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「今回の件は、信児よりも有賀さんの意識を改革させなきゃいけなかった。だから途中からずっと、お前は有賀さんが自発的に信児を求めるように挑発してたんだろ?」


今回の騒動の総括。


次の週の水曜日、閉店間際。いつものように街を歩くだけにしてはほんの少しフォーマルな恰好のウェンズが、手に持っていたコーヒーカップをソーサーにおろす。透明に焦げた色の水面が揺らめいた。


私は硝子のコップの表面を吐息で曇らせて、きゅっきゅっと磨きながら頷いた。溜息の有効活用だ。


「そうだね。確かに妻や子への罪悪感があって、そのせいで強く自分の主張ができなかったのかもしれないけれどさ、自分が自分の子に対して遠慮して何も干渉しようとしないのはだめだ。それはもう、親子関係に甘えた虐待だよ。憎んでくれて良いって、憎んでもどうにもならないでしょ。なんて、他人事だから一方的に言えるんだけど。大体八つ当たりだよ」


向き合って、話して、応えて、ほしかった。健康に生きる私達は、何不自由なく会話することができるのだから。


ウェンズは不意に押し黙って俯いた。その視線は黒く、澄んだ水面をたゆたっている。まるでそこに何か映像が投射されているかのように。会話は途切れて、私が食器やコップを扱う音だけが空しいくらいに響く。


「なあ、プレィト」

「なあに」

「信児は、無意識だとしても、死にたがっていたのかな」

「私に聞かないでよ。でも、そういう可能性だってあったんじゃないの」

「俺にはまるで思いつかなかった」


知ってる。だって彼はいつだって、死を否定するために探偵するから。


今回だってそうだ。彼は私の飛び降りという言葉に反応した。ウェンズは人間の死に対して、潔癖なまでに否定的だ。


その価値判断は、彼の自己認識よりもずっと無意識化にまで浸透しているように思われる。ウェンズはあらゆる死を否定したいから、それに適うような解答を探求する。それはきっと生物としては正しい。理想的ですらあるのだろう。


「私には、なんとなく理解できたよ」


その理想は叶わない。君は一生、生存の奴隷だ。


彼からすれば、私や有賀信児の思考は死というものに対してひどく肯定的に映ったのだろう。そう自覚しながらも、私は自分の考えを改めるつもりはない。


私はカウンターを隔てて向こう側にいる彼を見下した。ウェンズが机上に投げ出していた掌を拳に固く握りしめる。そのまま、カウンターの向こう側に立つ私を見上げた。


「誰にも死んでほしくないと思う俺は、間違っていると思うか?」


その視線は、縋りつくような色すら潜ませていた。けれど同時に、あまりにもまっとうで、まっすぐな視線だった。縋りついた相手すら傷つける眼差し。私はそっと、カウンターに肘をつく。


「知るかよ。死ぬまで考えてろ」


オルゴールが響き始める。ウェンズは私を見る。少しだけ、安堵したように。彼の瞳を見つめ返さずに、私は目蓋をおろした。


ねえウェンズ、生きることは正しいことだって言葉にまっすぐに反論できる人間はいないよ。そういうウェンズの生き方を、私も本当は嫌いじゃないんだ。死に抗おうとする君はとても正しい。


正しくて、正しいから、きっと苦しんで死ぬんだろうね。


「……うそ。死ぬ前には、結論出してよ」


でもさあ、私はきみが正しくなくて良いから、探偵なんかやめてくれたほうが良いのにって、思うよ。


「それで私に、教えてよ」




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ピーターパンになるな 絢木硝 @monyouglass

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