第8話 自己陶酔-4
アディショナルタイムは残り1分。次が最後のプレーとなるだろう。
「
「冷静に沈めて見せました! アーセナルが
「試合終了のホイッスルが鳴り響く! 否己選手、値千金の決勝弾で勝利を呼び込みました!」
時刻は日付変わって午前1時。昨日は
あの後、許斐さんに告白のやり直しを申し出たのだが、なんと快諾してもらった。
「あの日の埋め合わせっていうのは、つまり改めてお話があるってことで、いいのかな?」
「はい。どこか都合のいいタイミングで、お時間いただけませんか?」
「もちろん! でも、お互い心の準備があるだろうから、来週また講義が終わったタイミングで、遅めのお昼ご飯を食べに行こうか。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
その後5限の講義の時間が迫っていた僕は、その旨を許斐さんに告げて、会計を済ませようとする。もともと御馳走するつもりだったと譲らない許斐さんに気圧された僕は結局お言葉に甘えることとなってしまった。その後はすっかり有頂天となっていたので、ベッドに入るまでの記憶があまりない。講義がどうだったとか、どのように帰宅したとかの記憶よりも、すっと目を閉じて、自分がサッカーの試合で大活躍する妄想にふける。
──今日はいつもみたいに過去の黒歴史を思い出しては身悶えるような自己嫌悪に陥らなくて済むな。そう考えながら、次は自分がロックバンドのボーカルとなって満員の観客席に向けてパフォーマンスをしている姿を想像する。もちろん、観客の熱気は最高潮だ。僕はこの夏、20歳の誕生日を迎えていよいよ成年年齢に達したわけだが、そんな年にもなっていったい何を仕様もないことを考えているのだと自分でも思う。だが、せめて夢の中では主役でいたいと思う承認欲求と
そうして現実にはありもしない自分の晴れ姿に思いを馳せているうちに、僕は意識を暗い闇の底へと手放していった。
◆◇◆
「うわー、やっちゃった……。」
こういう時は
──って。何を考えているんだ僕は。完全に遅刻だぞ。もし今日の講義で課題が出ていたら?もし重要連絡を聞き逃していたら?友達のいない僕には助けてくれる人など誰もいないのだ。大人として、大学生として、もっと責任感ある行動をとらなければならないのだと自分を
「とりあえず、今から急いで大学へと向かったところで1限の終了間際に到着というのが関の山だ。今日残るは2限の講義だけだから、それに間に合うように出立すればいい。」
少しばかり時間的余裕が生まれたので、念入りに準備をする。昨日、許斐さんに眠気に耐えて1限に欠かさず出席する勤勉な姿勢を褒められたばかりなのに、本当に情けない。セットしたアラームにも気づかずに寝過ごすなど、思い上がりが過ぎるぞ。僕はすっかり自責の念に囚われてしまった。
一通りの準備を終え、冷め切ったコーヒーを飲み干し、空となったマグカップをシンクにおいて水に浸しておく。遅刻したことに開き直ってゆったりと時間を過ごしていたはいいが、結局2限の講義の開始時刻にも間に合うかどうか、ぎりぎりの時間になってしまった。僕は感染予防のマスクを着用して急いで家を飛び出し、最寄駅まで早歩きで向かい、電車に飛び乗った。ドアに近い角のスペースに身を寄せて、ワイアレスイヤホンを耳に当て、お気に入りのプレイリストを再生する。昨日とは打って変わって、乗客は
電車の出発時刻に間に合わせるよう急いでいたことやそれに伴う僅かな緊張感と、マスク越しの呼吸のしづらさから少し息が上がっていたが、次第に落ち着くと酸欠となっていた脳が冴渡っていくのを感じる。すると、間もなくして僕はあることに気付いた。
「あれ、学生証が入ったカードケースがない。」
痛恨の失態である。学生証がなければ大学の構内に入ることはできない。仮にそれが叶ったとしても、講義の出欠確認には学生証が必須となるため、学生証無くして講義を受けることはもはや無意味に等しい。あれだけ念入りに時間をかけて準備したはずなのに、最も忘れてはいけないものを忘れる始末。自分への怒り、情けなさを通り越して、呆れを感じ始める。
「どうしてこうなるのかなぁ……。」
あまりの情けなさに涙がこみ上げそうになるが、成人を迎えて朝の電車内で急に泣き出す男がいたとなれば、周囲に与える恐怖感は計り知れない。このご時世、最悪は動画をとられてインターネットの晒し者だ。すんと鼻を鳴らし、自制心を高める。この電車は快速急行で、ここから終点まで優に15分はあろうかという道のりをノンストップで進み続ける。今から学生証を取りに戻ったとしても、2限の遅刻も確定的である。
「いっそのこと、今日は休んだ方がいいな……。」
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