誕生日の夜に【SF】

 ピンポーン。ピンポーン。どんどん。どんどん。

「カズ君、いますかー?」

 夜の八時。玄関のドアがたたかれ、俺の名前を呼ぶ人がいる。声に聞き覚えはないし、こんな時間にアパートを訪ねてくる知人もいない。誰だ?

 俺は無視しようと思ったが、ピンポンピンポンと繰り返しチャイムをならされてうるさい。仕方なく、かったるい体を起こしてドアスコープをのぞくと、見たことのない女がいた。

「何ですか?」

 ドアごしに聞く。

「ああ、良かった。カズ君、開けて」

 昔からの友達みたいに親しげな調子の声が返ってくる。何者だろう。

「誰ですか?」

「ユキです」

 ユキ。誰だろう。すぐに浮かぶ知人はいない。いぶかしがりながらドアを開けると、嬉しそうに微笑む女が立っていた。

「開けてくれてありがとう」

 少し年上だろうか。二十代後半くらいの、かわいい女だ。長い黒髪をひとつに結って、薄く化粧をしている。そして、抱えきれないほどの荷物を持っている。

「何ですか?」

「何って……そうね、何だろう?」

 とぼけるように答えると女は「おじゃまします」と俺の横をすりぬけて、家にあがりこんできた。

「あの、困るんですけど」

 ユキと名乗る女は振り返り「私は困りません」と笑った。

 変な女だ。頭がおかしいのか? でも、どうして俺の名前を知っているのだろう。もしかしたら、詐欺か。もしくは、いわゆる美人局というやつか? 不審に思う俺を無視し、ユキは部屋にあがりこんだ。

「あー、よかった。間に合った」

 ユキは部屋の座卓にある大量の睡眠薬と酒を眺めた。俺が、今から飲もうと思っていたものだ。

「なんなんですか」

「なんなんでしょう?」

 そういって、ユキは座卓にある睡眠薬を自分の持ってきた袋に全部いれてしまった。

「それ、俺の薬なんですけど」

「知ってるよ」

「返してくださいよ」

「やだ」

 ユキは睡眠薬を入れたのとは別の袋をがさがさと探り、突然俺に何かを向けてきた。

 パン!!

 小さな破裂音が部屋に響く。一瞬、撃たれたかと思って、恐怖に目を閉じた。ユキの笑い声がする。おそるおそる目を開けると、ひらひらと細いリボンと紙吹雪が目の前を舞っている。クラッカーだ。

「お誕生日、おめでとう」

 ユキが優しく微笑んだ。

「なんで……」

 なんで知っているんだ。そうだ。今日は俺の誕生日だ。今日、俺は二十歳になった。二十歳になって、人生に絶望して、今から死のうと思っていたところだった。

「なんでって、おめでたいでしょう? カズ君が生まれた日なんだから」

 そういうとユキは、大荷物の中から次々といろんなものを取り出した。

「ケンタッキーでしょ。あとね、ピザ。コーラ。一応ビールも! あと、ケーキ!」

 睡眠薬の置かれていた座卓は、あっという間にパーティのようになった。

「とりあえず座って、食べよう」

 意味がわからなかった。見ず知らずの女が突然、俺の誕生日を祝いにきた。もしかして、俺はもう死んでいて、これは死後の世界なのか? もしくは、死ぬ前の夢みたいなものか? いや、もしかしたらこの食べ物に毒が盛られていて、俺は殺されるのかもしれない。

「毒が入っているとか?」

 俺は、聞いてみた。ユキはポカンとしたあと、うふふと笑って「どうせ死のうと思っていたんでしょ? なら毒入りでもいいじゃん」と言った。それもそうだ。

 俺はユキの向かいに座る。

「いただきます」

 ユキは手をあわせて言ってから、フライドチキンを手づかみでとり、食べ始めた。

「よかった。まだあったかい」

 唇を脂で濡らし微笑むユキはかわいかった。

「ちょっと道に迷ったから、間に合って本当によかった」

 美味しそうにチキンを食べるユキを見ていたら、久しぶりに腹が減ってきた。最近、まともなものを食べていない。チキンの香ばしい良い香りに、思わず手を伸ばす。ひとくち噛むと、ジューシーな脂がうまい。

「おいしい?」

 ユキが聞く。

「……うん。うまい」

「よかった」

 何者かわからないし、どうして俺の名前や誕生日を知っているのかもわからなかったが、ユキという女は不思議と落ち着く雰囲気を持っていた。俺はフライドチキンを食べ、ピザを食べ、コーラを飲み、ユキはビールを飲み、不思議で和やかな夕食の時間が過ぎていった。食事がおおむね終わると、ユキはいったん冷蔵庫にしまっていたケーキを出してきた。立派なホールケーキで、【カズ君】というプレートまで乗っている。

「はい。カズ君は今日の主役だから、チョコプレートもどうぞ」

 そういってユキは、俺にケーキを切り分けてくれた。

「こんなにごちそうになっておいてなんですけど、これは何なんですか? 詐欺か何かですか? 俺にはドッキリやサプライズを仕掛けてくるような友達はいません。いい加減、何なのか教えてもらえませんか?」

 ユキは、少し困ったような顔をしてから少し笑った。

「話しても信じてもらえないと思うからな……」

「何ですか?」

「カズ君がね、二十歳の誕生日の夜が人生で一番つらかったって言っていたから」

「俺が?」

「そう。あなたが」

 意味がわからない。

「それで、私カズ君に死なれちゃ困るからさ」

 俺に死なれて困る人間なんていない。

「コ口ナ禍でバイト先の居酒屋がつぶれたんでしょ?」

 なんで知っている?

「それで、家賃も滞納しちゃってる。でも、ご実家とは折り合いが悪いからお金のお願いはできない。そこにくわえて、お友達だと思っていた人に騙されてお金をとられてしまった」

 その通りだ。俺は最近、友達に騙されて、借金までさせられた。信じていたやつに裏切られて、失意のどん底だ。

「しかも、最近大きな失恋をした」 

 どうして知っている? 気味が悪くなった。もしかして、いるわけないと思うが、俺のストーカーか?

「誰だ。どうしてそんなことまで知ってる」

「死にたいくらいつらかったって聞いたんだ。でも、過去の自分自身には会えないことになっているから、私が来るしかないって思った。本当、間に合ってよかった」

 そういってユキは、睡眠薬を入れた袋を眺めた。目の縁を赤くして、涙ぐんでいるようにも見えた。

「あなたに生きていてもらわなきゃ嫌だっていう人に、もうすぐ出会うからね」

「え?」

「あなたのこと、好きで好きで仕方なくて、一生に一回しか使えない大事な機会を、あなたを生かすために使う女に、もうすぐ出会えるからね」

「なんのことだ?」

「あんまり未来を誘導するようなこと言っちゃいけないんだけど……今つらいかもしれないけど、腐らないで、新しいバイト探してね。そこできっと、いいことあるから!」

 そういうとユキは「じゃ、またね!」と言って立ち上がり、玄関に向かった。

「ちょ、ちょっと待って! 結局何だったんですか!」

 ユキは玄関で一度振り向いて、両手にこぶしを握って「ファイト!」と言った。そして、そのまま玄関を出て行った。

 狐につままれたような気分だった。意味がわからなかった。夢だったのか? もしかしたら、精神を病んで幻覚を見てしまったのかもしれない。でも、フライドチキンはうまかったし、ピザもうまかった。久しぶりに食事をおいしいと思えた。こんな都合のいい幻覚があるか?

 俺は現実感を取り戻すために、とりあえずテレビをつけてみた。九時からのニュースがやっている。

【ここで速報です。東京大学物理学研究チームが、マウスによる時空の移動に成功したとのことです。代表の鈴木教授は「今後十年をめどに人間によるタイムスリップの実現を目指す」とのことです】

【夢がありますね】

【久しぶりに明るいニュースですね!】

 俺は、狭いアパートの安い電灯に照らされたパーティの名残を眺める。まさか。まさかな。でも……。ユキが最後に言ってくれた「ファイト!」を思い出す。死ぬのはいつでもできる。もうひとふんばり、してみるか。俺は両手のこぶしを握りしめ「ファイト! 俺!」と声をあげた。




【おわり】

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