第25話 渡る権利

 屋上を越え、空中でぼくを掴んでいる人物は、なぜかぼくの体を屋上の地面に投げつけた。

 え、雑……っ。

 しかし、助からなかった時の痛みを考えれば、痛みは緩和された方だろうし――。

 でも、もうちょっと丁寧に、と注文するのはわがままか。

 ぼくの内心を察したのか、怒りがこもっているような投げ方だった。

 いや、直後のぼくの内心ではなく、直前のぼくの行動か――。

 怒りの原因は。

 ぼくを助けてくれた人物は、言うまでもなく、彼女だった――。

 常にぼくを監視していたのであれば、すぐに助けに入れたのも納得だ。

 楽外指南――現状、ぼくの教官である。

 女の子だから、と言ってぼくよりも弱いとは限らない。それは楽外や雨衣を見ていれば分かったはずなのに、痛いほど体験しているはずなのに、さっきの油断はあり得ない失敗だった。

 反省、である。

 というか、帰ったら長いこと説教されそうだ。

 負冠兄妹の、唯一の女の子――名前は確か、念、だったっけ? 

 彼女も楽外や雨衣と似た実力を持っていてもおかしくはない。

 ――持っているだろう、確実に。実際、ぼくは殺されかけたのだから。

 ナイフや銃という分かりやすさはないものの、それでも殺されかけた事実に間違いはない。

 死体さえ作ることができれば、その過程は重視されない――それが実力である。

 あの子のことを、もう甘く見たりはしない。

 いくら可愛くても、油断したりしない。身構えることでぼく自身が強くなるわけではないが、それでも気分的な構えが生死に影響を与えてくれるだろう……しないよりはマシだ。

 そして、助かったぼくの前に立ち塞がるのは、負冠の妹、ではなく。

 静かに怒っている、教官だった。

「ねえ、私が言いたいこと、分かるわよね? 分かるでしょう? そうよね、この私が目の前に立ち、こうして話しているのに、分からないなんてこと、あるわけないわよね? ――ねえ、飛躍屋棺くん?」

 急なくん付けが怖過ぎる。

「えっと――、楽外、さん?」

「へえ、楽外さん、ねえ。私はあんたのことをずっと、ずぅっっと、見守っていて、待っていたって言うのにねえ……、家族の私の存在を忘れて、そこのお友達と一緒に昼休みを過ごしてさ、ほんと、楽しそうでしたよねえ……?」

 あ、ダメだこれ。

 楽外のやつ、完全に拗ねている。

 別に、無視していたわけでも放っておいたわけでもなく、楽外の捜索途中で、彼らに会ってしまったがために――彼らに、襲われてしまったがために、捜索を中止せざるを得なかったわけだ……でもまあ、言い訳か。

 彼らを放っておくこともできた。

 だって楽外との約束の方が先なのだから。

 これはぼくが悪い。

 下手な言い訳は彼女を逆撫でするだけだ――。

 そう思い、楽外の怒りを受け止めるつもりでいたら、しかし意外にも、楽外の『拗ねているモード』は、すぐに終わることになる。

 彼女はぼくよりも、先にいる、負冠兄妹に、視線を向けていた。

 視線を追うと、妹さん――負冠念も、こっちを見つめている。

 ぼくではなく、楽外指南を、じっと、見つめていた。

「魑飛沫、と、向かい合った時の感覚がする……、あなた、魑飛沫……?」

「そうね、合っているわ。私は魑飛沫一族。だけど、名前までを教えるつもりはないわ」

「そっか、そっか――ねえ、起きてよ兄貴。敵がきた。敵とは言っても、相手に敵対心があるかどうかは分からないけど――どうする? ねえ、気絶していないで答えてよ、兄貴——ねえってば」

 自分で兄貴をボコボコにしておいて、叩き起こすとか、どんな妹だ。

 しかし、そんな乱暴な起こし方のおかげか、びくり、と反応した兄貴が、数秒後、ゆっくりとだが意識を取り戻し、体を起こした。

「ねえ、起き――」

「うるせえ、もう起きてんだから、静k」

「どうすればいいのかな、この状況。相手はあの、魑飛沫らしいし、私だけじゃどうにも――」

「分かった、分かったから、うるせえからいちいち権利を持っていくn」

「兄貴、そろそろ翔の方も起こした方がいいんじゃ」

「分かってるから、俺がいいって言うまで話すんじゃねえ、念!」

 ぴしゃり、と切った兄貴の言葉を最後に、兄妹の言い合いが終わる……妹の方は、しゅん、と落ち込んだ様子で、兄貴から一歩ほど下がった。

 目上の人間に従う部下のような態度だ――、さっきまでの上下関係とは真逆――。

 片方がボコボコにされていたとは思えないやり取りである。

 三人、平等な力の関係かと思っていたが、やはりあるのか、上下関係。

 そして、やっぱり、最も上に立つのは、兄貴か――。

 命令して、された方は従う。

 そういう分かりやすい上下関係。

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