第4話 自己紹介-2

 思い起こせば、今日は1日中頭がまともに働いていない気がする。いや、今となっては頭が冴渡って仕様しようがない。


「──今回は初回講義となるので、それではまず、一人ずつ前に出て簡単に自己紹介を──」


 一体あれは何だったんだ。彼女は何を言いかけていたんだ。


「──ありがとうございました。それでは次に──」


 そもそも彼女について僕は何も知らないし、見たこともないはずだ、よな?


「──最後に、否己いなきくんに──」


 否己くんぼくに、なんだってんだ……。


「否己くん!」


「否己くん、呼ばれてるよ……?」


 どうやら再三さいさん教授に名前を呼ばれていたらしい。先ほどの一件に気を取られすぎて脳が外部の情報を遮断しゃだんしていたみたいだ。呼ばれたのはいいが、何をするんだったか。


「今、みんな軽く自己紹介をしてて、否己くんが最後の番だから。」


 そう今僕の心を惑わせている張本人である彼女に伝えられた。


「あ、ありがと、ございます。」


 少し釈然しゃくぜんとしないが、礼を言ってから席を立ち、壇上に上がって自己紹介を済ませようとする。だが、衆目しゅうもく一身いっしんに集める状態になると、前へと向かう足取りが重くなる。


 ──というのも、僕には外見上のコンプレックスがいくつかある。顔面の出来がどうとか、そんなことはどうにもならないことだし、何より僕を産んでくれた両親に対して失礼な感じがしてあまり言い訳にしたくはないが、えて言うならば中の下といったところだろうか。この自己評価も僕の自己肯定感の低さに起因するものだと信じたい。


 それよりも気にしているのは、僕の170cmにも満たない身長である。それこそどうしようもないことだし、なるべく気にしないように生きてきたつもりだ。しかし、数少ない高校時代の友達からも身長の低さをからかわれることはあったし、世間はことあるごとに何かと身長を話題にして僕に忘れる機会を与えてはくれない。おかげですっかり人前にでて毅然きぜんとした態度で振舞うことすら、僕にとっては困難なこととなったのだ。


 などと脳内でいつものような卑屈ひくつっぷりを発揮している間に、ようやく壇上まで辿り着いた。急激に心拍数が上がっていくのをひしひしと感じる。あとは適当に当たりさわりのないことを話せばそれで良いのだ。無心となって口を開く。


「皆さんはじめまして。法学部環境法学科2年生の否己影太いなきえいたと申します。趣味は音楽鑑賞とサッカー観戦です。見た感じこのゼミには知り合いがいないようなので、皆さんとこの講義を通して仲良くなれればいいなと思っています。よろしくお願いいたします。」

 

 ──及第点きゅうだいてんだろう。普通に日課のYouTube鑑賞や最近空き時間に暇潰しを兼ねてやっているスマホゲームの話をしてもよいのだが、僕みたいな根暗ねくらがそんなことを言ったら余計に暗い印象を与えるだけだ。それに一切嘘は言っていない。Bon JoviやFoo Fightersといったアメリカのロックバンドが昔から好きで、それをきっかけに今では多岐にわたるジャンルの洋楽を聞くようになった。大学の課題など何らかの作業をするときは、最近背伸びして購入した少し高級なワイヤレスイヤホンを耳に当てながら取り組むのがお決まりとなっている。


 サッカーについても、僕は3歳のころから父親のすすめで複数人の友達と近所のサッカークラブで10年間プレーしていた経験がある。僕は生来、何事も少し続ければそつなくある程度のレベルでこなせてしまうので飽きっぽいきらいがあった。そのため、最初の方は僕が誰よりも早く上達していったと思うが、時を重ねる毎に情熱的に練習に取り組む子の方がすくすくと成長していったのだ。時々催もよおされた他クラブとの練習試合や公式戦でも僕よりもガッツがある子の方が重宝ちょうほうされたし、そのことで僕は自身の中途半端さに辟易へきえきして劣等感を抱き続けていた。


 そもそも、何かミスする度に怒鳴り散らされる体育会系の人間関係があまり得意ではなかったというのも一因だ。やはりスポーツ選手として大成する人というのはああいう重圧に耐えるガッツを備えているものなのだろう。そこまでの熱量はなく、それでも漠然ばくぜんとサッカーが好きな僕は最近よくイングランド一部リーグに属しているアーセナルというサッカークラブの試合中継を見ている。


 ──皆さんと仲良くなれればいいなと思っています。この言葉にも嘘偽うそいつわりなど一切ない。ただし、今までの人生において事あるごとに行われた自己紹介の最後をこの言葉で締めくくった後に、その通りになったことはおそらくなかっただろう。さらに「」と言ってあたかも偶然をよそおってはいるが、大学にはそもそも知り合いどころか友達がいないのだから、苦しまぎれである。


 形式上の拍手喝采と共に、僕は誰とも目を合わせないように自分の元居た席へと戻ろうとする。直前で顔を上げると先程僕に声をかけてくれた彼女と目が合う。──忘れていた。自己紹介の緊張で彼女の存在を関心の埒外らちがいとしていた僕は彼女の表情を見て呆気あっけにとられた。彼女は、笑っていた。


「へぇー、知らなかったな。否己くんって結構多趣味なんだね。」


 そう小声で僕にだけ聞こえるように自己紹介の感想を述べてくる彼女に対して、僕は「はぁ、そうですね……」としか返せなかった。


 全員分の自己紹介が終わったということで、教授がゼミの今後の予定などについて説明を進める。どうやら初回講義ということで、今日は本格的な授業をする気はないようだ。そして彼女は、何事もなかったかのように教授の話に耳を傾けている。

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