだった。

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