第7話 一片の勇気2-②
「オーヴ探究の話は何度も聞いたことがあると思いますが」
と、レガシー小父は話を切り出す。
「何故、オーヴが必要だったかわかりますか?」
翌日、レガシーの書斎に招かれた双子とシドは、自分たちの両親が関わったオーヴ探究の旅の話を始めから終わりまでみっちりと聞かされた。
幼い頃から両親の冒険談を何度も繰り返し繰り返し聞かされて育ったシドには、目新しい話ではなかった。あまりに繰り返し聞かされたものだから、だいたいのことは覚えており、おおまかな筋なら話すこともできるぐらいだ。
「世界の均衡を正しい状態に戻すために必要だったんですよね?」
と、シド。
「そして、自然をあるべき姿に戻すために」
言ったのはノマだ。
両親の代に、世界は一度、均衡を失っている。ガヤフの猫目王が人工のモンスターを作り上げ、ルグォス全土に解き放ったのだ。
ルグォスは乱れ、あちこちの街が暗く寂れた空気に包まれた。
しかしオーヴに選ばれし六人が、この世のどこかに隠されていると言われる七つのオーヴを捜し出し、世界に均衡を取り戻した。
今ある幸せ、平和は、両親を始めとする選ばれた六人のおかげなのだ。
「私が寺院に召還されたのは、季節の行事についての些細なことだったのですが……あちらにいる間に、あまり好ましくない知らせがあちらこちらから飛び込んできていました。
何だと思います?」
回りくどい言い方をしたレガシーは、じっとシドの顔を見た。
「ライの地に異常気象が発生したという噂は知っていますか?」
シドは首を横に振る。
「では、モバダの王城が下界と隔絶されたという話は?」
双子が小さく驚きの声を上げる。
「カザラさんの手紙には、ナダスに水魔が現れたと書いてありました」
不穏な空気があちこちに漂っているのだと言わんばかりのレガシー小父の態度に、シドは不安を覚えた。
「……そしてあたしは、風の精霊たちから、ガヤフの人々がモンスターと思われる何ものかに、無差別に襲われる事件が起きていると聞きました」
最後に言葉を引き取ったのはノマ小母だった。
「今、再び世界の均衡が崩れようとしています」
何ものかわからないが、世界を不安と恐怖に陥れようとしているものが存在していることは確かだった。
「でも……」
と、シドは思い切って口を開いた。
「世界の均衡が崩れ始めたからといって僕たちに何ができるのですか?」
オーヴに選ばれた六人でなければ、世界に均衡を取り戻すことはできないのではないか?
それに。
シドには、モンスターと戦うだけの勇気もなければ、力もない。いくら両親がオーヴに選ばれた六人のうちの一人であろうと、そんなことはシドには関係のないことなのだ。シドは、戦いに必要な勇気や力に関しては、悲しいほどに両親とは似ていなかったのだから。
「オーヴの担い手を捜してほしいのです、あなたたちに」
レガシー小父がはっきりと告げた。
「……できません、そんなこと」
シドには無理だ。
勇気が、力が、足りないのだから。
「父さま、あたしたちも一緒に行くの?」
少し控えめに、フィースが口を挟む。
「ええ、そうよ。
フィース、それにフィーナ。あなたたちもシドと一緒に旅に出るのよ」
双子の手を取って、ノマが言った。
「あたしたちも……一緒に……」
フィーナがぽつりと呟く。
何故、双子が一緒なのか、シドにはわからなかった。レガシー小父はシドだけでなく、双子にもオーヴの担い手を捜すように言ったが、それが何を意味しているのかシドには見当もつかなかった。
「あなたたち三人になら、きっと見つけ出せるわ。
フィースの精霊使いの力と、フィーナの古代魔法使いの力。そしてシドの知識があれば。
フィースとフィーナはレガシーとあたしの、シドはイズゥとカザラの血を引いているのですもの」
誇らしげにノマが言い、レガシーも頷いた。
「恐れることはありません、シド。オーヴに関する知識を持つあなたたちにならきっと、新たな担い手を捜し出すことができるでしょう。
それに、これのことについてはカザラさん…あなたのお母さんも同意しています。私が受け取ったあの手紙には、万が一、私たちがオーヴに関して何らかの行動を起こす必要が生じた場合には、その時にはシド、あなたを旅立たせてほしい、と。
この度、私は寺院からオーヴに関する全権を預かりましたが、それにはまずオーヴの担い手を捜し出さねばなりません。
モハズ・ヨ・シド、そしてフィース、フィーナ。あなたたち三人が協力し合い、オーヴの担い手を捜し出すことを、私、レガシー・コ・ギィーワは命じます」
※※ ※
「どうして……」
小父夫婦から聞かされた突拍子もない話にシドは、ベッドの中で何度も溜め息をついた。
息苦しくて何度も息を大きく吸い込むのだが、肺は満たされない。一瞬にして、真っ暗な闇の中に突き落とされてしまったような感じがする。
オーヴの担い手を捜す旅に出るようにとレガシー小父に言われたが、そう簡単に事が運ぶはずがないように思えた。よしんばオーヴの担い手がこのルグォスのどこかにいるとしても、たった六人の人間を捜し出さなければならないのだ。小父にしろ小母にしろ、いったいこのルグォス全土に、何人の人間がいると思っているのだろうか。
しかも母親が、シドが旅に出ることに一枚噛んでいるというのもいただけない。
母親はシドを試すために使いに出したのではない。試すために、旅に出したのだ。あてもなく、終わりの見えない旅に。自分は母親に騙されたのだ。こんな風に考えると、シドは無性に悲しくなってきた。このことを父親は知っているのだろうか。もし知っているとするなら、シドはもしかして両親に疎んじられているのだろうかと、要らないことまで考えてしまいそうになる。
それに双子たち……フィースとフィーナのことも気になる。彼女たちと一緒なのは随分と心強いが、あの二人はシドとは別の考えを持っている。双子は、オーヴの担い手を捜し出し、オーヴが揃うところを自分たちの目で見届けたいと思っている。両親がオーヴに導かれ、世界に均衡を取り戻したのと同じ体験をしたいと思っているのだ。
シドにはだけど、そんなことはどうでもよかった。確かに彼の両親もオーヴの担い手だったがシドはそんなものにはなりたくなかった。そんなものになった日には、それこそシドなんかには手の負えないようなことが山と出てくるだろうから。
憶病でいい。
何も出来なくていい。
余計なことはしたくないし、危険な目にも遭いたくない。
穏やかな、心安らげる日々があればそれで充分だ。両親のようにわざわざ自分から進んで危険の中に飛び込んでいくような、そんな波乱に満ちた生活を送りたくはない。
そんなことを考えながらシドはその夜、眠りに落ちた。
それから十日も経たないうちに、三人の若者はアーデロを旅立つことになった。
その間、三人はそれぞれの準備に忙しかった。
フィースはアーデロの北部にあるシャ・ゼローの村へ行った。先のオーヴの担い手の一人で、今はシャ・ゼロー族の女族長に探求の時の話を改めて聞かせてもらいに行ったのだ。フィーナのほうは父のレガシーにつきっきりで僧侶が使う魔法の習得に集中した。彼女たちは魔法の力をこの何日かで強化していたし、それぞれ簡単な武器の使い方も習得していた。
シドは、実践は未経験だったがいくつかの武器の扱い方なら両親から教わっていた。魔法についてはこの短期間にノマから簡単なものを二つ、三つ教えてもらった。残念ながら一つとして使い物にならなかったが。
三人はまず、モバダへ向かうことにした。
モバダの王城は下界から隔絶されたとレガシー小父は言った。完全に隔絶されているのなら先に他の街を回るつもりだったが、王城へ続く秘密のルートが残っているかもしれないと小母は言うのだ。三人は小母の言葉を頼りに、モバダへ向かうことを決心した。
それに、精霊使いでもあるフィースは風の精霊との交信を殊に得意としている。モバダには七つのオーヴのうちの一つ、風のオーヴがあるところでもあるから、何か情報を得ることができるかもしれない……。
「三人とも、忘れ物はない?」
ノマが心配そうに皆の顔を順に覗き込んでくる。
フィースは何度も頷き、母を安心させようとした。フィーナは出立間際まで父から魔法のことを教えてもらっていた。
シドは三人の中でいちばん消極的だった。旅に出ることを最後まで嫌がり、ぎりぎりまで用意をすることを拒んだのだ、シドは。数日前にノマに説得されてやっと旅の用意をしたほど、今回の件に関しては最後の最後まで難色を示していた。
「私たちはこれからルグオへ向かいます。
あなたたちの見送りはできませんが、気を付けて行きなさい」
レガシーが三人の顔を順々に見つめ、こう言った。
「はい、父さま」
双子たちはそれぞれに両親に別れを告げる。
「シド、どうか気を付けて」
母親以上にシドを気遣うノマがそっと声をかけた。シドは力強く頷き、応えた。
「ありがとう、おばさん」
ノマの説得はシドに、旅に出る勇気を与えてくれた。
まだノマ小母が若い頃、気が弱くていつもシドの母カザラの後ろに隠れていたこと。憶病だったこと。シドの父イズゥが怖くて、なかなか言葉を交わすことができなかったこと。そんなノマだったが、オーヴ探究の旅に出たことで仲間たちと自然体で接することができるようになった。今のノマ小母は、シドから見ると凜とした、どこか物静かな女性にしか見えないのだが、初めからそうではなかったのだということを知って、少しだけ気分が楽になった。
人は、誰も生まれた時から強いわけではないのだ。
弱いからこそ少しずつ少しずつ、年を重ねるごとに強くなっていくのだ。
「皆、くれぐれも気を付けてちょうだい。
それからフィース、何もなくても連絡だけはしてちょうだい」
と、ノマ。
「わかったわ、母さま。朝になったら母さまたちに知らせが届くよう、夜の間に風の精霊たちにその日一日の行程を伝えておくわ」
母親の言葉に思慮深く応えるフィース。
「フィーナは、ナダスに行ったら必ず水の精霊王に会うのよ。あなたは古代魔法使いだけど、水の精霊たちとだけは密接なつながりがあるから、彼らがきっと何か助言をしてくれるはずよ。特に水の精霊王の言葉には心して耳を傾けなさい」
「はい、母さま」
馬の背に荷物を乗せ直していたシドは、傍らでこの家族のやり取りを見ていた。
「シド」
不意にレガシーがシドのほうに目を馳せた。
「これを持っていきなさい」
いつの間に用意したのか、レガシーの手には細身の曲刀が握られていた。
「これは……?」
「以前にあなたのお父さんから頂いたものですが、残念なことに私にはこれを使いこなすだけの腕がありません。あなたに使ってもらえれば何よりなのですが」
レガシーの言葉に、シドはわずかに顔をしかめる。
「僕は……僕には、使えません」
うつむいたシドは、くぐもった声で呟いた。
ただ武器を扱うだけなら、いくらでもできる。しかし人を傷付けるための道具として使うことはしたくなかった。両親がしているようなことはシドには出来なかったし、したくもなかった。
今回の旅にも、シドは自分の身を守るための武器にスリングしか選んでいなかった。
「武器は、人を傷付けるだけのものではありません。
お取りなさい、シド。あなたのお父様が使ってらした剣を。そしてこの剣であたしたちのフィースとフィーナを守ってくださいな」
ノマが進み出て、シドの手を取った。
「綺麗事だけでは生きていけませんよ、シド」
横からレガシーが口を挟んだ。
確かにそうかもしれない。レガシーの言葉が正しいのだろう。だけどシドにはシドの、思いがある。
「この剣を僕が手にしたからといって、フィースとフィーナを守ることができるとは限りませんよ?」
シドがそう言うと、レガシーとノマの夫婦は解っているという風ににこりと微笑んだ。
「その時はその時です」
と、ノマが言うのに、
「それに、フィースもフィーナも自分の身を守るぐらいのことは出来るはずです」
レガシーが言い足す。
ためらいながらもシドは、父イズゥの剣を手にした。そうするしか他なかったのだ。曲刀はシドの手にしっくりと馴染み、それが故にシドはこのことが酷く恐ろしいことのような気がした。
「……行ってきます、父さま、母さま」
先に馬に跨っていたフィーナが言い、それを合図に若者たちはレガシーとノマの二人に背を向け、オーヴの探究へと旅立った。
「三人とも、どうか気を付けて……」
よく通るノマの声が、いつまでも三人の背後で響いていた。
こうして三人はモバダへ向かうこととなった。
モバダで新たなオーヴの探究者たちと巡り会うことになろうとは、この時はまだ、誰も予期していなかったことだ。
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