裏の顔【ほっこり】

「いってきます」

 スーツ姿の僕は、エプロン姿で見送る妻の頬に軽くキスをする。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

「パパ、いってらっしゃーい」

 娘も見送りに駆けてくる。幸せな、ありふれた家族の朝。駅まで歩く間にメールが届く。

【Y駅西口集合】

 僕は【了解】とだけ返信し、すぐにメールを削除する。僕は、会社員の顔ではなくなる。

 久しぶりのY駅。駅の前で若い女性がチラシ配りをしている。

「何をきょろきょろしている」

 声をかけてきたのはボスの秘書だ。ボスには会ったことがなく、いつも秘書が現場へ出てくる。

「コードQの情報提供者と会ってもらう」

 コードQは、性別も年齢も何もかもわかっていない、某国のスパイだ。日本に潜んでいるらしい、という噂だけが広まり、我々国家諜報部員を悩ませている。

「今日の14時、またこの場所で」

 秘書から住所の書かれた紙を受け取る。その場所へ着くと空き家だった。汚れた玄関から靴のままあがる。リビングに入ると女がいた。つばの広い帽子をかぶって顔はよく見えない。全身黒ずくめのその女が、ゆっくり顔をあげたとき

「君!」

「あなた!」

 そこにいたのは、なんと妻だった。

「情報提供者って」

「諜報部員って」

 妻の裏の顔を初めて知って、僕は驚いた。

「僕に気づかせないなんて、そうとう優秀だな。惚れ直したよ」

「あなたこそ、私の目を欺くなんて」

 僕らはコードQの正体を突き止めるべく手を組んだ。エプロン姿の妻もかわいいが、裏組織の情報屋である妻もかっこいいと思い、胸が高鳴る。

 妻からの情報により、コードQの下で働いたことがある人物に会えるという。その場所の住所を見たとき、少し胸騒ぎがした。妻も同じなのか動揺して見える。その場所へ着くと「合言葉は?」と小さな声がした。

「ハンバーグ」

 妻が事前に聞いていた合言葉を口にすると、建物の陰から幼い少女が姿を現した。僕と妻の予感は的中した。

「コードQの下で働いたことがあるって、あなたなの?」

 そこには幼稚園の制服を着た娘がいた。住所が、娘が通う幼稚園だったのだ。

「そう。簡単なハッキングの仕事だよ」

 娘は自慢げに胸をはる。娘はパソコンに興味があり、プログラミング教室に通わせている。まさか、ハッキングができるほどに優秀だったなんて。合言葉のハンバーグは、そういえば娘の大好物だ。幼稚園に早退の旨を伝え、三人で自宅へ帰る。娘がパソコンを解析する。

「パパ、ママ、これが答えだよ」

 そう言って娘が導き出した答えは、我々の情報とも一致し、コードQの正体は確実なものとなった。


 三人でY駅へ戻る。秘書との約束の14時。

「収穫はあったか」

 秘書が近づいてきた。

「ああ。コードQの正体がわかった」

「なんだと」

「コードQは、お前だ!」

 僕たちは秘書がコードQであることを突き止めたのだ。

「まさか、バレるとは!」

 秘書は僕らを突き飛ばし走り出した。駅前でチラシを配っている女性にぶつかりそうになる。

「どけー!」

 すると女性は、秘書の足を軽く払い、秘書は思い切り転んだ。女性は秘書に手錠をかけ「公務執行妨害で逮捕します」とつぶやく。そして僕らへ向き直る。

「任務ご苦労さま。こいつが怪しいと思っていたが証拠がなかった。今後も期待している」

「まさか……ボス?」

 ぽかんとする僕らをおいて、ボスは秘書を連れて去っていった。


「パパ、ママ、お腹すいた」

 娘がすっかり幼稚園児の顔に戻っている。

「ああ、そうだね」

 僕も父親の顔に戻る。

「そういえば、お昼食べてないじゃない」

 妻も、妻であり母親の顔に戻る。

「なんかおいしいもの食べて帰ろう」

 僕が言うと娘が「ハンバーグ!」と叫ぶ。ごく普通の幸せな、ありふれた家族の昼だった。




【おわり】

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