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「・・・ま、こんなもんかな」


 タトは盤上の状況を見て、自分が詰んでいることに気が付いた。ここから何をしても好転はせず、待っているのは破滅だけ。玄人でなくとも先が容易に見えた。最後にもう一度だけ確認して文字通り打つ手がないとわかると、一つ頷いて、それから席を立った。机に残された盤はすぐに砂となって消えた。


 タトは十分満足していた。彼女はボードゲームが得意ではない。いつも好んで遊ぶのはデジタルゲームで、アナログはむしろ避けていたほどだった。そんな彼女だが、今回は自分でも中々よくやったと胸を張って言えるほど上出来なプレイングだった。


「よお、タト。なんか機嫌良さそうじゃん。どうした?」


「ああ!そうなんだよ!聞いてくれよ、バァ!」


 バァは小太りでぼさぼさの茶髪をした青年だ。タトだけじゃなく色々な人に気さくに話しかけるため、皆からはとても好かれている。基本、他人には高圧的に当たりがちなタトも、バァには比較的柔らかめに接している。


「実はね、ついさっきまでボドゲをやってたんだけどさ」


「え!?タトがアナログやってたの!?マジかよ!?」


「そう!そうなんだよ!!ビックリでしょ!!それだけでも驚きなのにさ、今回結構いいとこまでいったんだよ。なんと特異点まで行きました!」


「っはぁー!!そりゃすげえや!!タト、お前案外才能あるかもな!」


「んふふ、そうかな?」


 特異点とは、過去に類例のない特殊な方向へと転換する瞬間、その時点のことであり、人間の可能性を決定する役割を担う彼ら彼女らの間においては、ヒトが独自の進化を遂げた、という意味で使われている言葉だ。


「あ、ところで、彼女はどうしてる?」


「彼女?」


「ああ。あの・・・、ほら、赤い髪をした」


「・・・エルー?」


「そうそう!エルー!彼女、大丈夫か?またいつもみたいに古臭いゲームをやってるのか?」


「・・・さあね。私もよく知らない」


「・・・ふぅん。そっか」


「・・・」


 幼馴染という言い方は少し語弊がある。


 彼女たちは別にここで生まれたというわけではないし、自我の未成熟という意味においてのいわゆる幼い瞬間は、この場所に来てからは一度もなかった。タトもバァもそれぞれが自我の認識を持ってこの空間に発生している。ここに至るまでの過程は“生まれる”というよりは“繰り上がる”と言ったほうが適切だ。幼馴染というのは、たまたまその“繰り上がり”のタイミングが同じだったというだけで、どちらかというと同級生とか同僚といった方がニュアンスとして正しいのかもしれない。


 無論、バァもそれは承知している。


「・・・ま、別に構わないけど、一応同じタームで生まれた仲間だしさ。残るならそれに越したことはないと思ってるよ。これは本心だからな」ひらひらと手を振って、バァは別の台のところへ跳ねるように歩いて行った。


「・・・そうだね」


 バァが去った後、タトはここ数日(地上の時間感覚で)、エルーの姿を見ていないことを思い出した。今、彼女がどこにいるか、何をしているかなんてことは思考を巡らせるまでもなく明らかだった。


 どうせまた、あの部屋でコソコソと球を打ち続けているんだろう。


「・・・」


 そろそろ引きはがしに行かなきゃいけない時期かもしれない。


 タトは最新の筐体が集まるコーナーから離れて、電灯の切れた渡り廊下を進む。その先にある茶色に錆びたドア。力を入れて引き開けると、ギギ、と耳障りな音が鳴った。


 普通に生活していたら間違いなく素通りしてしまうような小さな部屋で、エルーはやはり、古臭いピンボール台を打ち続けていた。ガラス板の下で飛び交う玉を追いながら、ブツブツとうわ言のように何かを呟いている。半開きの口と虚ろな目は誰がどう見たってまともな様相ではなかった。


「なあ、エ──」


 反射的に出た言葉の結びをタトは飲み込んだ。


 目の前のエルーが発している言葉の朧げな輪郭をタトの耳が捉えようとしたからだった。


「んねぇ・・、ごめん、ごめんねぇ・・」


 エルーは目を潤ませて鼻をすすりながら、ただ銀色の球を打って落としてをひたすらに繰り返していた。


「・・・」


 タトはエルーが古臭いゲームを妄執的に続けていることを以前から知っていた。毎度毎度、おかしくなっていくエルーを台から引きはがし正常に戻すというのは、半ばタトのルーティンと化している程だった。


 今回も何だかんだ言ってはいたが、タトはエルーに世話を焼くつもりだった。


「・・・ぁ」


 何かがプツンと切れたような気がした。

 エルーに向けて伸ばしかけた手は閉じられて、力なくだらりと落ちる。


「・・ごめん、ごめんねぇ・・・」


「・・・」


 なぜ。


 初めてタトはそう思った。

 彼女はどうして謝っているんだろうか。

 なぜここまで入れ込めるのだろうか。

 別にこんなものが無くなったって誰も困りはしないだろうに。

 一体、何が彼女をここまで駆り立てるのだろう。


──気持ち悪い。


「・・・!」


 自分の心の中に生じてしまった思いを、タトは見ないようにしながら黙って部屋を出た。錆びたドアは入る時以上に、重く軋んでいるように思えた。


──エルーはタトの存在についに気が付かなかった。

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