過去編

二人の出会い


この世に人に好かれる人間と、嫌われる人間に分けられるならば。



――――彼は、間違いなく後者だった。



如月は大きな山々に囲まれた、水も緑も豊かな土地であった。

その周りを囲む山脈の隅っこに小さな村があり、その村の奥の森にひっそりと暮らす親子がいた。


これが、風早親子である。

式には物心ついた時から、母親しかいなかった。父の顔はまったく知らない。

そして母は神族の敵、地獄の最強の妖、『鬼』の子供を産んだ罪で、咎人として人目を隠すように親子は住んでいた。

母は今の地に住むまで、下界をさまよい相当な苦労したという。最初、この村に来た時も村人たちは、心底嫌そうな顔をしたが、幸い母は美しい人だったのでそれを見て相好をくずした村長に許可をもらい、村に降りてこないことを条件に山奥で親子二人暮らすようになっていた。


そして、最近奇妙なことが起こり始めた。

ただでさえ、貧乏であまり体も弱く働けない母にかわって、少年の式が食料を調達しに行くようになった。

しかし、母に滋養をつけてもらおうと、山にある木苺やあけびがなっている場所を知っているのだが、その目星をつけていた場所の実があきらかに減っているのである。

不思議に思いながらも、獣たちがとって食べたのだろうと、あまり深く考えずに今日も食材をとりにいった。


いつも通り、子供のころから慣れ親しんでいるけもの道を進みながら、木苺が群生している場所までたどり着くと、いつも通りに木苺をとろうと手を伸ばした。そのとき。


「ん?」

いざ残りの木にになっていた木苺をとろうとすると、別の方から知らないもう一方の手がのばされていたのである。

その手の先を見てみると、全く知らない銀髪のあどけない姿をした子供が、同じ木苺をとろうと手をのばしているところだった。


その子供と眼が合った瞬間、式の体にビリビリと電流が走った。


品のあるつややかな銀色の髪に、吸い込まれそうな深い翡翠の瞳は、村にいる子供たちではないことは一目でわかった。

まったく人の気配がしなかったのに、隣に人がいることに驚いていると、式と眼があった子供はとんでもないことを言い出した。


「てめぇ!ここは俺が先に見つけた穴場なんだかんな!ここにある木苺はみーんな、俺が食う!!」

という傍若無人な態度に、さすがに人見知りをする式もカチンときた。

「ふざけんな!ここは俺が先に見つけたんだよ!お前が見つける前からこの場所知ってたんだから、ここの木苺は俺のもんなの!」


「なにをー!!」

「なんだとー!!」

おでこつきあわせながら押し合いしていると、

「よっしゃ!じゃあ早いもん勝ちな!」

「望むところだ!」


「よーい、どん!!」

あわてて式も実をとるのだが、銀髪の子供は式の3倍のスピードはあるかという神速の勢いで木苺をつみ、その場でむしゃむしゃと一気に食べてしまうのだった。


勝負はあっという間につき、式に残ったのはほんの少ししかなかった。自分も村の子供たちからすると、『鬼子』と恐れられて相当俊敏だと思っていたが、自分を上回るスピードをもつ子供の存在に、式はあっけにとられていた。恐るべき食い意地本能である。


「ふぅ。食った食った。まったくお前はのろまだなー。全然勝負にならねーや。まー、悪く思うなよ!じゃーな!」

といって満足げにため息をもらすと、二本指で敬礼して風のように一目散に駆けていった。


「なんだったんだ・・・あれ」

そういって目を丸くした式が残されただけだった。これが、式とその運命の人との初めての出会いである。


どうみても、自分の嫌いな貴族っぽいガキだったし、そうそうこんな山奥で会うことはもうないだろう。と式は油断していた。


しかし、野ブタをつかまえようとするときも、山で山菜をとろうとするときも、川で魚を取ろうとするときも、何度もしょっちゅう銀髪の子供が出てくるのである。しかも、いつも獲物は横取りしていくときた。これにはさすがに、無視を決め込んでいた式もイライラが募り始めてきた。


そんなときである。その銀髪の子供が初めて式に話しかけてきたのは。


「よお!!お前、名前なんていうんだよ?」

「・・・・・人に名前尋ねるときは、自分から名乗るのが、礼儀じゃないのかよ?」

あきらかに不機嫌オーラだしてますって顔して、憮然とした式の対応に怒るまでもなく、その子供はぽんと気が付いたように手をうった。


「お――――!!そうだった、そうだった!!俺様の名前はな、『ユキ』だ!!」

「ゆ・・・き・・・・」

一瞬、不機嫌だったのも忘れて、なんてきれいな音なんだろうと、思った。


「んで?お前の名前はなんなんだよ?」

「・・・・・式」

「へー!お前、珍しい名前だな!式かー!いいなぁ、お前カッコいい名前だな!」

「!!・・・・べ、べつに!」

「なーんか、式とユキって似てねぇ?俺ら、友達になろーぜー!!」

「うるさい!!とにかくもう二度と俺の前に現れれるな!!」

明らかになれなれしく肩組んでくるユキを、うざったそうに払いながら式は顔を真っ赤にして一目散に去っていった。だって初めてだったのである。

『友達になろうぜ』なんて言われたのは。


式には、母には降りてはいけないとは言われてたけど、実はたびたび人恋しさに村へ降りたことがあった。初めて子供たちと会った時の最悪の印象を今でも覚えている。

子供たちは明らかに侮蔑と嫌悪の表情で「や―――い、鬼子!!鬼子―――!!」とわめきたて、あまつさえ石を投げてくるのであった。そんなことがあったから、式は同世代の子供は皆そんなものだと思っていたのである。


その日も川のほとりちかくで、お手製の釣竿で魚を釣ろうとしていると、どこからともなくユキがやってきた。相変わらず、あれだけ冷たくしているというのに、こいつは気にもしないという感じで、いつものように話しかけてきた。

「なあ、式!今度一緒に、滝を見に行こうぜー。その滝ってすっごいでっかくてな!綺麗な虹が出るんだ!!」

式も最初は無視しようと決め込んでいたが、初めて聞く綺麗な音に少しだけ心が傾いた。


「に・・・じ?虹ってなんだ?」

「七色に輝く光の橋のことさ!すんげぇ綺麗なんだ!!」

そういって眼をキラキラさせながら、ユキが興奮した様子で握り拳を作って熱弁していた。その雰囲気にのまれながら、式も『にじ』とやらに、少しだけ興味がわいた。

「な―――!今度行こうぜ!式――!!」

「しょうがねぇな・・・わかったよ」

ユキの勢いにのせられて、式はしぶしぶうなずいた。


やがて、陽も傾き始めたころ、ユキのお腹からすごい、ぐうという腹の音がなった。

「あ――――腹へったなぁ。なんか食うもんねぇかなー?」

「お前、さっきもみかん、あんだけ食べてたじゃねえか・・・ちったぁ我慢しろ」

「む――――。ユキは食べ盛りだからな!腹がすぐ減るんだ!困ったなぁ」


すると、後ろの茂みからがさがさと生き物の気配がしてきた。

「おっ!?イノシシかなぁ?式、俺がもらうからな!」

ユキが捕まえようと構えながら話しかけるも、

「勝手にしろ」

と目の前の魚釣りに集中しようとする式だった。


しかし、出てきたのはイノシシなんかじゃなかった。

目の前に天女かと思えるような品のいいおっとりとした女性が現れた。茶色の髪をふんわりと腰までのばし、服はかすれた着物だったものの、身にまとったオーラが高貴な女性であることが伺えた。


それに一番驚いたのはユキではなく、式の方だった。


「か、母さん!?」

「まあ、式。こんなところにいたの?遅かったから、母さん心配しちゃったわ。お家に帰りましょう?」

「あら・・・この子はどこの子なの?式?」

母は、物珍しそうにユキを眺めていたが、ユキの方は興味津々といった感じで眼をキラキラ輝かせた。

「え――――!?この人、式の母ちゃんなの!?すっごい美人じゃん!!」

「俺、ユキな!式のダチなんだ――!」


「だ、誰がお前なんかと友達なんだよ!勝手なこと言うな!」

「え―――?でも山の中で、一緒に捕り物競争して遊んでんじゃん!もうダチだろー?」

「ちっ・・・ちがう!あれは俺が行くところばっかり、お前が現れるからそうなっただけだろうが!」

「まあ!式!お友達ができたの?良かったじゃない!お家にお呼びしましょう?」

「か、母さん!?けど・・・」

突然の母親の申し出に、式は心底戸惑ったが、母親の穏やかそうな顔を見てほっとした。(良かった・・・今は、『優しい母さん』だ)


実は、式の母親、八重は『怖い』ときと『優しい』ときがあるのだ。普段優しいときはこの上なく良い母親なのだが、『怖い』ときの母親になると、まるで人格が交代したかのように、式に容赦なく辛くあたるのであった。


式は、それがたまらなく恐ろしかった。


あの優しい母親からさっさと死ねなどと口汚く罵られたり、血反吐を吐くほど殴られたりしている事実など絶対言いたくなかった。


ましてや、自分が『怖い』母親に虐待されているなどと、ユキには絶対知られたくなかった。


そうこうしているうちに、母親に手をとられると、母はユキと式の手をつないで

「さあ、ユキちゃん?今日は晩御飯食べて行ってね?式と仲良くしてやってね?」

「え―――!?マジで!?いいの!?俺、結構食うよ?」

「かまわないわ。おばさんがいっぱい作ってあげる。あ、でもお家の方に連絡しなくて大丈夫かしら?」

「いいっていいって。うち、親父がいるけど毎晩遅いんだ!気にしないでいいよ!」

「まあ、そう?じゃあ一緒に食べましょうね!」


その日の3人でとった夕飯は、まるで夢のように楽しかった。こんな穏やかな食事も久しぶりだった。ユキも大満足で帰っていった。

けれども楽しいことにも、終わりが来る。


・・・また地獄が来るのだ。


ごりごり。


翌日、式が起きたと同時に顔に激痛が走った。慌てて起きると母親が般若の形相で式の顔を足で踏みつけていた。この片鱗ぶりに普通の人は仰天するだろう。

おしとやかな母親が、ある一定の時間がたつと、もはや人格が変わったとしかいえないような凶暴で暴力的な母親に様変わりするのである。


「てめぇ、いつまで寝てんだぁ?さっさと仕事しろ!式!」

「か、かあさ・・・・」

「うっとうしいなぁ!さっさと出てけって言ってんだよ!このごくつぶしが!てめぇの顔なんか見たくもねぇって言ってんだろ!さっさと食いもんもってこい!」

「は、はい・・・・」


こうなると式はただ、暴力的な母親の従順な奴隷だった。逆らったことは一度もない。もう少しすればいつもの優しい母親に戻ってくれる。そう信じて、ずっと耐えてやってきたのだから。けれども母親の言葉の暴力は収まらない。


「あーあ、ったく。なんでお前みたいな、気味の悪い子供産んじゃったんだろう?ますますあの男に似てきやがって!顔を見るだけではらたつったら!」

そういったらごすごす無抵抗の息子を殴り始めた。これが、風早式の繰り返される毎日だった。


―――――それでも。

そんな彼にも希望ができた。ユキという友達を得たからだ。

最初はユキを信じられなくて、憎まれ口を叩いていた式も、心の中ではよすがとしていた。ユキといれば、少しでも嫌なことを忘れられた。式にとってユキは大事な存在となっていったのだ。


・・・そんなときだった。

あの忌まわしい事件が起こったのは。


その日、式はある失敗をしてしまっていた。ここのところ母親が穏やかだったから、ユキからもらった『決してはずすな』と言われていた【あるお守りの数珠】をはずしてしまっていたのだ。これには、まったく油断していた。だからだろう、母親の異変に気付くのに一歩遅れてしまった。


その日の夕方。暗みはじめたころ、やっと母親が帰ってきた。

だが、明らかに様子がおかしい。

髪はぼさぼさで垂れ下がり、眼はうつろで、ゆらりゆらり歩きながら、ずっとぶつぶつとある言葉を繰り返しつぶやいていたのだ。これには式も恐ろしくて戦慄した。

なぜなら。


「式、殺す・・・・式、殺す・・・」

と呪詛のように延々とつぶやいていたからだった。いつも暴力的な母親だったが、今日はなんかおかしい!このまま母親といたら殺される!そう危機感を感じた式は、慌てて逃げようとしたが、母親の方が妖怪じみた速さで肉薄し、あっけなくつかまってしまった。


今でもあの鉛のような、暗いどぶのような沈んだ恐ろしい眼の色が忘れられない。

明らかに正気じゃなかった。

「し―――――き―――――。こ―――ろ―――――す!!」

母親は明らかに殺意をもって、ギリギリと式の首を真綿をしめるように絞めはじめた。式はとにかくこんな母親でも愛していた。・・・だから。抵抗も一切するつもりもなかった。


しかし。母親に殺されようとしていた式の脳裏に浮かんだのは、ユキの笑顔だった。あの笑顔が見れなくなるのは、とても嫌だった。するとこんな反逆の意思がふつふつと湧き上がってきた。

(せっかく・・・友達が、できたのに・・・生きる希望を見つけたのに・・・なんで俺ばっかり、こんな目にあわなきゃいけないんだ!!)

「や、めて、くれ・・・かあ、さ」


なんとか母親の手からのがれようと、母の手をとりはずそうともがきはじめた。しかし、子供の腕力などむなしい抵抗でどう考えても、死という蛇が、幼い子供の命を喰らおうとするは時間の問題だった。式は泣きながら心の中で、慟哭した。このまま死ぬのはどうしても嫌だった。


い・・・・やだ!!


俺はまだ死にたくない!!


死にたくない!


死にたくない!


死にたくない!!


人が突然瀕死に陥るとき、『生きたい』と願うのは当然のこと。その切なる願いに、彼の奥底で眠っていた力が爆発した。


リィィイイイイイイイン!!


彼の苦しみの涙を現すかのように、血のように真っ赤な『魔眼』が発動したのである!!その眼に映った母親は、明らかに魔物にあったかのように怯えて驚き、手をはなしてしまった。


「ひぃぃッ!?なんだ、その眼はぁ!!見るな、見るなッ!!血のように汚らわしい眼で私を見るなぁッ!!」


なぜか母親は式の眼を怖がり、まるで神に罰せられる罪人のようにガタガタ震えて縮こまっていた。すると、ふっと気を失ってしまった。


「か、母さん!?大丈夫!?」

式が慌てて駆け寄って母親を抱き起すと、母はようやくゆっくりと眼をあけた。

「あら?式?わ、たし・・・今まで、なにを・・・」

あたりを戸惑って見回す母親の眼にとまったのは、床に散乱していた包丁だった。

すると、ぼんやりと虚ろな表情で、おもむろに床にあった包丁を手に取った。

「か、母さん!?いったい、何を・・・?」

今度は自分が、刺されるのか!?そう警戒して身構えた式だったが、母が行ったのは式の予想を超えるものだった。


「やはり、『あれ』を解くには、これしかないのね・・・」

そういって自嘲的に小さくつぶやくと、包丁を首にあてた。母の眼には綺麗な真珠の涙がぽろりとこぼれていた。


「今までごめんね・・・式。母さんの事、『許さなくていいから』」

そういって泣きながら、ぶすりと首に包丁を刺して、吐血して自害したのである。

真っ赤な血があたり一面に飛び散った。あまりの凄惨な自殺に式は絶句した。心臓の鼓動がやけにうるさい。


「・・・!?うわぁぁぁあああああああッ!!???」

式には何が起こったのか、全くついていけなかった。ただ、最愛の母親が目の前で自害したのが事実だった。そのあと、何度も泣きながら母親にすがりついたが、母が息を吹き返すことなど、なかった。これが、彼の記憶の中にあるもっとも陰惨な事件である。


―――――それから、一か月たった。


「式の奴、最近会わねぇなぁ?アイツ、いったいどこいんだろ?虹を見に行く約束したのになぁ」

そういってぶつぶつつぶやきながら、式の隠れ家に向かっているユキの姿があった。しばらくすると茅葺屋根のこじんまりとした家が現れた。

「あ!ここだ、ここだ!!た―――のも――――!!」


「つッ!!!??」

やっと式に会えるやぁ!と喜んでいたのも束の間、中の尋常じゃない陰鬱な気にユキは驚愕した。家からかすかに血なまぐさい匂いと、腐った肉の匂いがしているのである。嫌な予感に駆られて、ユキは急いで戸をあけた。

「おい、式ッ!!何があった!!??」


吐きそうなくらい嫌な匂いがこもっていたが、ユキが戸をあけたことにより少しずつ空気が元にもどりつつあった。暗い屋敷の中、眼をこらすと、かすかに動くものがあった。

「お、おい式!!大丈夫かッ!?」

「・・・・・」


ユキは慌てて駆け寄ると、式の異常な状態に驚くほかなかった。



まず眼だ。

式の眼は確か、鳶色だったはずだが、鮮やかな赤になっていた。ただし、そうとう精神を疲弊したらしく眼は虚ろになっていた。それに何より、髪はぼさぼさで眼窩は落ち窪み、体は手も足もガリガリにやせ細って折れそうになっていた。明らかにひどい栄養失調状態だった。想像を絶する痛々しい姿に、ユキは絶句した。


「お、おい、式!何があったんだよ!?八重さんは、ど、こに・・・・?」

そういって後ろを振り返ると、もはや木乃伊になりかけた死体が後ろに転がっていた。着物と髪の毛の長さからしてどうやら八重さんらしい。薬指にはユキが前見た指輪が悲しげに光っていた。ユキはあまりの出来事に、取り乱しそうになる自分を叱咤し、まず自分がやることを再確認した。


「え、え―――と、え―――と。とりあえず、式の奴を介抱しなきゃ!それと、水と飯もってこなきゃ!」


式が意識を取り戻したのは、まったくの偶然だった。

隣に懐かしい声と匂いがしたのだ。けれどもそれも一瞬の事、その気配は去ってしまった。式は、きっと夢か、幻覚でも見たのだろうと納得した。惜しい夢だった。


しかし、今度は現実がふってやってきた。

顔に思いっきり水をぶっかけられたからである。

「おい、式!!いい加減、起きろ!!」

「げほッ!!かはッ!?ユ・・・キ・・・・?」

「そうだよ!俺だよ!一体何があったんだよ!?久しぶりにお前ん家行ってみたら、八重さんは死んでるし、お前はガリガリげっそりになってるし・・・マジでビビったよ!」

「か、かあさ・・・?う、うわぁぁああああッ!?」

そういって真っ青になって式はかぶりをふった。母親の死ぬ瞬間が、フラッシュバックしてしまったのだ。


恨んでる。恨まれている。だって殺されかけた。


そんな式の気持ちを知らずに、ユキは無遠慮に握り飯を差し出した。それはあきらかに、不器用なユキが握ったおにぎりであった。

「・・・・なんだよ?」

「食え!!」

「なんでだよ?」

「お前、今ひどい栄養失調で脱水状態だったんだよ!マ―――ジでガリガリで死ぬとこだったんだぞ!

いいから食え!!」

「・・・・いらない」

「なんで!?腹減ってないの?」

「いいからいらない!!俺はもう・・・・死にたい」

どっちにしろ、母親を殺したのは自分だ。自分はあのまま緩慢に後追い自殺するはずだったのに。

コイツが余計なことしやがって。そう、思った。それを聞いたユキは、みるみる眉を吊り上げると、

「ばッッきゃろぉ――――――!!」

神速の速さで病人にグーパンチを決め込んだのである。


そして、式の胸倉をつかんで立たせると、

「てめぇ!命、なめんじゃねぇッッ!!俺がいるからには、お前にそんな情けねェ面させねぇ!死にてぇとか、くだらねぇことも言わせねぇ!!」

ときつく叱責したのである。


しかし、疲弊して渇ききった心の式には、それは届かなかった。

「うるさいなぁ!!俺は、もう疲れたんだよ!生きてたって嫌なことばっかりで・・・唯一生きがいだった母さんは死んじまったんだ!俺が生きてる意味はもうないんだよ!」

「こぉ――――のばかちんがぁ!!まだ、そんなことほざくかぁ!?生きてりゃなぁ、生き続けてりゃ、必ず幸せはやってくるんだよ!!」

「幸せって・・・何だよ?俺、生まれて一度も、そんなこと感じたことねぇよ!!」


少年の心からの嘆きの叫びにそれを聞いたユキがはっと息をのんだ。

その一言で彼がどれだけ幼い時から過酷な環境で、生きてきたのか想像が出来た。


そして泣きそうな顔で式を見つめた。

「生きろ!!式!!お前の魂、俺に預けろ!!お前がいらねぇっていうなら、俺がもらってやる!!俺がお前を、必ず幸せにしてやるから!!必ず、お前に幸せって奴を教えてやる!!」


「泣くな。式。式にはユキがいるからな」

そういって慈母のような笑みで式に手を差し伸べた。その言葉で、式は初めて自分が泣いていることに気づいた。その華奢な小さな手を握りしめながら、

・・・・あの時から、式にとってユキは『唯一無二の絶対』だったのだ。


それから、式は握り飯をゆっくり、ゆっくりと噛んで味わった。不格好で、塩気は多いし、ごはんは硬かったが、最高にうまいごちそうだと感じた。思えば、誰かから好意でものをもらったのは、これが生まれて初めてだった。噛んで飲み込むごとに、眼から涙があふれた。生きてることへのうれし涙った。


「あとで、八重さん埋葬しなきゃな。ところで、いったい何があったんだよ?」

「そ、それは・・・」

式は正直にあったことを、ユキに話した。母親に虐待されていた事実は伏せたが。

それを聞いたユキは、難しそうに腕を組んでうーんとうなったが、あっさりと結論をだした。


「こりゃ、自殺だな!」

「自殺!?お前、母さんが死んだのが、自殺だったって言うのかよ?」

「だってそうだろー?お前、おふくろさんに、殺意あってぶっ刺して殺したのかよ?」

「ちっ違う!!俺は母さんが望むなら、おとなしく殺されようって思ってた!!なのに、この眼が!この眼が!!」

式は心底嫌そうに、自分の眼を拳で殴り続けた。そんな式を呆れたように嘆息しながら、やんわりとユキがとめた。


「そんなこと言ったって、発現しちゃったもんは、しょうがないべー?お前まだ、その眼、制御できてねーみてーだし。それと今あんまカッカすんな。そいつ、感情が昂ぶると発現するみてーだから。お前ユキも殺したいの?」

「俺が思うに、たぶん、その眼が八重さんを正気に戻したんだ。そして、何らかの意図があって、八重さんは自殺したんだと思う・・・たぶん」


「んで、お前、これからどうすんの?」

「・・・わかんない。お前が死なせてくんねーし。どっちみち山を下りて、村長のとこへ行こうかって考えてるけど・・・」

「ええー!?お前、あんな外道のとこへ僕として行くの?やべーって!アイツ、お前嫌ってるし、虐待されるか、身売りさせられるか、とにかく人生どん底へまっさかさまがオチだぞ!!」


「じゃあ!!どうすりゃ、いいんだよ!!俺みたいなガキが生きてくには、盗みしだすか、色狂いどもに体売るしかねーじゃねーか!!」

「うーむ、確かにそうだなー?お前、男娼にでもなりたいの?まあ、顔はいいからお前、売れっ子になりそうだけど」

「バ・カ・か!?お前は!!誰が好き好んで男娼になるかい!?俺は罪人の子供だから、働き口がねーっていってんだ!!皆仕事くれねーんだよ!!」


「そっかー。うーむむ、やはりこの手を使うしかねーかー」

「この手?この手ってなんだよ?」

「おい、式!お前、仕事があるなら、どんな仕事でもやるな?どんなきつい仕事でも、弱音吐いたりしねぇな?」

「べ、別に仕事があるなら、なんでもいいよ!体売ったり、犯罪沙汰じゃなけりゃ・・・」

「そっかー。はああ――――。しょうがねーべ。こりゃ非常事態だしな・・・」

「だからお前、さっきからなんなんだよ?なんか当てでもあるのかよ?」


「まあ、お前には秘密にしたかったんだけどー、ユキの正体教えてやるよ!とりあえず、飯食って八重さん手厚く弔わなきゃな!!」


そういって二人は、八重さんの遺体を埋めて弔った。ユキの手配のおかげで、本来なら呼んでもらえないはずの、坊さんまでよんであるという手の込みようで、坊さんのお経は、八重さんの墓の前で線香の煙とともに朗朗と青い空へ溶けていった。

二人は、八重さんの葬式が終わるまでいつまでも手を握り合っていた。


葬式が終わると、式は改めてユキに話しかけた。ユキの正体が気になったからだ。

「おい、ユキ!いい加減、教えろよ!お前の正体なんなんだよ?」

「その前にー、ある場所に行かないといけませーん!」

「ある場所ってどこだよ?」

「それは、ついてからの、お楽しみー。じゃあ、準備はいいか?せぇのー!」


「飛空呪、展開!!」


するとユキと、式の周りに青い法円が展開した。その初めて見る精緻な文様に式はため息をついた。さらに、ふわっと体が羽のように軽くなり、気づくと足がすでに地を離れている。そのあまりのことに式は仰天した。しかし、ユキに話しかける暇もなく、ユキは式の手を握ると

「それじゃあ、しゅっぱ―――つ!!ばっびゅ―――ん!!」

と強引に上昇しはじめたのである。


全身に当たる風を感じながら、次に眼をあけたときには、もう、慣れ親しんだ村と山々が小さくなっていた。その事実に、式はらしくもなく興奮した。

「おい、ユキ!!俺、空飛んでる!飛んでるぞ!!」

「はっは――――!!!こんなのユキ様にかかればお茶の子さいさいだっての!んじゃ、飛ばすぞ!!」

「えっ!?ってちょっとまっ・・・うわぁぁぁあああッ――――――!!!??」

こうして、えらい重力が体にかかって、ぐわんぐわん気持ち悪くなりながら、彼の地獄の初飛行がはじまった。


そうして、次の新たな扉が、開く。


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