わたしはスライム

 水浴び中で丸裸の姉さんだったが、護身用に短剣だけは持っていた。普段、抜けているが必要最低限の警戒心を持っているのは、さすが冒険者といったところだろう。

 姉さんは自身に飛びかかってくるスライムたちを次々とナイフで切り裂いていった。

 しかし、相手は特定の姿形を持たない液状の生物。斬撃によって体が真っ二つになってもすぐにくっついて元の形に戻ってしまう。これじゃあまるで水を切っているようなものだ。


 攻撃はまるで効いていなかった。反撃もむなしく、姉さんの体に無数のスライムがまとわりつきだす。


「姉さん!」


 身内の窮地にいてもたってもいられなくなった僕は助けようと泳いで、姉さんに近づこうとした。


「光大、逃げて!」


 姉さんの叫び声で僕はふと気がついた。何匹かのスライムたちが、僕の方を向いていることに。


「早く、陸に上がるのよ!」


 次の瞬間、スライムたちがうねるように体を弾かせ、僕に向かって突っ込んでくる。


 クソッ! 水の中で彼らに捕まってしまえば一巻の終わりだ。僕は必死に水をかいて、陸地へと泳ぎだす。

 無我夢中に手足を動かしたおかげかスライムに捕まることなく、何とか僕だけは飛び込んだ元いた地面に戻ることができた。僕だけは……。


 水の中に取り残された姉さんは一人、スライムの群れと格闘していた。体中にくっつくその魔物をナイフで切ったり、はたまた素手で引き剥がそうとしたり。

 一時的に体から離すことはできるものの、数と回復力の速さがはるかに上回るスライムに手も足も出なかった。


 頭以外の全身を、見る見るうちにスライムの体が覆いかぶさっていく。姉さんの体はだんだんと水の中へと沈み始めた。

 まさか、こいつら……姉さんを溺れさせる気か!


「光大……」


 何もできない自分の無力さに打ちひしがれていると、消え入るような声で姉さんが僕のことを呼んでいた。


「刀を……」


 刀……? 僕は乱雑された衣服のそばにある、壁に立てかけられ置かれた刀に目を向ける。この姉さんの刀に僕は何かと助けられていた。ゴブリンを倒したり、時には猪の魔物を丸焼きにするときの串代わりにしたり、その魔物は姉さんのスキルであろう刀から放たれた風の刃で切り裂かれ……。


 スキル……、もしや! 姉さんにはあるのか? 刀から放つことのできる、この危機的状況を脱するだけのスキルが!

 僕は水に向かって、姉さん目掛けて刀を投げた。姉さんは体が沈みゆく中、受け取ろうと懸命に手を伸ばす。


「ああ……!」


 僕は思わず頭を抱えた。刀が飛んでいくのが間に合わず、姉さんの体は水中へと引き込まれてしまった。ポチャンと空しいように水に落ちる音だけが、湖全体に響きわたる。


 終わりだ……。姉さんが死んでしまったとなれば、僕はもう生きていけない。それは魔物に抗うための力量的にも、精神的にも。むしろこっちの比重のほうがはるかに大きい。


 死なばもろとも――。どうせここから逃げ出したところで、次に出くわした魔物に殺されるのが関の山だ。だったら!

 僕は再び、湖に飛び込んだ。少しでも、可能性のある未来にかける! 姉さんに刀を届ける。たとえそれで僕の命が失っても! 姉さんだけは助かり、一人でダンジョンを攻略し脱出することができるかもしれないからな。


「ウッ……!」


 スライムが水に飛び込んだ僕の体にまとわりつく。なんて重さだ。学校の授業で着衣水泳を習ったことがあるが、それと比にならない重量感。まるで全身をボンドで塗り固められ、引っ付いてるようだ。


 クソッ! 無謀だったか……。スライムに水の中へ引き込まれていく。あまりにもあっけない。

 これが死……。だが、不思議とあせりや恐怖は感じなかった。それは諦めの境地に達したことによるものだろうか。ポカポカと体が温められるような心地のいい感覚だった。


「焔宿し――」


 いや、違う! 水に沈みゆく寸前、僕は見た。刀を手にした姉さんがスライムたちを吹き飛ばしながら、水中から飛びあがったところを。手にする刀には炎が宿っていた。炎を纏うその剣で姉さんは次々とスライムたちを薙ぎ払っていく。その炎を浴びたスライムは蒸発するように跡形もなく消え去っていった。


 そして、炎は僕の方にも飛んでいった。日光の溜まった金属の手すりに触れた時のような一瞬の熱さを感じたのも束の間、僕の体をまとわりつくスライムが一瞬で消え去り、身体が鳥のように軽くなった。


「光大……!」


 すると心配そうな様子で、姉さんが僕のもとにやってきた。僕ら二人は陸地のほうへと泳いで戻っていった。


「ふぅー、危なかったぁ~」


 姉さんが大きく息を吐く。炎の宿った刀をダンジョンの壁に立てかけると、それで体を乾かし服を着始めた。


「姉さん、刀受けとったんだね。てっきりもうダメかと思ったよ」


 男だからとっくに着替えるの終えた僕は、炎の前に座り込みその熱を借りて体を温めた。


「うん、水の中でギリギリね。でも助かったわ。あんたが投げてくれなきゃ、さすがのあたしでもヤバかったわ……」


 最後に姉さんはサラシ代わりに切った僕のズボンの股下を胸に巻くと、どうやら着替えを終えたようだ。


「もう行ける?」


「もちろん!」


 姉さんは快活に返事をすると、燃え上がる刀を拾い上げる。

 右手の親指と中指でつばをつまみながら、指を刃先まで持っていくと一瞬で炎が消えた。


「じゃ、行こうか」


 おもむろに立ちあがると、再び僕らは歩き出した。ダンジョンの攻略はまだまだ始まったばかりだ……!

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