第15話 自己憐憫

 教室を出て、僕は先週とはまた違った意味で恐縮しながら、許斐このみさんの隣を歩く。彼女は相も変わらぬ悲哀ひあいに満ちた表情で、先日訪れた喫茶店へとただ歩を進める。このままでは間が持てないので、僕は依然として解消されていない疑問の答え合わせを彼女に求めた。


「そういえば、以前僕の誕生日を聞いたのは何故ですか?」


「えっ? あ、あーあれね。えっと……。」


「理由は2つあるんだけどね、まずは、これ。」


 すると許斐さんは、黒一色でシックな装いの包装紙でラッピングされた小包を僕に手渡す。


「成人、おめでとう。否己いなきくんへの成人祝い兼誕生日プレゼントだよ!少し遅れちゃったみたいだけどね。」


 僕はあまりの出来事に拍子抜けしてしまった。


「あ、ありがとうございます……! 開けてみても、いいですか?」


「ごめんね。開けるのは、お家まで待ってもらってもいいかな……。」


 祝いの気持ちを表現するためか、鮮烈せんれつな赤が美しいバラの花が添えられたラッピングに、僕は心を躍らせる。


「は、はい。すごい、なんていうか、最高に嬉しいです……! ありがとうございます!」


「うん……。」


 気に入らないはずなどない。許斐さんから贈り物を受け取ったというだけでもこの上なく喜ばしいことなのに。だが、何かが胸につかえたままだ。


 ──許斐さんが過度に緊張していたのはこのためだったのか?あの普段は飄々ひょうひょうとした性格で天真爛漫てんしんらんまんな彼女が、僕にプレゼントを渡すためだけにあそこまでうつろな感じになるのだろうか。そんなはずはなかろう。


 僕の予想は折悪おりわるくも的中した。許斐さんは僕が喜びの感情を全身で表現したのを見守ってから、何かを思い出したかのように意気消沈とした態度を取り戻してしまった。それからすぐに、彼女はこの間を持たすように淡々と喋り始める。


「もう1つはね、今度ゼミのメンバーで親睦会を開こうかって宮良みやらくんと相談してたんだけど、お酒の席になるだろうから皆の年齢を確認してたの。」


「否己くんはお酒は飲める方?」


 僕の両親は根っからの酒豪で通っているが、その遺伝の影響を受けてか僕も酒はいける口だ。20歳の誕生日を迎えた翌日、興味本位で試してみて以来、夜な夜な飲酒を密かなストレスの捌け口とするくらいには好きでいる。


「そうですね。まあ飲める方です。」


「そっか。じゃあ全員分の確認が取れ次第、宮良くんにも伝えてお店の予約を取ってもらうようにするね。」


 そんなことよりも僕は、先程から会話の中で定期的に出てくる宮良先輩の名前に食傷しょくしょう気味となっていた。許斐さんと彼は、一体どういう関係なのだろう。


 そうこうしている内に、以前も訪れた風変わりな喫茶店に到着する。しかし僕は以前とは異なり、自らドアを引いて許斐さんをエスコートする。すると彼女は、ばつが悪そうな表情で「ありがとう。」とだけ呟き、入店した。僕たちは以前と同じ席へ腰かけた。


 昼食は前回と同じメニューを。今日の講義内容が難しかったとか、一週間で僕の心境にどういう変化があったとか、いろいろな話をする度に許斐さんはさっきまでの彼女とは別人のようにころころと表情を変えて、興味津々といった様子で聞いてくれた。


 気付けば僕たちは食事を終え、食後にコーヒーをおかわりしていよいよ本題に入ろうとする。──そうだ、きっと彼女にも僕と同じように計り知れないほどの様々な感情の起伏があったのだ。僕があまりにも気合を入れてくるものだから、彼女も面喰ってナーバスになっていたところ、楽しい食事の時間を経て平静を取り戻したと、そういう訳だ。全ては杞憂だったのだ。僕は一世一代の大勝負の仕切り直しを目前に控え、自身を取り巻く多岐にわたる不安要素を一遍いっぺんに払拭すべく、そう自分に言い聞かせた。


「許斐さん……。」


 僕は真剣な眼差しで彼女を見つめようとする。だが、彼女の方は未だどこか焦点が合っていないような眼でこちらの方を向き直った。


「僕は貴方のことを高校の入学式で初めて知りました。正直なところ、僕の恋心の発端は軽薄にも一目惚れでした。」


「貴方の凛とした佇まいに憧れた僕は、あろうことか貴方の才能に嫉妬して、あの手この手で完璧な貴方を何か1つでも上回ろうと足掻あがいたこともあります。」


「でもそんなある日、僕は見えないところで誰と比較するでもなく純粋に自分との戦いに邁進している貴方の努力家な一面を見た時、己の愚かさをあわれんだと同時に、真に見習うべきは貴方の内面であり、僕が好きなのは貴方の内面を含む全てだと分かったんです。」


「許斐さん。僕は自分の良いところ1つ見つけることのできない、憐れな人間です。でも、そんな僕の良いところをあなたはお世辞でもなく、誠実に伝えてくれました。そのおかげで、僕は今までのような自己嫌悪ばかりのペシミストから生まれ変わりつつあります。」


「どうか、僕とお付き合いしていただけませんか。」


 ──言った。ついに言ったぞ。溢れんばかりの積年の真情を吐露とろしようと、長ったらしい口上となってしまった。それでも彼女は一切話を遮ることなく、至って真剣に聞いてくれた。もはや僕にできるのは、彼女が発するであろう次の言葉を、今度は一言一句聞き漏らさないようにと待ち続けるだけだ。


「うぅっ……、ぐすっ……。」


 ──あろうことか、許斐さんはその場で顔を覆い、泣き出してしまった。僕は間もなく、その真意を知ることとなり絶望する。


「ごめっ、なさぃ……。」


 消え入るような声で告げられたたった一言は、僕の心を粉々に粉砕するのに十分すぎるほどだった。だが、不思議とそんな予感はしていた。──そう、予兆は確かにあったのだ。


「私はっ、否己くんが思っているより、完璧じゃないしっ、強くないよ!」


「否己くんには素敵な魅力が、沢山あるっ、から! 私よりいい人なんてっ、いっぱいるよ?」


 ──そんな訳ない。僕には許斐さんしかいないんだ。


「だから、ごめんね? お詫びとして、取っておいて。」


 そうして彼女は2千円をテーブルの上にそっと置いて、泣き腫らした目を擦りながらそそくさと店を出て行ってしまう。僕にとっては、告白が又もや失敗することとなった絶望よりも、あの許斐さんが、僕が誠実に紡いだ言葉を無下むげにしてさっさと帰ってしまったという事実への疑念と、彼女への心配が勝った。

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