命短し愛せよ己

yokamite

否己影太はいつも己を愛せない

慙愧

第1話 自己嫌悪

 日付変わって時刻は午前2時──都内の私立大学に通うためとはいえ、親元離れて一人暮らしするには持て余してしまうほどのスペースがある家の寝室で、僕・否己いなき影太えいたは、ベッドに体を預けながらYouTubeでこの頃流行りのShort動画とやらを見ながら鬱屈うっくつとした気分を誤魔化ごまかしていた。


 インターネットの発展は人間の生活の利便性を格段に向上させたようだが、僕のような寝る前に目を閉じて意識を手放すまでの手持ち無沙汰ぶさたな状態が耐え難い者は、毎晩こうして眠気の限界までスマホを手放さないのだから、人間の生産性はこれからも下降の一途を辿るのだろう。


 おっと、いけない。どうもここ最近は日中に比べて夜中の方が頭が働いて仕方ない。くだらない思考が頭の中で降って湧いては霧散むさんする。「明日も講義があるのだからもうそろそろ寝なくてはいけない」と、そんなことを考え始めてからうに3時間は経っているはずだ。明日は多くの人が訪れないことを祈ってやまない月曜日――いや、もう日付は変わっているのだから明日という表現は厳密には間違──。


「あぁもう! こんな要らないことばかり考えているから、いつまで経っても寝付けないんだよ!」


 得も言われぬ焦燥感に駆られて手に持っていたスマホの電源を切って乱暴に枕もとの充電ケーブルに繋ぐ。ケーブルに繋がれたスマホがその瞬間、機械的に画面を再点灯させる。そのことに若干の苛立いらだちを覚えながらも、興奮してはまた寝付けなくなってしまうと冷静に思考を切り換え、改めて電源ボタンを押す。


 時刻は午前2時30分──一人暮らしの小部屋には、ようやくそれにふさわしい静寂せいじゃくが訪れた。後は瞳を閉じて、これ以上不毛な思考を巡らせるのは止めにして、1限の時間に間に合うように少しでも体を休めるだけだ。そのはずなのに。


「うわぁああああああ!!」

 

 ――また思い出してしまった。小学生の頃、男の子にとって何故か走る速さがモテる要素として扱われていた当時、足の速さにはそこそこ自信があった僕は運動会の花形であるリレーのアンカーに立候補した。全校生徒はもちろん、それぞれの両親や兄弟などの家族が一堂に会して競技を見守る中で、僕は盛大に転倒してしまい遭えなく最下位となってしまったのだ。


 悲しいかな、足の速さがステータスである小学生の間で僕は間抜け扱いされ、僕は参観に来ていた両親共々笑いものにされたのだという負い目を背負う羽目になった。傍からみれば、その程度のこと笑い話にでもすればいいとでも一蹴されそうなエピソードだろうが、多感な時期にあった当時の僕の人格形成には大きな影響があったことに間違いはない。


 しかも無邪気な小学生にとって僕の醜態しゅうたいは大層面白かったようで、卒業までの間はこれでもかといじられることになった。その度に僕の脳裏にはあの光景がフラッシュバックするというのに、彼らにはきっと悪気なんてものは微塵みじんもないのだろうから始末が悪い。


 一度こうなるともう止まらない。せきを切ったかのように脳が自らの意思に反してあれよあれよという間に思考を加速させる。次は中学生の頃、頭の良さに自信があり、勉強だけなら誰にも負けまいと息巻いていたころの僕は自身の能力を生かしてみせようと学年代表に立候補したときのことである。


 立候補者は僕の他にも複数人いたため全校生徒の前でスピーチをすることで選考されることとなったのだが、結果として生活態度や成績評価から生徒の見本となるよう一念発起して代表に名乗りを上げたという自身の思いの丈を誠実に述べた僕よりも、日頃からクラスの中心的人物で明るく気立ての良い好青年が選ばれたのだ。真面目で有能だという自負から肥大化した自分のプライドが打ち砕かれた悔しさと同時に、人気者の求心力には勝らないという劣等感を覚えたという苦い思い出がよみがえり、ベッドの上で悶絶もんぜつする。


 制御を失った脳が芋づる式に記憶を辿ろうとする。閉じたまぶたに力がこもり、これ以上何も思い出したくないという自分の願いを無視しようとする頭の中でいつものおまじないを反芻はんすうする。


「お、落ち着こう……。昔僕を笑ったりさげすんだりした奴らとはもう連絡も取りあってないし、顔も思い出せないんだから。」


 しかし、躍起になって止めどなく溢れ出る思考を抑え付けようとすればするほど、どす黒く濁り切った黒歴史の濁流は間違った方向に僕の意識を攫っていってしまう。


「向こうだって、僕のことなんかきれいさっぱり忘れてるはずだ。気にする必要なんてどこにもないし、そもそも僕は悪いことなんか1つもしてないじゃないか……。」


 一度心を落ち着かせるために枕もとの充電ケーブルに繋がっているスマホを手繰たぐり寄せ、時刻を確認するため電源ボタンを押す。真っ暗闇を煌々こうこうと照らすブルーライトに顔をしかめながら、明順応めいじゅんのうを始める寝ぼけ目で見つめる画面。気づけば時刻は午前4時を回ろうかというところ。1限は9時から始まってしまう。電車と徒歩で通学に要する時間は1時間弱だから、どれだけ遅くとも8時前には出発しなければ間に合わない。


「もういっそのこと朝は諦めて3限から行こうかな……。」


 3限の開始時刻は13時30分なので、1限の出席を諦めさえすれば睡眠時間を大幅に確保できる。もっとも、慢性的な寝不足に起因してこのような手段はとっくに使い倒しており、そろそろ単位の取得に向けて黄信号が点滅しようかというところだ。そうでなくても、生真面目で完璧主義者な彼にとって大学の講義を欠席することは望ましいことではなく、両親から高い学費を援助してもらっていることなどを考えると、激しい罪悪感に苛まれるのである。

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