たしかに私は『聞き上手令嬢』ですが、何でも言うことを聞くだなんて誤解ですわよ?

来住野つかさ

たしかに私は『聞き上手令嬢』ですが、何でも言うことを聞くだなんて誤解ですわよ?

 私は静かに怒っていた。


 目の前の男が、『自分と婚約した暁には浮気を了承し、婚姻後、伯爵家の仕事は全て君に任せたい』などとふざけたことを言ってきたからだ。



   ◇   ◇   ◇



 ここはアルバーティン王立学院内のカフェレストラン。

 私は現在学院の淑女科二年に在席しているシンシア・エーメリー伯爵令嬢。

 いずれ婿を取って領地を守ることになる総領娘だ。

 そのため、領地経営のことは父に教えを受け、ここでは好きなことを学んで色んな方と交流を深めてと、伸びやかに学院生活を楽しんでいた。


 時刻はランチタイム真っ盛りのため、このカフェレストランもだんだんに混み出してきた。

 今は一緒にランチをする方を待っているため、先に席に着いてお茶だけ飲んでいるところだ。


「シンシア・エーメリー嬢、ようやく会えたね」


 本に目を通していたため、ふと見上げると最前さいぜん声をかけてきた男子生徒が、私の向かいに腰かけてきた。


「あの、あなたは······」

「まずは僕に話させてもらえないか? 君は有名な『聞き上手令嬢』なのだろう?」

「でも······」

「ストップ、シンシア嬢。僕の番だ」


 大仰に手の平を私の前にかざし、発言を制して来る。

 仕方がないので読みかけの本に栞を挟み、先を促すことにした。


「まずこの度の君との婚約、それから婚姻を円滑に進めるために、僕にはある素敵な提案があるのだ」

「······」

「君にとっては辛いだろうが、僕には愛する人がいる。ただ君のことももちろん尊重するし、伯爵家を盛り立てよい家庭を築いていく自負は持っているつもりだ。ここまでで質問は?」

「······」

「では続けるよ。君との結婚は義務なので遂行する。出来る限り穏やかな家庭を作ることを約束しよう。ただそれには君の献身と協力が必要だ。なにせ年上の君を娶ってあげるのだから」

「献身? 協力? ですか」

「まず第一に、僕の心の安寧を重視してほしいこと。それには愛する人との永遠の愛が必要不可欠だ! そのために僕と彼女に似合う素敵な住居を用意してほしい」

「それから?」

「次は僕達の穏やかな生活のための提案だ。君の能力を見込んで僕は君を領地経営の代行者に任命したい」

「我がエーメリー伯爵家の領地のことですの?」

「そうだよ。君が幼い頃から慣れ親しんだ領地のことだ、君が全面的に動く方が効率的だろう。これで『聞き上手令嬢』の本領発揮だ」


 気づくとあたりの喧騒は鳴りをひそめ、誰もが私達の成り行きに注目している。


 ――他人事だったら面白い話ですものね。


 思わず漏れそうになったため息を押し殺し、悦に入った顔で滔々と戯言を述べている男に目を向けた。



   ◇   ◇   ◇



 私が『聞き上手令嬢』などと言われるのには理由がある。


 私が六歳の時、我がアルバーティン王国はとある離宮に同年代の子供達を集めて王家主催の交流会を行ったのだ。


 これは将来を担う存在の発掘・育成を主としていたが、優秀な嫁候補の青田買いでもある。


 国王陛下と王妃殿下には、王子様お三方、少し歳の離れた王女様がお一人いらっしゃるが、この時は特にご出席されているかの説明はなかった。


 この交流会のために開放された離宮の庭園は、国花にもなっているアルバーティンの蔓薔薇で覆われた四阿、水鳥が集まったような彫刻を模した噴水、おのおのにテーマを設けて緻密に作られた四種類の花壇······、と子供心にも素晴らしいものだった。

 惜しむらくは温室は危ないからか閉じられたままだったこと。

 またこの他に庭に面した大きなお茶会室もあわせて開かれており、子供を待つ親達の待機場も兼ねていたのを覚えている。


 子供達は原則自由に過ごすよう言われ、私も初めての離宮の見事な庭園にわくわくしながら飛び出した。

 

 男の子達は噴水で何かを浮かべて遊び、さっそくお菓子を摘む子や、仲良しの子とお茶会室に用意された絵本を読み合う少女達もいて、交流会は和やかに進んでいった。

 本会に何かしらの思惑があるにしても、傍目にはめいめいに楽しんでいたように見えた。


 私はといえば、つい物珍しさが勝って、庭園の奥にある園芸用倉庫にまで足を運んでいた。


 そこでは優しそうな庭師の男性が、小さな小花を集めた花壇のところに咲いていた花達を株分けして、一つ一つを水の入ったカップに入れていた。


「それはなんのため?」


 私は庭師の作業を覗き込んで、つい声をかけていた。

 彼は少し驚いた顔をしていたが、にっこりと微笑むと優しく丁寧に作業のことを教えてくれた。


「こうして水をたっぷり吸わせて根を伸びさせてやって、暖かい季節になったら植えてやるためですよ」

「いまうえちゃだめなの?」

「もうすぐ寒い季節が来るでしょう? この花は寒いときに植えると霜に負けるんです。だから今のうちにここでしっかりした強い根を作っておいて、この花が一番好きな季節の時に、このトムがいい肥料のとこに植えるんです」


 トムは私を誘導し、枯葉を腐葉土にしている専用の畑を見せてくれた。


「はっぱをうめて、いいひりょうをつくっているの?」

「そうですよ、お嬢様。それとミミズの奴もいい仕事するんです」

「トム、わたしもやるわ!」

「じゃあ葉っぱを集めましょう。そのあとオレンジを食べましょう」

「オレンジはすきだけど、たべるのはなんで?」

「食べたあとの皮を干して土に埋めてやると、悪い虫が付きにくくなるし、花の栄養にもなるんですよ」

「トムは、なんでそういうことをいっぱいしっているの?」

「わしも父さんや爺さんに、お嬢様のようにいっぱい質問して、教わったんですよ」



 大きな毛布を敷いて二人でしゃがんでオレンジを食べていると、探検をしに来た男の子達や、私を探しに来てくれたお友達の女の子達がそれぞれ来てくれた。

 皆の分もあるから、とトムが集まった子を水場に連れていき、手とオレンジを洗って輪になって食べた。

 その時に、庭師の仕事のことをすごいすごいと私が褒めて話し、子供達も興味を持って聞き、今度は他の誰かが得意の釣りの話をし······と、どんどん話が弾んでいった。

 私はそのどれもが魅力的で、すごいすごいと言って手を叩いて喜んで聞いた。


 そうこうしているうちに交流会は散会となり、集まった私達はオレンジの皮を網に干して帰宅したのだった。



「おとうさま、きょうは、にわしさんにいいことをおそわりましたわ」

「可愛いシンシア、どんなことを教わったんだい?」

「おはなのうえかたとかですの。トムはおとうさまやおじいさまにおしえてもらったやりかたなのですって」

「そうかい。シンシアは偉い子だね。人の話を沢山聞くことは将来シンシアの力になるから、これからも多くの人の話に耳を傾けなさい」

「はい!」



   ◇   ◇   ◇



 それがきっかけとなり、私は人の話は何であれ面白いものとして俄然興味を持つようになった。

 またこの時の交流会でオレンジを食べた子達とはとても親しくなり、今も交流は続いている。

 その子達から、『シンシアはいつも穏やかに、時に的を射た質問を挟んで聞いてくれて嬉しい』『シンシアと話すと頭がすっきりする』『問題が解決する』『あの子は聞き上手で話しやすい』などと言われるようになり、ついたあだ名が『聞き上手令嬢』。


 単に人に興味があるのと知識欲を満たしているだけなのだが、話し方もおっとりしているので物静かだと思われがちだからなのか、はたまた私が率先して話題を作るより、聞いている方が多いからなのか······。

 何でも話を聞いて受け入れてもらえると勘違いする人が出てきてもおかしくない。

 おかしくはないが。


 あらゆる人の話を聞くのはいいことと思って続けていたフィールドワークだったが、まさか目の前のこの男のように、自分と婚約した暁には自分の浮気を肯定しろなどと言ってくるようになるとは思わなかった。


「たしかに私は人の話をよく聞きますが、『言うことを聞く』とは言ってませんけど?」


 こちらの番とばかりにやり込めようとしたところ、


「おまたせシンシア」

 

 と、スラリと背の高い貴公子がやってきて、私の頭にキスを贈ってから横に座った。


「なっなっなっ」

 

 目の前の男だけが慌てている。

 人に向かって指を差さないでほしい。


「何だか珍しくシンシアが怒ってるけどどうしたの? それでこの人は?」

「僕はシンシア嬢の婚約者で!」

「は? 彼女の婚約者は昔から僕だけど?」

「ケイン様、この方、先程からこちらの話を聞いて下さらなくて。何故か私と婚約するとかおっしゃって、反論しようとしても止められてしまうんですの、困ったわ」

「······」

「婚約したら浮気は容認、領地経営は妻に丸投げ、さらに恋人との住まいを準備するように、だとかおかしな事ばかりおっしゃるの」

「こんなところで話すことじゃないね」


 ケイン様は私の頭を撫でながら『ごはんは?』と聞いて下さったけど、首を振るしか出来ない。

 お腹空いたのに。


「そもそも貴族としての責務をはじめから放棄するような発言は我が国の法に反することで、当然見逃すわけには参りませんわ。また政略結婚だとしても、この方のおっしゃる内容ですと相互利益どころかこちらが一方的に不利益を被るのです。不良債権を引き取るだけでも大損害ですのに」

「僕が不良債権って······! 婚約の申込みはきちんとしただろう! 何を今更」

「あの、君に聞きたいのだけど、もしかして君はエーメリー家に釣書を送っただけなんじゃないのかい? それなら婚約成立にはならないよね?」

「それと、どなたなんですの? 存じ上げない方なのですが」

「なっ、失礼な! 僕は」

「今年入学の一年生、セイモア男爵家ダレル君でしょう? シンシアの家に来る釣書は全て私が確認しているけど、君のものもお義父上はすぐにお断りを出したと思うが」

「あれは誤ったものが届いて······。ってそれに『聞き上手令嬢』はお願いを断らないと······」

「はっきり申し上げますけれども」


 残りのお茶を一息に飲み干すと、私は笑みを湛えて言葉を続けた。


「私はたしかに皆様の楽しいお話をうかがうのは好きですけれども、だからといって皆様のお願いを全て受け入れることはないですし、そもそも親しい方達の中に無理な要望を押し付けてくる無作法者などおりませんわ」



   ◇   ◇   ◇



「結局何だったのでしょう······」


 私達はようやく落ち着いてランチを摂ることが出来た。

 時間が少なくなったので二人ともサンドイッチだ。

 ケイン様は苦笑しながら先程の事件の不満を零している。


「僕が卒業してしまって、二人の婚約のことを知らない人も出てきたのかな。心配だな、シンシアのファーストネームも勝手に呼んでいたし」

「私は全く存じ上げない方ですのに、何故ケイン様がお分かりになったの? それと釣書のことって······」

「まあまあ。それより皆が『オレンジの会』をまた開きたいってよ。今度はジョエル殿下も参加したいって」

「もしかして三王子殿下の勢ぞろいになりますの?」

「駄目だった?」

「そんなことはありませんけれども······」


 あの交流会で親しくなった方達とは時々集まっている。

 その会合名が、なんというか······『オレンジの会』。

 彼らの中でもあの場でオレンジを食べたことが深く印象に残っているようなのだ。

 そしてその中にバートレット公爵家ケイン様や、第二王子のエイベル殿下、第三王子のミカエル殿下もいらっしゃったらしい。

 ちなみに第一王子のジョエル殿下や、末姫のビクトリア王女殿下は不参加でいらしたので、後でものすごくがっかりされたとのこと。


「シンシアも早く卒業にならないかな。こんな事がまた起こったらと思うと心配で仕方ない」

「言っておきますけど、飛び級制度は申請しませんわよ?」

「学院が楽しいのだものね。うん、我慢するよ」


 二人できれいに食べ終えて、お茶を味わう。

 もうすぐ午後の講義だ。


「また城に戻らないといけないから、今度の休みの時に『オレンジの会』の日のことを決めようね」

「殿下方のご都合をうかがっておいていただけますか?」

「本当はね、ゆっくり二人で過ごしたいんだけどね······はあ」

「私が卒業した後は、飽きるほど沢山過ごせますわ」

「そうだね、今は独占しないで皆にシンシアを開放しないと恨みを買いそうだ。魔術師研究所に入ったメンバーは、アイディアに詰まって来たからシンシアと話したいらしいし」


 片付けるトレイを持ちながら、ケイン様は私を見下ろして再び頭にキスを贈った。 


「じゃあまたね」  

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