第9話 名もなき花

 アラニアは幼い頃から男の子になりたいと切望していた。

 黒い髪に黒い瞳、なかなかの器量よしで、女ばかり五人姉妹の真ん中に産まれたものの、着飾ったりつまらないお喋りに花を咲かせたりするよりも、歳の離れた従兄弟たちやその友人たちと一緒に馬を駆ったり狩りに出かけたりすることを好んだ。

 人並みに着飾ってルグオの社交界に顔を出せば一晩中、紳士諸氏に丁重な扱いを受けるだけの美しさを持っているのに、彼女はそうするかわりに武道をたしなんだ。モバダに有名な大学が設立されたと聞くや否や、父親を説得し、勉学のために一人旅立ったこともあるほどだ。

 そのアラニアがルグオに戻ってきた。

 十六になったアラニアは凛とした美しい女性に成長していたが、その手は相変わらず肉刺だらけで、日がな一日、馬の世話と剣の稽古に明け暮れる始末。いい年頃の娘のこのありさまを見て母親は酷く落胆したが、父親は、この子は男の子として産まれるはずだったのを間違えて女として産まれてきてしまったのだと割り切り、ルグオの王城に娘を士官させることにした。

 アラニアが十七の冬、美しい女騎士がルグオに誕生した。彼女はルグオの至る所に姿を見せることとなり、良い意味でも悪い意味でもあらゆるところで噂の種となった。




 数年が過ぎ、ルグォス全島にこの女騎士の噂が広まりきった頃、モバダから名家の姫君が遊学のためルグオにやってきた。

 同じ女性同士ということで、ルグオ王から否応なくこの姫君の護衛を仰せつけられアラニアは、夜な夜な、この姫君と共にあちこちで開かれる舞踏会に顔を出すことになる。

 モバダの姫君は名をコルシュ・ノト・ネリアといった。月の光のような金髪に薄紫の瞳のこの十八歳の美姫は、黒髪の女騎士アラニアと並ぶとまるで一対の人形のように人々の目に映った。ルグオの大きな舞踏会では必ずといっていいほど、二人の姿を見ることができた。最初は王の命令ということで致し方なく四つ年下の姫君の御守を勤めていたアラニアだった。しかしちょうどアラニアのすぐ下の妹がコルシュと同い年だったことから親近感を感じたのか、二人が何でも言い合える仲になるまでにそれほど長い時間はかからなかった。

 コルシュの聡明さと華やかな美しさ、アラニアの怜悧で厳格な物腰は王城の人々からも注目の的となっていった。




「あら、引っかき傷」

 舞踏会に遅れてやってきたアラニアの顔を見た瞬間、コルシュは不満そうな顔をした。

「ああ、これ?」

 黒髪の女騎士は頬の傷を軽く撫でる。

「闘技試合にどうやら参加できそうでね」

 そう言うとアラニアはにやりと笑った。

 ルグオ王はこのところ、武力や知力に秀でた者をルグォス全土から呼び寄せてはそれぞれを戦わせ、力比べをさせている。来月早々にも闘技試合が開催されることになっており、このところアラニアはその予選で大忙しだった。その裏では大きな戦いがあるのかもしれないと、そんな会話をアラニアだけでなくコルシュさえもがあちこちで耳にするようになった。

「まあ、嫌だわ。レディが闘技試合だなんて……」

 鼻に皺を寄せ、コルシュが呻くように言う。

「ナイトなら闘技試合は当然のこと」

 アラニアはコルシュに向かって大袈裟なお辞儀をした。彼女がすらりとした手を差し伸べると、コルシュは白い指をちょこんと騎士の手に這わせた。

「それで実際のところ、どうなの?

 噂の真相は解明できて?」

 耳打ちをするように、コルシュは尋ねた。傍から見ると、恋人同士が囁きを交わしているかのようだ。

「それは後のお楽しみ。本音を言うと、今少し情報が欲しいところかな」

「……では、わたくしにお任せあれ」

 艶やかな流し目を送ると、金髪の娘は女騎士からすっと離れた。

 コルシュが広間の中央に歩み出ると、そこかしこから男性陣の手が伸びてきた。娘は誰の手も取らず、お目当ての人物へと真っ直ぐに歩いていく。踊っている者たちはコルシュのために自然と場所を譲った。

「踊っていただけますか」

 年配の騎士がコルシュのほうへ歩み寄る。王の側近の一人だ。

「わたくしでよろしければ」

 コルシュは老騎士を見上げ、白い手を差し伸べた。




 王城の不穏な動きは、王とその側近たちの間で見受けられた。

 近く戦が起こると噂する者たち、王の病を噂する者たち、そしてルグォス全土に広がる腐敗の足音を噂する者。

 どれももっともらしく、また、どれもが単なる噂でしかないのではと思えるようなものばかりだった。しかしこういった話は噂好きの紳士淑女によってまことしやかに語り広められていった。

 その噂の真相を確かめようと、アラニアとコルシュの二人はあちこちで王に近しい者たちと接触し、あれこれと話を聞き出そうとした。アラニアは上司や仲間の騎士たちからそれとなく、コルシュは噂好きを装って。今のところ大きな成果はなかったが、それでも、少しずつ真相に近付いていると、そう、二人は信じていた。

 そんな時、闘技試合の予選に勝ち残った騎士たちへの激励会が王城で開かれた。噂を知ってか知らずしてか、王は機嫌よく騎士の一人一人に声をかけていく。

 アラニアの前で立ち止まった王は、にやりと笑って言った。年老いてはいるが生き生きとした眼差に悪戯っぽい光を宿している。

「近ごろ、賑やかな場に参加することが多いらしいな」

「は、少しでもモバダの姫君の慰みになりましたらと思いまして」

 何食わぬ顔でアラニアが返すと、王はさらににんまりと笑いかけた。

「余程モバダの姫と気が合うらしい。其方たちを引き合わせた折には双方共にあまり気乗りのせんような様子だったがの」

「任務と割り切れば、それなりに……」

「そうか。任務、か」

「はい」

 言葉を濁し、アラニアは苦笑いを浮かべる。

 王はまだ何か言いたそうにしていたが気が変わったのか、にやにや笑いを残したままその場を立ち去った。

 それから程なくしてアラニアは、王が退位するという急報を…今度は噂などではなくれっきとした真実を、耳にしたのだった。




 アラニアが王の部屋に呼び出されたのは、王が退位するという急報がルグオの王城を駆け巡った直後のことだ。

 この知らせが王城のあちこちで囁かれるよりも前に情報を手に入れていたアラニアとコルシュは驚きこそしなかったが、王が何を意図して今の時期に退位するのかが解らなかった。そして、アラニアが退位直前の王の元に呼び出されたことの真意も。

「エナシュ王、私如きに御用とは」

 王の前に立つや否や、アラニアは率直に問うた。

 老体ではあるが、王はまだまだ政務を執り行うだけの元気はあるはずだ。致命的な病にでも冒されていなれければのことだが。

「其方、ナダスへ行ってはくれぬか」

「ナダスへ、ですか」

 王の言葉に、アラニアはわずかばかりの警戒心を見せる。

「そう、ナダスだ」

「これはまたえらく急なことですが、もしや王の御退位と何か関係がおありでしょうか」

 王は、奇妙な笑みを口の端に浮かべた。その笑みはどことなく悲しげで、また、苦しげなものだった。

「詳しくは話せぬ。

 しかし余の在位中に、其方とコルシュ姫はナダスへ行かねばならぬ。ナダスで其方らは伝説のオーヴについての知識と情報を得、別のオーヴの探索者と協力するのだ」

「それは……既に決定されていることなのでしょうか」

 アラニアは尋ねかけたが、王はそのまま言葉を続けた。

「二十年近く前の話だ。伝説のオーヴを手にし、世界を混沌と壊乱から救った者たちがいる。

 彼らからの情報によると、今また、世界の均衡は崩れ去ろうとしている。

 余の在位中に二度も伝説のオーヴが世に現れることになろうとは……」

 王は遠くを見るような眼差しで宙を見つめている。しばらくの沈黙があり、アラニアが何か言おうとした時、再び王が口を開いた。

「しかしアラニアよ。其方がナダスに赴くことの真相は隠さなければならぬ。いたずらに人々を混乱に陥れてはならんのだ」

「では、コルシュ姫は……」

「姫には、気紛れを起こして遊山でもしてもらわねばならんな」

 アラニアがこっそりと王の瞳を見つめていると、王は一瞬、悪戯好きな子供の眼差しをした。

「して、王。ナダスへはいつ発てばよろしいでしょうか」

「それこそコルシュ姫の気紛れ次第。

 ……必要なものがあれば一両日中に財務官に申し立てよ。其方らの遊山に必要な費用を用意させよう。そして其方らが必要とするものはできる限り揃えさせるよう努めよう」

 一両日中とはあまりにも急なことだった。

 が、アラニアは王の言葉に従う他なく、コルシュと共に戸惑いを押し隠したままナダスへの遊山の準備に取りかかるしかなかった。




 それから三日目の朝早く、女騎士と姫君の一行は王城を発った。

 ルグオの北東にある港からナダスへ向けて出港することが決まっており、王城に士官する何人かの青年たちがコルシュ姫を見送るために道中を共にすることになった。

 船は王の命によって既に用意されていた。アラニアとコルシュの二人が乗船するが早いか、別れを惜しむ間もなく船は港を後にした。

 波がきらきらと輝くのを眺めながら、コルシュはぽつりと呟いた。

「何故、ナダスなのかしら」

「ナダスだけではない。ガヤフでも……」

 固い声でアラニア。

「わたくしは何をすればよろしいのかしら」

 尋ねるコルシュの瞳は、白い波間をじっと眺めている。

「遊山を存分に楽しめばいい。その隙にこちらは情報を集めるさ」

 返しながらアラニアは、そういえば来月の闘技試合の参加は諦めなければならないのだなと索漠と考えていた。せっかく予選を勝ち抜いたというのに、残念でならない。

「ナダスとガヤフ……ガヤフは先のオーヴ探究の折にいろいろとあった場所ですわね」

 コルシュは唇を噛み締めた。

「確かにいろいろとあったらしいけれど、今回も何かあるとは限らない。それよりも一つ提案があるのだけれど」

「提案?」

「そう。

 ちょうどいい機会だから、モバダに立ち寄らないかい?」

 アラニアの提案を聞き、コルシュは口許に小さな笑みを浮かべた。

「よろしくてよ。

 わたくしもちょうど、同じことを申し上げようかと考えておりましたの」




 こうして二人はモバダ経由でナダスへと向かうことになった。

 モバダで二人を待っているのは、オーヴ探究の命を受けたシドと、フィースとフィーナの双子の姉妹。

 若者たちの手によって今、新たなるオーヴの探究が始まろうとしていた。

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