第6話 自己陶酔-2

「到着です! ここだよ!」


 お互いがお互いの歩くペースに合わせようとしたためか、予定より若干遅れて着いたのはさびれた喫茶店のような見た目の店構え。路地裏とはいえ、ここだけ切り取ってみればここが都内であることなどすっかり忘れてしまいそうだ。


情趣じょうしゅある昔ながらの喫茶店って感じのお店ですね。」


 一目見て抱いた感想を最大限美化して言語化する。


「いやいや! 植物とか壁に張り付いちゃってるし、営業中とかどこにも書いてないし、廃墟同然だと思うけど……。」


「でも安心して! ここの料理は安いし、何でも美味しいから意外とお客さんくるんだよ? 知る人ぞ知るってやつ……?」


 そう豪語ごうごするこのみさんだが、確かに店内からはかぐわしい洋食とコーヒーの香りが漂ってくる。


「一先ず入ろうか! さぁ、どーぞ!」


 そういってこのみさんは率先してドアを引いて中に入るよう促してくれた。その厚意こういに甘えて、先に入店した僕はキッチンにいると思しき店主に大きめの声で「2人です」と告げると、さらに大きな声で「ご自由にどうぞ」と言われたので「窓側の席はどうですか?」と彼女に尋ねる。快諾かいだくしてくれたこのみさんと僕は着席し、窓から差し込んでくる日の光と店内の薄暗くも心地よい雰囲気に表情が柔らかくなった。


「それじゃあ、まずは注文から済ませちゃおうか。何かアレルギーとか、嫌いなものとかある?」


「いえ、特にありません。」


「そっか、じゃあ私のおすすめはこのミートソースパスタとピザトーストのセットなんだけど、どう? これがここの名物で、すっごくおいしいんだよね!」


 聞けば量もかなり多く、ブラックコーヒーがおかわり自由だというので至れり尽くせりだ。キッチンからやってくる多種多様な料理の香りに食欲がそそられ、思いのほか空腹であることに気付かされた僕は迷わずこのみさんのおすすめに従うことにした。


「マスター! いつもの2つお願いします!」


 キッチンから顔を出さないマスターの代わりに、このみさんが立ち上がって注文内容を伝えに向かう。注文を任せっきりにしてしまったことに少しだけ罪悪感を感じて窓の外に視線を移すと、間もなくこのみさんがサービスのコーヒーが入ったカップをソーサーに乗せて持ってきた。


「はい、どーぞ。」


 溢さないように慎重にカップ&ソーサーをテーブルにおいて、1つを僕に差し出してくれた。僕はそれ受け取って「ありがとうございます。」と伝えると、マスクを外してテーブルの端に置いて、生来せいらいの猫舌を労わるように何度も息を吹きかけ、よく冷ましてから一口啜る。だが飲み物はそう簡単に冷めてはくれず、結局ちょっと火傷したような気がする。


「だいじょうぶ?」


 僕の微細びさいな反応に気付いたのか、彼女が声をかけてくれる。「大丈夫です」と伝え、一呼吸置いた後に、核心に触れる。


「それじゃあ、聞いてもいいですか。」


 遠回しにこのみさんに対して話をするように促す。結局とは何だったのか。


「うん。じゃあ、話すね。」


「まず、否己いなきくんは、私のこと、覚えてないんだよね。」


 ──やっぱり。このみさんはどうやら僕と面識がある前提で話を進めようとする。でも、どれだけ頭の中で記憶を辿っても僕の方には心当たりがない。ましてや1つ上の先輩なんて……。


「僕は、その、このみさんとはお会いしたことがないと思います。」


「そのこのみさんって、もしかして私のファーストネームだと思ってる……?」


 ──違うのか!? もしかして、この透き通るような声色、優しそうな印象を与える目元、まさかという思いが急激に脳の回転と心拍を加速させるとともに、高校時代の記憶が走馬灯のように駆け巡る。次の瞬間、彼女はマスクを外しながら続けた。


「私の名前は許斐佳容このみかよ。否己くんとは同じ高校に通ってたし、一応面識もあるんだよ。思い出してくれた?」


 ──思い出してくれたかだと。思い出したとも。何を隠そう僕が高校の入学式で在校生代表として登壇した彼女に一目惚れして以来ふつふつと恋心を募らせ、高校2年生の冬、ある日下校時間を過ぎて誰もいなくなった教室に呼び出し、一世一代の告白をした相手こそがこの女だ。僕が懸命に振り絞った勇気はどこ吹く風といわんばかりに、あっさりと「ごめんなさい。」の一言で片づけられたまではよかった。ただ、しばらくすると学校では高嶺たかねの花として有名だった許斐このみさんに告白した身の程知らずがいると話題になり、その正体が僕であるということが広まっていたのだから後味が悪い。そんなこと、この女以外には知る由もない情報じゃないか。


「今更、なんなんですか。あなたの所為せいで僕は毎日いろんな奴にからかわれて大変でしたよ。」


 ──そう、昨夜だってその頃のトラウマがフラッシュバックして全然眠れなかったんだよ! 恨みがましく、皮肉をぶつける。


「本当にごめんなさい! でも、否己くんとの会話について私から誰かに言いふらしたことなんて何ひとつないの!」


 ──なるほど。謝罪とはこのことだったのか。僕は喜怒哀楽を目まぐるしく移り変わる感情の整理に精一杯ながらも、腑に落ちないことを1つずつ質問する。


「じゃあ、なんで僕が許斐さんに告白したことが知れ渡っていたんですか。」


「それは……。断言はできないけど、否己くんが告白してくれたとき、教室の外でまだ下校していなかった生徒の影が横目に見えたの。もしかしたらその人をきっかけに噂が広まったのかも。」


「何で今になって謝るんですか?あの時すぐにでも一言言ってくれれば僕もここまで思い悩むこともなかったかもしれないのに。」


「うん。本当にごめんなさい。でも、否己くんの連絡先は知らなかったし、呼び出されたクラスにもあのあと何回か行ってみたけど学校にも来てなかったみたいで、そうこうしてるうちに卒業しちゃって。」


 ──確かにそうだ。僕はフラれたショックと学校の居づらさで不登校ぎみになっていた。改めてよく考え直してみると、僕にも非があることは明白だ。勝手にいきどおって許斐さんを噂を流した張本人だと決めつけて……。なんだか、急に彼女に対して申し訳なくなってきた。


御待遠様おまちどうさまです。」


 時間を忘れて会話に没頭ぼっとうしていると、注文した料理がマスターによって運ばれてきた。


「食べよっか……。」


 配膳してくれたマスターは何か不穏ふおんな空気を察知さっちしたのか、何も言わずにすたすたとキッチンへと戻ってしまった。僕たち以外に客はいないようだが、最近流行りのデリバリーサービスにも対応しているのだろうか。そんなくだらない考えが頭の中をよぎりながらも、辺りには少し険悪な空気が流れる。許斐さんだけに罪悪感を背負わせたくないし、居たたまれなくなった雰囲気をどうにかしたくて、僕は口を開く。


「あの、僕の方こそ、すみませんでした。」


「何で否己くんが謝るの?」


「元はと言えば僕がふさぎ込んで学校を休みがちにならなければ許斐さんが釈明しゃくめいする機会もあった訳で、勝手に決めつけてきつい言い方になっちゃって、せっかく昼食に誘ってくれたのに気分をがいしてしまったので。」


「そんな! 否己くんは何も悪くないよ! 逆の立場だったらすごく悲しいし、怒るのも当然だと思う。」


 すかさずフォローしてくれる許斐さん。──だが……。


「ありがとうございます。でも、フラれた相手にフォローされるっていうのはなんというか、複雑な心境しんきょうです……。」


「えっ、フラれたって、どういうこと?」


 ──えっ……?

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