黒い羽根/路地裏の攻防

「司祭様はまだ戻られていないようですね。麗奈さん、どうしますか?」

「観光向きの場所ある?」

「私も初めて来たので何とも……」


 街の真ん中で時間のつぶし方を相談する。ふと空を見上げた麗奈の目に留まったのは、大聖堂から飛び立つハトの群れ。青空に向けて飛翔する白い翼たちに目を奪われる。


「ねえネミル!あれ見て!すっごくきれい……あれ?ネミル?どこ行ったの!?おーい!」


 振り向いた麗奈の視界に、ネミルは存在しなかった。一瞬のうちにどこかへ行ってしまったのだ。


 ネミルはなんとなく路地裏を見つめていた。そこに何かを囲む人影があった。胸騒ぎがして路地裏へ走る。


「……ざけんなよ。手間かけさせんなっての!」


 数人の集団に囲まれて暴行を受ける少女の姿がそこにはあった。円陣を組む形で少女を取り囲み、殴る蹴るを繰り返しているようだった。


「何してるんですか!」


 ネミルは思わず飛び出していた。直後。うかつなことをしたと思考がよぎる。相手は集団だ。袋叩きにされるのが関の山。


「んだよ」


 集団が一斉にネミルの方を向いた。首元には、黒い羽根のネックレスがかけられていた。


「……あなたたちは彼女に何をしていたんですか。なぜ寄ってたかって暴行を……」

「白い片翼……だるいんだよねぇ。半人前がしゃしゃり出てこないでくれる?痛い目見たくないだろ。こちとら大事なお使いで来てるんでね。このガキのしつけにさ!」


 男が足を後ろに振る。少女に暴行を加える手慣れた様子から常習犯であることを思わせた。


「やめてください!彼女が痛みに苦しんでいると思わないんですか!」

「っせーな!必要だからやってんだろ!口出しすんな!痛い目にあいたいのか!」


 男の右腕に雷がまとわりつく。間違いない。この男もまた、魂の力を行使する存在。ネミルは浄力を行使する。青い光がネミルを包むと、それは手のひらの中心に球体の形をとった。


「死ねオラ!」

「くっ!」


 男が雷を右腕全体から直線状に放射した。黄色い閃光はネミルを目指して迫る。ネミルは青い光の玉を閃光にぶつけて拮抗させる。二つの力は互いに爆発し、周囲に煙が立ち込める。


「できるじゃねぇか。半人前のガキの癖によ。こいつを使ってやるか。ありがたく思えよ」


 煙の中から黒い針が飛んでくる。ネミルは防御態勢をとったが、腕に数本の針が突き刺さってしまう。この針はおそらく魂の力で作られたもの。しかし違和感がぬぐえない。あの男の魂の力は雷だと思っていた。しかし、黒い針というもう一つの力。


「いっ……!」


 無数の黒い針が飛ぶ。体に刺さるそれらの痛みに耐えながら前を見る。煙が晴れ、少し薄暗い路地で起こる状況を整理する。少女に暴行を加える集団。無数の黒い針が飛び出す。ネミルの頬をかすめる邪悪な一撃。これは個々人の魂の力ではない。信仰によって体系化された浄力に近い力。奇妙な違和感を覚えながら、自らが劣勢に立たされていることを自覚する。このままではまずい。


「粋がってた割には大したことないガキだぜ。俺の雷で丸焦げにしてやるよ!」


 ネミルは飛んでくる黒い針を横なぎにかわす。しかしその先に雷男が待っていた。

「三下がぁぁ!」


 雷の拳がネミルの顔面に飛んでくる。壁に激突するネミル。狭い路地、相手は集団。勝ち筋のない戦いだと気づいたころには、その体は冷たい地面に倒れ伏していた。


「……くっ……うぅ……ふ……っ……は……」


 うめき声をあげるネミル。ふと冷たい感触が周囲に近づくのを感じる。無数の黒い針がネミルの周囲に展開され、たった一つの目標に向けて動きを制止させている。


「このガキはあれと違ってぶっ殺しちまっても構わんだろ?じゃあ、黒焦げになりなぁ!」


 雷男の電撃がネミルに迫る。空中にとどまっていた黒い針も一斉に射出される。ネミルは死を覚悟する。


 周囲から感じられた冷たい気配が消える。しかしネミルに新たな痛みは訪れない。やってきたのは少しだけ熱く感じる熱の感覚。直後に飛び込んでくる凛とした声。


「あたしの友達に何してんの」


 顔面を殴られた衝撃で右目は開かず、涙のにじむ左目で見える景色には、揺らめく金髪の背中があった。


「んだてめーは!」

「教会の人は呼んどいたよ。もうすぐここに来る」


 いつもの陽だまりのような暖かく弾んだ声からは、想像もつかないような深く暗い声。その響きはどこか凛としたもので。


「……ここまでだな。お前ら!逃げんぞ!」


 無数の足音が消えていく。張り詰めた空気は青空に溶けていく。


「ネミル!生きてる!?」

「……痛いです。あんまり強く抱きしめないでください……」

「……よかった……急にいなくなるから心配したんだよ」


 震える手で抱かれるネミルの耳に届くその音は聖女の福音ではなく、ただ自らを案じてくれる一人の少女の言葉だった。


 ほどなくして、教会の聖職者数人が路地裏にやってきた。


「この子は……」


 暴行を受けたとみられる少女。その首元には銀の翼のネックレスがかけられていた。


「どうかしたんですか?」

「ああ。聖女様。この少女は我々に連なる教会本部の聖職者です。ここまでの暴行を受けるなんて。逆恨みでしょうか……」


 エーゲンメイム。いずれ来る災厄と人々に害なす魔獣。脅威を抱えながら時を刻む世界においても、人間の悪意とはすさまじいものなのだと理解するのにそう時間はかからなかった。麗奈と同じくらいの年頃の少女が暴行を受け、止めに入ったネミルもまた同じようにけがを負わされた。やるせない思いを胸に抱きながら、麗奈は先ほどまでの自らの能天気ぶりを嘆くのだった。


「あの、聖女様。教会本部へお越しください。そちらの少女の手当てを。それと、司教様がお呼びですので」


 若いシスターに従い、麗奈たちは教会本部を訪れる。聖女を呼ぶのは司教と呼ばれる存在だ。

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