花嫁を得るための試練

気がつけば見知らぬ天井の部屋にいた。

でもどこか、なつかしい麝香の香りがしていた。

「・・・・・・?」

どこからか視線を感じて目をあけると、なんと襖から変な黒い狼の面をつけた男がじーっとこちらをのぞいていた。

「・・・・・誰?アンタ」

雪姫に声をかけられると、男はびくりと体を震わせた。すると面の奥から上ずった艶のある低い声が響いた。

「あ、ああああの、俺、式だよ?わかる?雪姫」

「ふーん。で、その面はなんだ?お前、雪姫のこと馬鹿にしてんのか?」

「ち、ちち違うよ!?式の意志じゃないよ?なんていうか、その、元老院のジジイどもの指示でさ!一か月、試験するって」

「・・・なんのよ?」

雪姫は不機嫌そうな態度で答えた。

「一か月、一応、俺と雪姫が婚約者同士として、同棲して暮らしてうまくいくかって!」

「・・・・で、そのふざけた面は?」

「・・・・お、俺は嫌だったんだよ?でもジジイどもが、若い男の視線が巫女姫を穢すとか、わけわからんこと言ってきてさ!・・・巫女姫の前ではずすなって言われた」

「ふーん。・・・あっそう。わかった。それで、ここは?」

そういってやっと体を起こした。簡素だが綺麗な部屋だった。さきほどからかすかに甘い麝香の香りがする。

「・・・ここ、俺の屋敷の中の、俺の部屋」

いつのまにか雪姫のそばに来ていた式がおもむろに答えた。雪姫はその立派なヒノキ造りの部屋に感嘆の声をもらした。

「へー。式、出世したんだなぁ!家もちになるなんてすごいじゃん!」

昔は宿なしで、伊勢ちゃんのところに居候してたのに、なんて雪姫は思った。

「家、じゃないよ?」

「・・・は?」

「ここ、俺の城。黒狼にのみ与えられる居城『煌牙城』」

さっきから恥ずかしいのか、低い声でぼそぼそとつぶやく式だったが、ずっと長年恋焦がれてきた、愛しの雪姫に触れるのを我慢していたのか、いきなりがばっと躊躇なく抱き着いてきた。

「ああッ・・・雪姫!・・・雪姫!雪姫ぇ!会いたかった!会いたかったよう!!」

しかし、雪姫は先ほどの事件にお冠である。

「・・・は・な・せ!!雪姫は、怒っているんだからな。皆の前で、ちゃんとした求婚もなしに、雪姫を穢しやがって!!」

すると式は慌てたように、弁解した。

「ああ、あれは!あれは!仕方ない!仕方ないんだ!だってずっと、ずっといい匂いがして俺を誘ってた!早くつばつけないと、誰かにとられると思ったんだ!」


実は、雪姫は気づいていなかったが、巫女姫が初潮を迎えると現世から隔離されるのには、理由がある。

巫女姫は成長した体から甘い香りが立ち上るようになり、世の男どもをことごとく惑わせるのだ。要はフェロモンがでてると思ってくれていい。そのため男同士の争いを避けるため、現世から厳重に隔離されるのである。

が、当の本人である雪姫は、この事実を全く知らなかった。


「・・・なんの匂いだよ?カレーか?」

「違う!!断じて食べ物じゃない!!雪姫だよ?雪姫の体から、花のような甘い、濃厚ないい香りがするんだよ?」

「はあ?そんなわけないだろ。雪姫は、確かに着物に香りつけたりするけど、今日は何もしてない」

「・・・ち、違う。そんなんじゃなくって・・・」

「・・・はあ、もういいよ。話題をかえよう」

「で、とりあえず他に条件はあるのか」

「あと、まだ結婚してないから、同衾しちゃだめだって。巫女姫は神聖な宝なんだから、勝手に穢すなって、こっぴどく怒られた」


・・・・・・同衾。


そう言われて、雪姫がピシッと固まった。



「―――えっちしちゃ、ダメだって」

「いちいち言い直すな!わかってるって!」

「じゃあ楽勝だな!昔みたいに二人で適当に遊びながら、一か月まてばいい!!」

「どこが!?こんなひどい生殺し、あると思う?心底惚れた女と一緒に暮らしながら、手ぇ出しちゃいけないなんて!ずっと餌のおあずけくらってる犬と一緒だ!」

「・・・・雪姫は餌かよ?ええ?おい、式よう?」

「たとえだよ。た・と・え」


「んで飯とかどうすんの?私、洗濯とか掃除はできるけど、料理は自慢じゃないけど、壊滅的に下手だよ?」

「それは、大丈夫!妻になる雪姫の面倒は、夫になる俺が全部見る!」

仮面の男は、えっへんと胸をそらして誇らしげに拳でたたいた。その甚大な気持ち悪さに雪姫はジト眼で眺めながら、彼に今後の事を伝えた。


「言っとくけど、まずい飯作ったら、雪姫は一切食べないからな。雪姫を餓死させたくなかったら、ちゃんと責任もってうまいの作れよ」

「だいじょーぶ!自信ある!」

何がそんなに自信あるのか、式はしっかりと頷いていた。


すると、雪姫がある事実に気づく。

式の城はそうとう大きいみたいだが、とても静かなのだ。不気味すぎると言ってもいい。雪姫は気になったことを、式に尋ねた。


「・・・そういえばお前、城もちなのに女官とか、部下とかいないの?」

「・・・いない。ここ、式一人。別に平気。俺、家の事なんでもできるし」

式は、ぴんと背筋をはって、相変わらず仮面の奥からぼそぼそと話した。

そういうと少し考えてから、ぽんと手を打った。


「・・・・あ、忘れてた。・・・『神楽』がいた」

「誰?神楽って、名前からするに女の人?」

「違う。神楽に性別はない。まあ、ちょっと見た目女っぽいけど。俺の式神。

・・・でも気難し屋で、恥ずかしがり屋で、あんまり表に出たがらない」

「へ―――!!見たいな!式の式神!!どんなだろ?」

「・・・どうだろ。おーい、神楽ー?俺の妻になる雪姫さまだ!ちゃんと出てきて挨拶しろ!!」



「・・・・・・・」



返事はいくら待ってもこなかった。かわりに虚空からぽとりと一輪の白い花が落ちてきた。その小さな可憐な花を式が拾って、雪姫に手渡すと

「これで、勘弁してくれってさ。あいつ、雪姫に人見知りしてやがる」

「へー!粋な人じゃないか!女に花くれるなんてさ!」

「人ってワケじゃないんだけど・・・・けっこうでかい図体してるから。見たらドン引くかも」

「えー?そんなことないよ?いい人じゃん!」

雪姫は嬉しそうに神楽がくれた小さな白い花を見つめた。




それからというもの、昔のように適当に遊んで時間をつぶしたが、超絶鈍感な雪姫は仮面の奥にある式から注がれる熱っぽい視線に一向に気づかなかった。

やがて、一か月に近づくにつれ、式は次第に雪姫にそっけない態度をとり、どんどん避けるようになってきた。


その日も仕事があるからと出て行ったっきり。


ちゃぽん。



「ふう・・・式の奴、遅いな・・・」

雪姫は、式の帰りを待ちながら、一人で入るには十分すぎる広さのヒノキの風呂に、湯につかっていた。

「式のやつ・・・最近変なの。やっぱ雪姫に愛想つかしちゃったのかなぁ?」

そう考えると、胸が鉛のように沈んで重くなっていった。気を紛らわすためにお湯を口でぶくぶくと泡立ててみる。

すると、どこからともなく、低い感情のない、冷たい人形じみた声が響いた。


「それは、確実に否定」

「へ?へ?誰???誰の声?」

さらに感情のこもらない低い冷たい声で応答があった。



「・・・・・神楽」


「!ああ!神楽さんか!この前はお花ありがと!え?でもどこにいんの?」

そういえばここ風呂場だった!と雪姫は思い出した。とりあえず布を体に巻いているものの、なんだか恥ずかしかった。確か、式は性別がないと言っていたけど。

「――――心配無用。神楽はここにいて、ここにいない。いないのと一緒」

「あ、ああ、そうなんですか」

「え、えと。さっきの話の続きだけど。式は雪姫のこと嫌ってないって本当?でも最近、話しかけてもそっけないし、冷たくされるし・・・ちょっと不安なんだけど」

「それも心配無用。主はご自分でもどうしようもなく、花嫁殿を、溺愛していらっしゃる」

「そ、そうなんだ?でも、じゃあなんで最近避けられてるんだろ?雪姫、式に何か怒らせちゃったかな?」


「――――逆。『愛しすぎて、壊したい』」


「はあ?どういう意味?」



「主は今、試されている。花嫁殿のとの結婚をかけて。花嫁殿を今すぐ壊れるほど、激しく抱きたいが、今それすると周りから認められず、永遠に結婚できない。でも花嫁殿、主にとって、とても愛らしくて我慢できない。我慢できないから、理性がもたない。だから時間がたつまで、離れることにした」

「――――そっか。そういうことか。まだあと二週間くらいあるのに、式、大丈夫かな?」

「極めて不可。昨日も主、花嫁殿が寝静まってから、何度も花嫁殿を見ながら、ご自分を慰めてた」

「え?ええ?そうだったの?」

「大変危険な状態。神楽、非常に花嫁殿が心配。花嫁殿が主の毒牙にかかるのも、時間の問題」

極めて冷静な声でとんでもないこと言い出すこの式神、神楽に雪姫は度肝を抜かれた。

「え―――――ッ!?うそ!!そんなにヤバいの!?」



「極めて肯定。神楽の特殊能力、そのいち。『未来予知』  ほぼ100%未来を当てる。

現在、状況から推測しても、あと数時間後で主の理性は臨界点突破確実。神楽には、主に激しく愛されている、花嫁殿の未来が視えた。ちなみに補足すると、主は人一倍、性欲絶倫。主が満足するまで、花嫁殿は、逃れられない未来確定」


「え―――――ッ!?何それ、超ヤバいじゃん!?ど、どどどど、どうしよう?どどど、どうしよう?」

衝撃の事実にガクガクブルブル震えていると、きわめて冷静に彼の式神は応えた。

「とりあえず落ち着いて、冷静に対処されることを推奨する。神楽が視たのは、数時間後の未来なので、主がご帰宅なさるまでに、ここから逃亡なされば、ふりかかる未来を回避することは可能」



「あ、そっか!式が帰ってくるまでに、雪姫の城に逃げちゃえばいいんだ!ありがと、神楽さん!」

意外にも自分の味方をしてくれるらしい、冷静沈着な式神に感謝しながら雪姫は慌ててヒノキ風呂からでた。

「――――警告!警告!極めて危険!足元に注意なされよ!!」

なんかけたたましい警告音とともに、式神・神楽が雪姫にいきなり注意を促すも、時すでに遅し、雪姫の視界は暗転していた。

「へ?」


ドテン!!


すると浴室に、鈍い音が響いた。




それから数分後・・・・ようやく誰かが自分を呼ぶ声に、やっと意識を覚醒させた雪姫は、ぼんやりとした視界を治そうと必死に眼をこらした。さっきから後頭部がずきずきと鈍い痛みを発している。


「なん・・・なの?あっ・・たま、いた―――」

「石鹸で、足をすべらせて転んだんだよ。大丈夫か?」

聞き覚えのある低い声を聴いて、目の前にいるのが式なのだと分かった。

そういえば、こうして間近で彼の顔を見るのは久しぶりだった。相変わらず黒髪短髪で、すっと通った鼻筋と、凛々しい目元が眼に入った。

式は、よっぽど雪姫が心配だったのか、赤い眼をして心配そうに彼女の顔を見つめているのだった。


「あれ、式?なんか、しばらく見ないうちに、かっこよくなったね・・・」

そういうと雪姫の意識は、またまっくらな海に沈んだ。

雪姫が意識を失ったと同時に、大声で叱責されているのは、先ほどから姿を現さない、式神・神楽だった。

「神楽!俺の雪姫に何を吹き込んだんだ!」

「極めて不快。神楽は、花嫁殿の相談に、のったまでのこと」

「相談?なんの?」


式は片眉を吊り上げて、式神に問い詰めた。しかし、式神が答えたのは無情な返答のみだった。

「――――黙秘権行使。個人のプライバシーに関わる」

「黙れッ!!!貴様の主は俺だぞ?主の命令に従え!」


烈火のごとく怒っている主の剣幕に、しぶしぶ彼の式神は応えた。

「・・・花嫁殿は、主に嫌われていると思っていた。花嫁殿の悲しみの感情が、神楽にも伝わってきた」

その衝撃の事実に、彼は最初、のどに詰まったかのように言葉が出てこなかった。

まさか、自分のよかれと思って避けていた態度が、雪姫を傷つけていたなんて。

「なん・・・だと!?・・・ちがう、ちがうんだ!雪姫、お前が大切だったから、

俺のどす黒い欲望だけで雪姫を壊したくなかった!」


「う・・・ん、し・・・・き・・・」

彼の腕の中で雪姫は、ぽろりと涙をこぼした。それは、なんだか悲しそうに泣いているようだった。それを見た式は、胸をかきむしりたくなるような、もどかしさを感じた。本当は一分一秒でも早く、彼女と結ばれたいのに!!


「ああ!雪姫!雪姫ぇ!おのれぇ!元老院のジジイども!くだらんしきたりなど作りおって!今すぐ全員くびり殺してやる!」

すると、先ほど主に怒られていた式神は、冷静な声で主を諌めた。

「主、冷静になることを極めて推奨」


「―――提案。最終的に交合しなければ、同衾と認められない。元老院が守るしきたりは、結婚初夜まで巫女姫がきちんと処女であることのみ。逆をいえば、処女であれば婚約者である主は、何をしてもいい。主の理性もすでに理性限界、発狂寸前。前戯だけでもして花嫁殿と、主を満足させた方がいいと、神楽は判断」


意外にも、彼が望んでいたことを神楽が提案してきたので、式はその提案にのっかることにした。


「そうだな!うん、そうしよう!」

神楽の提案で決意が決まったのか、意識を失っている雪姫を抱きかかえると、嬉しそうに風呂場から出ていく式なのであった。


これから、何かが、はじまろうとしていた。


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