第12話 自己実現-4
金曜日の午前9時、休日を直前に控えていることもあってか、心なしかいつもより安らかな気分で時間を過ごす。とはいえ、1時間後には美容室の予約が迫っているので、そろそろ外出の準備に取り掛かろうかといったことを考えていた。
シャワーを浴びて歯を磨き、電動シェーバーで
徒歩で5分もしないうちに辿り着いたのは、一目見ただけでそれと分かる清潔感漂うガラス張りにウォーターカーテンがかかった特徴的な店構えだ。透き通るような水の
さて、僕は予約の時間よりも15分ほど早く着いてしまった訳だが、どうするべきだろうか。そんなもの、店内の待合室で待てば良かろうと思われるかもしれないが、ただでさえこんなお洒落な外観の美容室にたった一人で突入することだけでも心細くて仕方ないのに、自分の番が訪れるまで店内の待合室で過ごそうなんて、居た
「あのー、お客様でしょうか。」
「は、はい……!」
僕は
「そうでしたか。何かお困りの様でしたのでお声かけさせていただいたのですが...。ご予約のお客様ですか?」
「あ、はい。10時から予約しております、
「わかりました。今ならそこまで混雑してませんし、すぐご案内できるかと思います。店内へどうぞ!」
なるほど、この人はこの美容室のスタイリストといったところか。ちょうど今出勤してきたところか、はたまた休憩を終えてきたところかは知らないが、僕にとっては渡りに船だ。
「それでは本日担当させていただきます
店内へと案内されて
「本日はどのようになさいますか。」
──あぁ、うっかりしていた。僕は一先ず、明るく
「えっと、これまでとは
「何かお勧めの髪型があれば、お任せしたいです。」
僕は自分であれこれ悩むよりも、美容室に勤めるスタイリスト、すなわちその道の専門家に意見を求める方が賢明だと考え、助けを
「わかりました。お客様はお好みの髪型などございますか?」
「よくわからないんですが、短い方がすっきりしていて、手入れも楽そうでいいかなとは思います。」
「なるほど。今まではどちらのお店でカットされていたんですか?」
「大衆向けの1000円カットで、伸びてきたらその分短くして、って感じでした。」
「では、今回こちらにお越しいただいたのは何かきっかけがおありになられたんですか?」
年が近いということもあって、峯川さんの前では先程まで感じていた緊張も和らぎ、自然体で会話することができた。そして僕は、今回思い切って
「わぁ、素敵ですね! 彼女さんも自分のために変わろうとしてくれているお客様のお気持ちがまず嬉しいと思うし、きっとお喜びになると思います!」
「いや、まだ彼女ではないんですけどね……。でもそういっていただけると勇気が持てます。」
「それは良かったです! では、少々お待ちください。」
その後もいくつか彼女の質問に答えていくと、峯川さんは一度席を外し、すたすたとどこかへ向かった。しかし彼女の言葉には、思いがけず背中を押してもらうこととなった。普段とは違った生活を送ると、また普段とは違った出会いもあるものだと、僕は早くもこの美容室に来てみて良かったと感じた。すると峯川さんは、奥の棚からメンズ向けの雑誌を1冊選んで持って来た。
「思い切って短く、そして清潔感のある髪型となりますと、お客様にはこういうのがお似合いになるかと。」
ぺらぺらとページをめくり、指差された場所には
「これなら比較的お手入れも簡単ですし、涼しげで今の季節にぴったりだと思います!」
峯川さんはその若さながら、こんな僕に対しても丁寧なヒアリングで情報を引き出し、顧客としての特徴を的確に分析して、十分に満足のいく最適の提案をしてくれた。スタイリストとして仕事に誇りを持って取り組み、それを全力で楽しんでいるのが傍から見ても分かる。僕は彼女に
「いいですね……! では、これでお願いします!」
「はい、お任せください!」
誠心誠意対応してくれた彼女の姿勢に応えるように、
「それにしても、高校時代の先輩に大学で再会するって、とっても運命的ですよねー。」
作業も後半へ差し掛かろうかというところで、バリカンをハサミに持ち替えた彼女が僕に話しかける。
「まぁ、そうですかね。一応少し名の通った都内の私立大学なので、まああり得なくはない、ってとこですかね。」
「しかも、高校時代に一目惚れした先輩に告白って、なかなか大胆ですね。今時珍しいんじゃないですか?」
聞かれていないようなことまでぺらぺらと喋ったのは僕の方だが、改めて蒸し返されると途端に恥ずかしくなる。幸い、周りに僕以外の客はほとんどいないし、遠くの方ではドライヤーの音が騒がしく、僕の
「大胆なのは百も承知です。ただ、一目惚れというのはきっかけに過ぎないんです。」
そう、僕は高校の入学式で許斐さんを目にしたとき、初めて恋に落ちる感覚というものを味わった。だが、それから
◆◇◆
許斐さんは僕の1つ上の先輩で、僕の入学時には高校2年生だった。その時には既に在校生代表として入学式で新入生に向けた祝辞を担当するなど、人望の厚い人だった。後から聞いたところによれば、彼女は当時すでに2年生ながら生徒会長を務めるほど、求心力に長けた人気者だったようだ。また、体育祭や球技大会といったスポーツイベントが行われる度に
だが、僕も負けてはいなかった。あまり世間的に有名とは言えない平凡な地元の高校から、有名大学へと進学したいと漠然と考えていた僕は、日頃から成績は常に優秀で、定期テストでもほぼ毎回上位を独占していた。運動神経も抜群とはいえないまでも、何をやっても期待される以上のことはやってのけたつもりだ。しかし、換言すれば僕の能力など
僕は当初、許斐さんのことを激しく
しかしある日、定期テストを控えていたため勉強するために何気なく立ち寄った図書室にて、黙々と一人で勉強に取り組む許斐さんの姿を見つけたことで、僕の下劣な固定観念は破壊された。そう、普通ならば顔面の美貌だとかスタイルの良さだとか、誰もが羨む身体的要素を生まれ持った人間は周囲にちやほやされ、それが自身のステータスであると錯覚し、慢心するものだ。黙っていても人が寄ってくるものだから、自然と社交性が身に付くだろうし、所謂陽キャと呼ばれる集団に美男美女が多いのは意外とそういうメカニズムなのかもしれない。だが、彼女は違った。どれほど美人だと持て
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