飢えた生物

 姉さんは先ほど、ダンジョンのことはあたしにまかせなさいと言っていた。

 いつも飯作りとかで世話になりっぱなしの僕に良いところを見せようとして、自分を頼りにしてくれという意味で強く意気込んだのだろう。

 そんな姉さんに僕も頼っていきたい――のだが、言った張本人は今、現在どうなっているかと言うと……


「死ぬぅ……。お腹すいて動けない……。光大、ご飯作ってぇ……」


 空腹でヘロヘロになっていた。足はワナワナと小鹿のように震え、刀を杖代わりにゆったりと歩くその様はまるで老人さながらだった。


「姉さん、まだ僕たちダンジョンに入ってから一時間もたってないでしょ……」


 携帯の時刻は8時をちょっと過ぎたあたりを指していた。いつも夜ご飯は大体7時くらいに取るため、姉さんがおなかをすかしているのもわからなくもないが……。


「もう無理ぃ……。光大、いままでありがとね。これからも母さんと仲良くすごすんだよ。姉さんは一足先に天国に……」


「姉さん、しっかりしてくれ! 夜ご飯抜いただけで餓死する人間なんて聞いたことないよ」


 滅入る姉さんを僕は懸命に励ました。姉さんの食い意地は強いほうだとは思っていたが、まさかここまですきっ腹に耐えられないとは、相変わらずこの女は侮れない。


 ただ、姉さんの言うことも一理ある。いつまでいるかわからないダンジョン内のサバイバル生活では、食料の確保が急務なのは間違いない。

 今、動けるときにギルドから派遣された救助隊を見つけるか、自分たちで水や食べ物を探すかしないと……。


 このダンジョンは構造的には洞窟っぽいから、水は地下水脈などが流れているのを祈って問題は食べ物だ。パンや弁当などを売る店は当然この場所に存在するわけもなく、果物類が自生しているのもあまり期待できない。

 となると、食べ物になるものといったら一つしかない。


「姉さん、魔物って食べたことある?」


 そう、魔物だ。


「えっ、魔物?」


「うん。僕ら今、食料ないでしょ。食べ物を選んでる余裕はないからさ。姉さんは僕よりダンジョンのこと詳しいだろうからって思って」


「う~ん、あるっちゃあるけど……。光大の料理よりまずいよ?」


 そりゃそうだろ。手間暇かけて作った料理より魔物の肉のほうがうまいとなれば、僕の料理当番としての尊厳がなくなってしまうじゃないか。


「わかってるよ、そんなこと。僕が今、聞きたいのは食べれる魔物の種類の話。例えば、さっき姉さんが倒したゴブリンとかどうなの。生は無理だろうから、壁にある松明の火とか使って……」


「あー、ダメダメ。ゴブリンは絶対、食べちゃいけないの! すっごくまずいらしいし、何かヤバイ病気にかかるって習ったわ。あたしでも覚えてるくらいの。クーリー……、いや違うな。クーフー……これはリンね。あれ、名前なんだったっけ? クで始まるのは確かなんだけど」


 ん、肉を食べた時にかかるクで始まる病気? もしかすると、僕は知ってるかもしれない。最近見たオカルト系の動画でそれを取り上げていた気がする。


「それって、クールー病?」


「そうそれそれ! 光大、あんたよく知ってるわね。さすがはたくさん勉強して将来政治家になって、日本を冒険者ライク・ライフな国に変える男!」


「たまたま見た動画で知ってただけだよ。あと、最後の一文は完全に姉さんの妄想ね」


 クールー病とは、プリオンと呼ばれるタンパク質から成る感染性因子がもたらす中枢神経疾患のことだ。

 なんか難しい単語だらけで何のことかと思うが、僕も動画で聞きかじった程度で詳しくは知らないが、一言で言うならプリオンに感染すると脳神経がおかしくなり歩くことや会話することができなくなってしまい、最終的に衰弱し死に至るというもの。

 プリオンが存在するのは主に人の脳。つまり、クールー病は人食をしたときに起きるリスクとしてよく取り上げられているものだ。


 クールー病に治療法はない。かかれば致死率100%の恐ろしい病気。姉さんの言う通り、ゴブリンを食べようとするのはやめといたほうがよさそうだな。

 とりあえず、ひたすら歩いて食べれそうな魔物を探すしかないな。姉さんが限界を迎える前に……。



**********



「肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉」


 やばい。空腹のせいなのか、元からおかしい姉さんがいよいよ深刻な状態になってきた。

 肉の名を念仏のようにひたすら唱え、目をバッキバッキに開かせてダンジョン内をうろつくその様はまるでホラー映画顔負けの迫力だ。


 フゴッ!


 食に飢える背後の姉さんが気にかかる時だった。前方から豚が鼻を鳴らした時のような音が聞こえてくると、僕は思わず正面に目を向けた。

 そこには一匹の生物がいて、血走った目で僕のことを睨みつけていた。そいつは地上に生きてる生物だと猪に似ているが全身の毛が紫がかったように赤いため、猪ではないのは間違いない。

 新手の魔物だ……! その猪のような魔物はこちらに突進する気なのか、その場で足踏みをし始める。


 ヤバイ……! 今、僕たちの通ってる道は左右を岩壁に囲まれた、曲がり角のない一本道。身を隠せるような場所はない。あんな冷蔵庫のような大きさの生物に突っ込まれでもしたら一溜まりもない。

 せっかく進んだけど、来た道を戻るしかない。命には代えられないからな。


「姉さん、戻ろ……」


「肉ぅ~~~~!!!!」


 僕が姉さんのほうを振り向いた瞬間、姉さんは奇声を上げながらバイクより早いんじゃないかっていうぐらいの猛スピードで、猪の魔物に向かって走り出した。

 魔物のほうも虚をつかれたのだろうか。一瞬ビクっとしたような様子を見せると、急に向きを変え僕らに背を向けて逃げるように駆けだした。


「あたしの肉、絶対に逃がさない! 必さ~つ、エアスラッシュ!!」


 姉さんがそう叫んだと同時に手に持つ刀身に風が纏い始めた。突風が吹き荒れるような強い音が狭いダンジョン内の道にこだますると、姉さんは刀を斜め一直線に振り下ろす。

 刀から放たれた風は刃のような形を形成すると、まばたく間に猪の魔物の銅体に当たり前へと吹き飛んだ。うつ伏せに倒れだしたその魔物はピクリとも動かず、地面には赤い血のようなものが滴り流れている。即死だった。


 お、おっかねえ。あんなデカい図体の魔物を一瞬で……。やっぱ姉さんは、戦いのことに関して抜きんでているのは間違いないな。


「光大……」


「な、何――姉さん」


「これ、食べていいんだよね」


 口から少しばかりの涎をたらしながら、僕に問いかけてくる姉さん。


「えっ? あ、うん……」


 飢えた生物ほど恐ろしいものはこの世に存在しない、この時の僕はそう強く思った。

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