第8話 月と星

 二人は産まれたときから離れたことがなかった。


 一人は右に、一人は左に。


 歩むべき道はたがわれても、


 常に手を伸ばせば届くところに相手はいた。


 ずっとずっと、互いのことは自分のことのように分かるものだと、


 そんなふうに信じていた。




   ※※ ※




 たくさんの光が川面に反射して、きらきらと輝いていた。

 光の一つ一つをじっと見つめながらフィーナはぎっと唇を噛み締める。

 双子の片割れとして産まれてきたフィーナは、いつの頃からか、フィースの考えていることを知ることができなくなっていた。

 幼い頃は、お互いの考えていることが手に取るように理解できた。言葉一つで相手を理解し、相手の行動の先を予測することができた。

 自分たちは個々の別の人間であるということを踏まえつつ、相手に同調することができた。

 それが双子だと思っていたし、この関係は永遠に続いていくのだと、そんな風に信じていた。

 それなのに。

 二人はまったく別の人間で、これまで大切にしてきた精神の繋がりというものは、呆気ないほどに簡単にぷっつりと切れてしまうことがあるのだということを、フィーナは知ってしまった。

 知りたくなかったのに。

 ……あたしは馬鹿だ。

 フィーナは両の拳をぎゅっと握りしめる。

 狩り場のすぐ近くを流れる小川は、フィーナのお気に入りの場所だ。ウーンディたちの力の濃いこの場所は、フィーナのバックグラウンドとも言えるだろう。精霊使いの母親の血を濃く受け継いだフィーナは水の精霊たちと交信することができたし、精霊使いになることは残念ながら叶わなかったものの、太古から伝わる魔法の力を駆使する古代魔法使いとしての力なら十二分に持っていた。

 それでも、そんな魔法の力を持っていてさえも、双子の姉フィースのことは理解することができない。彼女を、自分の元に引き付けておくことはできないのだとフィーナは知っていた。

 何故ならフィースはフィースで、フィーナとは別の道を見付けてしまったから。

 別の、心のより所を見付けてしまったのだから。




 最初に双子の絆を断ち切ったのは悲しいかな、フィーナのほうだった。

 両親を訪ねてくる魔法使いや僧侶の中の一人に熱を上げ、フィースに対して心を閉ざしてしまったのだ。

 それまでは、お互いの心は通じていた。いつの時も。心話という形で常に相手の心と接触を保っていた。

 その心の耳を閉ざし、目を、口を閉ざしたのは、フィーナ自身だ。

 母親譲りのフィースの心話力はフィーナの力をはるかに越えている。フィーナがどんなに耳を閉ざし、目や口を閉ざそうとも、フィースは常に、しようと思えばいくらでもフィーナの心を覗き見ることができた。一方のフィーナの心話力はと言えば相手の緊張がほぐれた瞬間に思考を読む程度のもので、双子の姉には遠く及ばなかった。最も、フィーナは自分の力に満足していたから、そのことでの不満は何もなかったが。

 それにしても、自分が取った行動は間違いだったと、今になって悔やまれて仕方がない。

 フィーナはそのお相手に熱を上げ、挙句、差し伸べられた姉の手を振り払うといった失態まで演じてしまったのだ。

 しかもお相手は、フィーナが自分の気持ちを打ち明けるよりも先に、誰だか知らないが村娘の一人といい仲になってしまった。もやもやとした気持ちを抱え込んだフィーナは、自分の気持ちをぶつけるところに困り、つい、姉に八つ当たりをしてしまったのだ。

 卑怯者のフィーナ。

 自分で自分の気持ちを持て余し、関係のないフィースに八つ当たりをしてしまうなんて。

 フィースは心配して、フィーナに言葉をかけてくれただけなのに。

 それなのにフィーナは、そんなフィースの気持ちに心を向けるだけの余裕もなかった。

 ほんのちょっぴり、フィースの気持ちを考えてあげられたら。それだけでも随分と状況が変わっていただろう。

 だけど、もう遅い。

 何もかも、起こってしまったことなのだから。




   ※※ ※




 星は、旅人の足もとを照らすことはできないけれど。


 常に同じ場所から見守ることができる。


 示すことができる。


 彼らを迷いの森より救い出し、正しい道へと導くことが。




   ※※ ※




 フィースに謝ろうと思いながらも素直になれないフィーナがいる。

 もう十日にもなるだろうか。

 双子の、産まれて初めての本気の喧嘩はいまだに続行中だ。

 母親が間に入ろうとも、父親が執り成そうとしても、駄目なものは駄目なのだ。

 フィーナは、もう一人の自分に謝ることができないでいる。

 いや、そうではない。

 謝ったらフィースはきっと許してくれるだろう。その許された自分をフィーナは、許すことができないのだ。

 フィースの気持ちに甘えてしまう自分が許せない。

 一度誰かを裏切ったら、その人間は次々と裏切りを繰り返すだろう。フィーナもそうだ。今回、初めてフィースを裏切った。ここで許されたら、別の機会にまた、双子の片割れをあっさりと裏切るはずだ。

 それがわかっているから、フィーナは自分の片割れに謝ることができないでいるのだ。

 謝って、許し、許されて……その繰り返しが延々と続くだけ。

【どうして、これ以上何を悩むことがあるというの?】

 誰かが問う。

 フィーナはすぐに答えることができない。

「だって、あたしはあたしを許せなくなる」

 フィースを裏切った。

 あんなにお互いのことだけを一番に想い合っていたというのに、その想いを裏切ってしまったのだ、フィーナは。

【そう思っているなら、すぐに謝ればいいのよ。相手は必ず、あなたのことを判ってくれる。あなたの思いを、受け止めてくれるわ】

「あたしは、あたしを許せない」

【今の自分自身の思いを理解しているなら、許されることよ】

 どうしてそんなことがわかるのだろうか。

【それに、そんなこと、その時にならないとわからないわ】

「……やめて!」

 フィーナは川面に向かって荒々しい声を投げつけると、一歩後退った。

 そうして、恐る恐る、声に出して呟いてみる。

「誰……母さま?」

 自分が今少しの間、心話で誰かと言葉を交わしていたのだと気付いたフィーナは、警戒心を露にした。相手は、母のノマではない。そして、姉のフィースでもない。精霊たちでもない。しかし、いくら精霊使いではないとはいえ、精霊に関する何者かだということは、フィーナにだって理解できる。

【あたしはあなたの母であり、姉妹であり……そして、精霊でもあるの】

 声は言った。

 川底から響いてくる声はよく通る声で、確かに、母の声とどことなく似ていた。

「いいえ。いいえ、違うわ。

 精霊たちはあなたのように……こんな……こんな……」

【精霊たちは自我を持ってはいない?】

 面白がるようなその声色に、フィーナは驚きを隠せないでいる。

「……ええ、そうよ。

 あなたのように、語りはしない。あなたは誰?」

【あたしは、あたし】

 フィーナの心に直接語りかけてくる声は優しかった。

【あたしが何者かをあなたが知るのは、まだ早いの】

「まだ早い?」

 聞き返した刹那、声の主はフィーナとの心話を通じての接触を突然、絶ってしまった。フィーナに語りかけてきた時と同じように、本当に突然のことだった。

「待って……聞きたいことがあるの!」

 フィーナは声の主を引き止めようとしたが、ただ、彼女の声が水面を空しく滑るだけだった。




 その夜、フィーナは思い切ってもう一人の自分に声をかけることにした。いつまでも喧嘩を続けていていいわけもないし、何よりも自分自身がフィースと仲直りしたくてたまらないのだ。だけど、どうやって仲直りをすればいいのかがわからない。わからなくて困っていたところ、昼間のあの不思議な声に謝ればいいのだと、何でもないように言われた。どうしようかと躊躇しているところに、踏ん切りをつけてくれるかのようにぽん、と背中を押されたような感じだ。

 ベッドに入り、眠りに就く瞬間、もしかしたら相手が眠ってしまっているかもしれないと思いながらフィーナは言った。

「お休み、フィース」

 小さい声で、囁くように。

 すぐに言葉が返ってこなかったものだからフィーナは、フィースはもう眠ってしまったのかと思い、自分も眠ろうとまぶたを閉じた時……。

「お休み、フィーナ。よい夢を」

 フィーナの声よりも小さな、だけど、心話を使った確かな声で、フィースが返した。

 フィーナは何も言わなかった。

 フィースも、それ以上の言葉はかけてこなかった。

 二人の夜はこうして更けていった。これ以上の言葉は何もなかったけれど、フィーナは、自分の心が再びフィースと同調したことを知った。フィースもまた同じように、自分の心がフィーナと共にあることを感じた。

 そして二人は再び、互いを別の存在と認めつつ、同じ一つの心を共有する存在となったのだ。




   ※※ ※




 導くは、星。


 其は精霊の友。


 導かれるは、月。


 太古の力。


 共に在り、共に笑い、共に涙する。


 導くは、星。


 精霊たちの源へと導く、一つ星。




   ※※ ※




 それから間もなくして二人は精霊王の元で自らの運命を知ることになる。

 彼女たちが、世界を変えるほどの力を持つ選ばれた者の一人だということを知る日は、もうすぐそこまでやってきていた。

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