不老不死【ファンタジー】

 もうすぐ夕日が沈む海岸にいた。水平線はどこまでも広く、夕焼けの赤と海の紺碧がグラデーションを作っている。波打ち際に彼女と座って、今世界で一番美しいと思う景色を眺める。今この場所のこの夕景こそが、世界で一番美しい瞬間だと思う。彼女の長い髪が潮騒になびく。真珠のような清らかな肌を夕日が照らす。きれいだ、と思った。

 彼女は僕に手を差し出す。

「食べる?」

 僕はしっかりと首を横にふる。

「いらない」

「本当にいいの?」

「うん。いらない」

 彼女は手をひっこめ、また夕日を眺める。

「ずっと探していたんじゃないの?」

 たしかに、それは僕が長年探していたものだった。

「探していたよ。でも、今は必要ないと思うんだ」

「あんなに必死に探していたのに?」

 彼女は笑う。たしかに僕は必死に探していた。世界中の誰もがほしいものだと確信していたし、自分が誰より早く発見したことを誇っていた。

「だって、それを僕が食べたとして、君はどうなる? 君は不老不死?」

「いいえ、違うわ。私は時間に応じて年をとる」

「だろう? だったら、やっぱり僕には必要ないんだ。今の僕にとっては、君と一緒に年を重ねることのほうにこそ、意味がある」

「不老不死より?」

「もちろんだ」

 そういって、彼女の肩をそっと抱いた。さっきまで泳いでいた彼女の肩は冷たく濡れている。僕はそんなことには構わない。

 不老不死の薬。それは民俗学者である僕が長年追い求めてきたものだった。世界中の人類が、トレジャーハンターから科学者、大国の政治家までもが、それぞれの方法で追及し続け、それでもまだ手に入れていないもの。魔法のような存在。それを僕は見つけた。そんなものが実際にあったとわかれば、大発見だ。僕は世界的な有名人になっただろう。億万長者になったかもしれない。でも、やっぱり今は必要ないと思っている。だから、僕は不老不死にはならないし、このことは誰にも言わない。

 不老不死になることより、大切な存在に出会えると人は一緒に年を重ねたいと思うらしい。僕自身、そんなことを実感している。永遠にひとりで生きるより、大切な人と愛し合って年老いたい。そんな人間らしい当たり前の感情が、僕にもあった。血眼で探したものを見つけたのに、今は彼女と一緒に年を重ねたい。穏やかな幸せに包まれながら、僕は彼女と夕日が沈むのを眺めた。

 月日は流れ、僕と彼女は長い年月を一緒に過ごした。僕は海岸の近くに家を建て、そこで暮らした。彼女と二人で長い時間過ごし、夕景を眺め、波打ち際でくつろいだ。そんな数十年を過ごし、僕はいよいよおじいさんになった。髪も髭も白くなり、顔には潮風と年月により深いしわが刻まれた。最近は呼吸器官が弱って、海には入れない。彼女は、艶のある美しい髪をたゆたえて今日も泳いでいる。しわ一つない真珠のような肌と、しなやかな体に日光を反射させ、まばゆいほどにきれいだ。

 彼女が、僕が休んでいる海岸の岩へやってくる。

「あの日、食べなかったこと後悔している?」

「いいや。していないよ。僕は幸せだった」

「でも、こんなはずじゃなかったと思っている?」

「いいや、僕が無知だっただけだ。君が僕と同じくらいの寿命だと、勝手に思っていただけだ」

「今からでも食べる?」

 彼女は透けるように白い腕を差し出してくる。僕は笑う。

「こんなじいさんになってから不老不死になるなんて、地獄だ」

 彼女も笑う。きっとこうして彼女たちは世界中の不老不死を求める輩から自分たちを守ってきたのだろう。でも僕は後悔していなかった。彼女と同じ寿命でなくても、一緒に年を重ねたのは事実だ。この数十年、僕はたしかに幸せだった。

 彼女は少女のような笑顔を見せてから、また海へざばりと潜っていった。美しいうろこに覆われた下半身が、虹色に光って神々しく輝いた。




【おわり】

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