第2話 自己嫌悪-2

 季節は夏。大学生活も2年目を迎えある程度生活環境にも慣れ始めた否己影太いなきえいたは、鮨詰すしづめ状態の快速急行でだるような暑さと睡魔に耐え続けていた。


 結局、あれからもなかなかスムーズに寝付くことができず、やれ高校時代に好きだった同級生の女子に告白したら陰で言いふらされていたことに気付き恥ずかしい思いをしたとか、やれ大学の講義で発言を求められた際に的外れなことを言ってしまい一瞬場を凍り付かせたとか、人によっては一切気にも留めないであろう些事さじ逐一ちくいち思い出しては一人で悶絶もんぜつするという一連の自虐行為を繰り返し、ついぞ力尽きて眠りに落ちたのは何時頃だっただろうか。


 熱気と眠気に意識が朦朧もうろうとしている最中、電車の揺れが次第に大きくなっていく。


 ――ガタンッ……。


 一際ひときわ強く車内が揺れたとき、不可抗力だが隣に立っていたサラリーマンと思しき中年男性の足を強く踏みつけてしまう。


「あ、すぃません……。」


 男性は踏まれたことを気に留める様子もなく、満員電車の人混みをうまくかわしつつ片手で器用に操作するスマホから目を逸らさない。こんなとき、相手が相手なら睨みつけられたり、苦言を呈されたりしてもおかしくないのに、相手が黙っていることをいいことに蚊の鳴くような声で相手に届いているかも分からない曖昧あいまいな謝罪で済ませてしまう自分を恥ずかしいと思う。


 いつも通り終点のホームに吐き出された僕は、電車を乗り換えるために最短距離で次のホームに向かう。乗り換えた先の電車は比較的空いている方だ。空調も効いていて、わずかながら寝ぼけきった頭がえていくのを感じる。すると、同じ大学の学生だと思われる私服姿の若者がちらほらと同じ車両に乗り込んでくるのが分かる。


 何分か電車に揺られた後、最寄り駅に到着してホームに降り立つ。改札を通り抜けてエスカレーターへと続く列を横目に階段を使って駅を飛び出すも、目の前の信号がなかなか変わらないので結局追いつかれてしまう。燦燦さんさんと照りつける太陽の光に辟易へきえきしながらもなんとか教室に辿り着き、時刻は8時56分。冷房がフル稼働している屋内と外の気温差に気持ち悪さを覚えつつも、100分間に渡る講義を乗り切るためにまずは自前のノートパソコンをトートバッグから取り出す。


 思い返せば、新型ウイルスによる感染症拡大が世界中で猛威を振るい始めた1年前は、奇しくもこのような対面授業ではなく、ビデオ会議システムなどを通じたオンラインでの講義が主だった。そのため、このようにわざわざ大学へ出向く必要もなければ、成績評価もテストではなくレポートの提出で一本化されていたから学生にとっては非常に楽だった。今となってはそれがすっかり元通りとまではいかないものの、ある程度は従来の大学生活とやらが回帰かいきしつつある──僕は感染症の蔓延まんえんと共に入学したから本来の大学生活なんて知らないけれど。


 そんなことを考えていたら、講義が始まったようだ。事前に配布されたレジュメをパソコンの片隅かたすみに表示しつつ、目で追いながら教授の話の中で重要そうな単語などが出れば可能な限りメモをとっていく。効率とスピード重視でパソコンでメモを取るのは入学当初からパソコン上で全ての講義を乗り切っていた僕にとっては当たり前のこととなっている。



 ◆◇◆



 こうして100分間の講義が終わるころには、天井から吹きすさぶ冷風によってすっかり冷え切った体とパソコン上に表示されているwordのメモ書きが出来上がっていた。しかしなんというか、昨晩は思い出したくもない黒歴史を呼び覚ますためだけにあれだけ働いていた脳が全く機能せず、メモ書きの出来に反して講義の内容を自身がほとんど理解できていないことに気付き、恨めしい気分になる。


 ──これは念入りな復習が必要になるだろうな。誰にもさとられないように感染防止のため大学から着用が義務付けられているマスクの内側で溜息ためいきを1つ、メモ書きを保存してノートパソコンを閉じ、教室を後にする。


 ──次は3限だから1コマ空き時間が生まれてしまうな。こういうときは大抵、カフェで講義の復習や提出日が迫っている課題を消化しながら時間を潰すようにしている僕は、足早に一度大学の構内を出て、しげく通っている近くのカフェに向かって歩を進める。


 何故大学の共用スペースや学食などの安く利用できる場所ではなく、学外のカフェを利用しているかといえば、理由は多岐にわたるのだが、最も大きいのは僕に友達がいないことにある。重ねて言うように、僕の大学入学当初は、感染症の拡大によって通学が当面禁止になった。サークル関係の新歓イベントや新入生同士の交流の機会となる催事さいじも軒並み中止となり、最初の1年間はオンライン上で行われる講義を除いて他の生徒と言葉を交わす機会すらなかった。


 しかし、時が経ち僕が2年生へと進学するころには既に学部内外問わず一定の所謂「仲良しグループ」とやらが完成していたように思う。インターネットが発展してオンラインでも大学の講義が受けられるこの世の中だ。きっと今を時めく若者たちはSNSなどを駆使して入学当初から顔が見えなくとも同じ大学に合格した仲間を探し当て、人間関係を育むことを怠らなかったのだろう。SNS全般をあまり利用しない僕にとっては、全てが手遅れだったという訳だ。

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