もうひとりの声【ホラー】

 残業が長引いた週末の夜、会社を出るなりスマホをあけてプラトルルームにつなぐ。ワイヤレスイヤホンを耳につけて、どのルームに入ろうか画面をスクロールする。最近私がハマっている会話型SNSだ。

 紅茶豚さんがホストをやっているルームがあった。紅茶豚さんはこのSNSで知り合ってよくルームにお邪魔するフォロワーさんだ。今日は何を話しているのだろうか。ルームの名前を見ると【夏なので怪談しましょう】と書いてある。会社帰りの電車だから会話には入れないけど、聞くだけでも楽しそうだ。私は紅茶豚さんのルームに入る。

「あ、林檎ジュースさん、いらっしゃい」

 林檎ジュースは私のハンドルネームだ。

「今怪談話しているんですよ」

 私のマイクはオフのままだ。

「あ、もしかして外ですかね。そのまま聞く専でもいいんで~」

 そうさせてもらおう。紅茶豚さんのルームには、ほかにミドリムシさんとピヨちゃんさんがいた。三人で怪談話をしていたようだ。

「そのおばあちゃんちで……」

 紅茶豚さんが途中だったらしい会話を続ける。

「狭いタンスの隙間を指して姪っ子が言ったんです。ここにおじいちゃんがいる! って!」

「きゃー、こわーい」

「おおお、ぞっとしましたね」

「うわ、こわ~」

 紅茶豚さんの語りが上手で、みんな怖がっている。私も電車に揺られながら、盛り上がっている会話を楽しむ。

「これは僕が新入社員だったときの話なんですけど……」

 ミドリムシさんが話し出す。

「そこの会社には“出る”って有名な給湯室があって……」

 ミドリムシさんも話し方が上手でもうゾワゾワする。

「同僚が残業していたときに、ぴちょんぴちょんって、水の音がしたそうなんです」

「ええ、もう怪しさしかないじゃないですか」

「絶対やばい」

「まさか見に行っちゃうんですか」

「そうなんですよ。同僚は、怪しいな、怖いな、と思いながらも、その給湯室に行ったんですって」

「えーなんで」

「怖すぎ」

「ひとりで行くなんて!」

「でも、給湯室に行くと、蛇口がゆるくて水が垂れていただけで、誰もいなかったんです。ほっとした同僚が給湯室を出ようと振り向いた瞬間そこに……びしょぬれの女が立っていたんです!」

「きゃ!」

「わあ!」

「びっくりした!」

 ミドリムシさんが急に大きな声を出すから、私も電車でびくっとしてしまった。変な風に思われただろうか、ときょろきょろしてしまう。幸い、電車内の人々はみんなスマホを見ているか寝ているかで、私に気をとめた人はいなかったようだ。それにしても、ミドリムシさんも話すのがうまい。

 電車が自分の降りる駅についたので、私はホームへ降りる。そこでルームのマイクをオンにして、ようやく会話に参加した。

「ずっと電車で聞いていたんですけど、怖すぎて声でそうになりましたよ」

「え? あれ? 林檎ジュースさん?」

 ホストの紅茶豚さんが不思議そうな声を出す。

「はい。林檎ジュースです。こんばんは。私は怪談話もってないですけど、楽しませてもらってます」

「え、林檎ジュースさん、会話に入ってましたよね?」

「え? 私ずっとマイクオフにしてましたよ。電車だったんで」

「え?」

「え?」

「え?」

「え?」

「ちょっと待ってくださいよ。怖がらせようとしてます?」

「え、何の話ですか?」

「だって、最初はマイクオフだったけど、途中から会話に参加していたじゃないですか」

「してませんって」

「やめてくださいよ。そういうの、マジで怖いっす」

 ミドリムシさんが言う。

「いや、そんな、本当に聞いていただけですって」

「だって、このルーム、四人しゃべってましたよね?」

 私はスマホを握る手が冷えていくのを感じた。私は会話に参加していない。でも、四人でしゃべっていたって、どういうことだ?

「紅茶豚さんと、ミドリムシさんと、ピヨちゃんさん、だけですよね」

「いや、私たちは林檎ジュースさんもいると思ってました」

「私はマイクオフでしたよ。参加者のアイコンはこのメンバーだけですし」

「ちょっと一人ずつしゃべってみてくださいよ」

 ホストの紅茶豚さんが言う。

「まず、私、ホストの紅茶豚です」

「えっと、僕がミドリムシです」

「私はピヨちゃんです」

「私は、聞くだけで参加していた林檎ジュースです」

 少しの間があった。


「……楽しかった。また参加するね」


「え! ちょっと待って、今の誰!」

「女性の声のような気がしましたけど」

「林檎ジュースさんの声じゃないじゃん」

「だから、私は聞いていただけなんですって!」

「楽しそうだったから参加しちゃったの、ごめんね」

「ちょ、だから誰! ふざけてるならマジでやめて」

「ふざけてないよ。楽しそうだったから」

「やばい。ちょっと怖いから一回ルーム閉じます!」

 紅茶豚さんがそう宣言した直後、ルームは閉じられた。イヤホンにはツーという無音が聞こえる。何だったんだろう。私は人のいなくなったホームに立ち尽くし、ぞっと鳥肌が立つのを感じた。なんかよくわからないけど、怖かった。そう思ってイヤホンをはずそうとしたとき、微かに何か聞こえた。


「……仲間はずれにしないでよ。いじわる」





【おわり】

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