新婚初夜の押し問答

昏い昏い意識の底で。


―――――懐かしい夢を見た。


「雪姫!好き。俺のお嫁さんになって」

そういって頬を赤らめながら、白百合を差し出した初々しい彼を、雪姫は今も覚えている。


けれども。


「それは・・・・なりたいけど無理だよ。式には、私の事なんか忘れて幸せに暮らしてほしい」

そういってやんわりと断った。


――――そう。


なるにはアレにならねばならない。



『鬼』にならねばならない。


『人殺し』にならねばならない。


そんなのには、心優しい彼にはなってほしくなかった。


そうだったのに。


「わかった!俺【黒狼】になる!【黒狼】になれば、龍玄さまも、俺と雪姫が一緒になるのを許してくださる!」


そう二つ返事して。


万人が血反吐を吐き、唾棄すべき棘だらけの茨の道を自ら進んで歩んでいった。


そして習得に500年かかる、最強兇手の技をすべて受け継ぎ、たった300年で【黒狼】になってしまった。


―――私が式の運命をゆがめた。


彼だって農夫などになって穏やかに暮らす道もあっただろうに。


だから。好きな男と結ばれる自分に罪悪感があったのだ。


この幸せにひたっていいのか、と――――。




雪姫が意識をようやくとりもどすと、そこはいつも彼女が眠る天蓋付の閨の中にいた。


すでに下に布団は敷き詰めてあり、枕元には彼女の好きな香が漂っており、綺麗な白百合の花が飾ってあった。いつの間にかふだん着てるうちぎではなく、桜色の可愛らしい浴衣を身にまとっていた。


しかもなんか心もとないと思ったら下着をつけていない。脳裏にこんなことをしたあんにゃろうを思い出されたが、その手際の良さに呆然とする。


(やばい・・・外堀がうまりつつある!!)

恐ろしいまでの式の手際のよさに、滝のような冷や汗を浮かべたが、肝心の相手がまだいないことに気づいた。

(やりっ!今のうちに・・・)

立ち上がろうと腰を浮かせるもすでに近寄ってきた気配に戦慄した。衣擦れの音がして式が帰ってきたのである。


この短時間に窓へいって、この重厚な結界を解除して脱出する芸当など、とんと不可能であった。

(やばい・・・・こっちくる!どうしよう!)


予想外の危機にあせった雪姫は、再び天蓋つきの寝所にもどると、再び横になって寝たふりをすることに決めた。

(寝ていれば、さすがの式も諦めるよね・・・きっと)

そんな淡い期待をもちながら、雪姫は長いまつげを震わせて眼をとじた。


「おや?なんか音がしたと思ったけど、気のせいだったかな?」


「姫様・・・・」


最愛の姫君の美しい白い頬をなでると、万感の想いをこめて愛しげに口づけをした。


「ああ、やっぱり。すでにお目覚めだったのですね」


「嘘つけ!お前、私が寝たふりしてたの最初っから気づいてたんだろ?」

「はい。あんまり可愛らしく寝たふりをきめこんでおられてので、つい悪戯しちゃいました」


「そもそもずるい!お前たち兇手はその仕事柄色事にも、のまれないよう、訓練の一環として筆おろしもすんでないものは、商売女と寝て閨事の練習をするって聞いたぞ!!」

「つまりお前の初めては他の女がもらったのだろう?あーあ、こんなことなら私も他の男と寝ればよかった!」


それを聞くと、式の顔はこの世のものとは思えない、ゾッとするほど低く冷たい声で、残虐なことを言い放った。

「・・・・冗談でもそのようなことは仰いますな。姫様にふれる男はこの式だけで良いのです。他に触れる男がいたら散々、嫌というほど生き地獄をあわせてから、八つ裂きにしてやる!」


それからうってかわって笑顔になると、


「ご心配にはおよびません。式の体は清いままでございます」


「???・・・はあ?お前、いまだに童貞ってこと?どういうことだよ?」


「閨事の日、適当に商売女と寝たいっていう先輩とすり替わっておりました。ですから式の体はまだ誰の色にも染まっておりません。それに・・・大事な初めての相手、は・・・式の大好きな姫様と、と心に決めておりましたから」


最後の方は照れているのか頬を染めながらぼそぼそ言いながら顔をうつむかせた。

服の裾をいじっているらしいが、お前は乙女かと激しく突っ込みたい。


「あ――――――ッ!!??あっちにでっかいイボイノシシがッ!?」

「・・・・・」

「往生際の悪いお方。まだこの式から逃げようと?」


「なぜそんなにお逃げになるのです?し、式の事が嫌いになったのですか?」

「うん、そう。嫌いっていうか前から嫌い」


「返答早ッ!!??なんでなんで?雪姫、どうして式が嫌いなの?」


「わかってんだろー?雪姫に『あんなこと』しといて。それがトラウマになってんだよ」

「つっ・・・そ、れは、その・・・・」


それを言われると式はぐうの音もでなくなった。心なしか顔が赤い。


「というわけで、じゃ―――――な!!」

びしっと二本指で敬礼すると、颯爽と窓から飛び降りようとした・・・・のだが。


「だめ―――――――!!」

そういって華奢な雪姫の両手首を引っ張ると、強引に彼女を押し倒した。


「ゆ、雪姫は今日、式のお嫁さんになるの!【黒狼】になったら、俺のお嫁さんになってくれるって言ったじゃん!」

「ああ、そんなこともあったかもね――――」


式から揺さぶられながらテキトーに流す雪姫。

うん、まあこれで、けっこう男の純情を踏みにじる、存外ひどい主人公である。


「ひどい!ひどいよ、雪姫ぇ!!式はちゃんと、約束通り黒狼になって迎えに来たでしょ?どうして今になって反故にするのさ!」


「え―――――だってぇ、なんかやだ―――――」

「なんかやだってなんなのさ!」


「いやらしい式の思い通りになるのがぁ、なんかやだ――――」

「つっ・・・」


それに傷ついたのか、式は叱られた子犬のようにしゅんとしてしまった。

けれどもそれでもめげないのが彼のいいところなのか、改めて雪姫に決意を伝えた。


「じゃ、じゃあせめて一緒に寝よ?式、何もしないから!」

「ほんと?何もしない?」

「うん!」


枕をかかえて上目づかいしてくる雪姫をかわいいと思いながら、式は必死に頷いた。それを聞いて安心したのか、雪姫は式と二人仲良く寝所で横になった。


「えへへ。二人で寝るの久しぶりだね。雪姫」

「すか――――――」

「・・・・・」


やっと雪姫の寝所に入れてうれしいのか、うきうきしながら喜ぶ式とは別に、

雪姫はすっかりもう眠りについていた。


こうして近くでまじまじと雪姫を見るのは久しぶりだった。

この世界は12の国に分かれていて、雪姫は【如月】の国を守る巫女姫であり、現人神だ。普通の人間がおいそれと出会えるものではない。

ずっと高嶺の花だった姫が、間近で寝息をたてている事実に、式は夢じゃないかと一瞬不安に陥った。


するとある映像がフラッシュバックする。


「はあ?如月の姫様と一緒になりたいだぁ?

お前みたいな罪人の穢れた息子が、姫様の玉体に触れて言い訳ねぇだろう!!

この身の程知らずが!」

そういって頭から血が流れるほど、何度も何度も殴られたのを覚えている。


式は、昔ある事情で、罪人の息子ということで村人たちから迫害されて生きてきた。

そんな陰鬱な毎日を薔薇色に変えてくれた救世主が雪姫なのだ。


すべては過去の事なのに、まだたまに頭痛がするときがあった。

でもどんな苦しみも、今日を迎えた幸せに比べればちっとも苦痛ではなかった。

黒狼になることも。後悔なんか一度もしていない。

【黒狼】とは最強の武神に与えられる称号なのだから。


あらためて雪姫に視線をうつす。


白い肌。長い睫。赤い唇。銀色のなめらかな髪。


とくに唇を見ていると愛しさがこみあげてきて、式はたまらず眠る雪姫に口づけした。




一方、雪姫はというと。


眠っていた意識の底で、唇に誰か触れていると感じた瞬間、ある映像が流れ込んできた。


「で―――――きた!」


どうやら祝言前のようだった。

式は、今雪姫が着ている桜色の浴衣を、嬉しそうに縫い終わって喜んでいるところだった。

「雪姫、喜んでくれるかなー?綺麗な浴衣も縫ったし、雪姫の好きな香も買ったし、お花も生けたし」


指折り確認して嬉しそうにしている式。するとどこからか金色にかがやく果物を取り出した。


「それに何よりこれ!大公六家の庭にしか実らない黄金のイチジク!!生でもいけるけど、これをジャムにして焼き菓子に混ぜとけば媚薬いり焼き菓子の出来上がりー♪


ほんとは天界の貴族どもが、新婚初夜のためにのどから手がでるほど欲しがるシロモノだけど、今日の日のために大公六家の庭に侵入してパクっといて良かった♪」


パクったんかい!


と内心突っ込みたい雪姫であった。そこで目が覚めた。

目覚めるといきなり間近にあった式の頭をグーで思いっきり殴った。


「てんめぇええ!寝たそばから口づけすんじゃねえ!さっそく何かしでかしてるじゃんか!式の嘘つき!!」

「だって、だってせっかくの初夜なのに・・・・口づけくらいいいじゃん!」

彼は、たんこぶできたところを押さえながら、涙目で妻になった愛しいヒトを見上げた。


見回してみれば。


彼女の好きなものばかりだった。着ていた浴衣も、焚いている香も、生けてあるお花も。


すべては特別な日を、快適に過ごさせてあげようという、彼のおもてなしと思いやりだった。


もう、相変わらずバカなんだから。


そう思って雪姫は気を取り直すと、膝をぽんぽんとしながら式を呼んだ。

「ここにおいでー、式。膝枕してあげる」

雪姫の機嫌が治ったのがうれしいのか、式は子供のようにぱあっと顔を輝かせると嬉しそうに横になった。横になった式に雪姫は優しくささやいた。


「ねえ、どうしてお前は、そんなに雪姫が好きなの?」

「わかんない」


「・・・はああ!?言うに事欠いてわかんないだぁ!?」


ドゴス!


いきなり無神経な答えに、むかついた雪姫は式の額に思いっきり頭突きをした。


「だって、一目会った時から一目惚れだったもん!雪姫と会った時から体中に電流がビリビリーって走ってああ、この人が式の運命の人だなってそう強く感じたんだもん!」

頭突きされたところを涙目で撫でながら、式を強く抗議した。すると急に真顔になって。


「でも、一番の殺し文句は。死のうとする式に姫様は『生きろ』と仰ってくださいました。貴方さまが、『式を救ってくれたから』俺はこうして今、生きているのです」


「姫様は?姫様は式のこと好き?」

「さあ―――どうだろね」


はぐらかそうとしたがそうはうまくいかなかった。彼の鋭い観察眼が見抜いていたからである。


「じゃあ、どうして婚約指輪、まだつけてくれてるの?」

「こ、これは・・・」


「俺、これに術をかけてた。雪姫が式の事本当に嫌いになって、雪姫の心が式から離れたなら、指輪の石が黒くにごるようにって。逆に式に愛情を感じてるなら濃ゆいピンク色になってって。でもこれ、綺麗なピンク色のまま。雪姫が式に愛情があるってこと」


「わかった。初夜だからどうすればいいのか、わからなくて恥ずかしいのね?雪姫。だから照れて逃げてるのね?だいじょーぶ!式も一緒だよ!」

そういって真っ赤に図星を刺された雪姫を、ぎゅーっと大事そうに抱きしめた。


「如月雪姫さま。式の姫様。風早式は貴方様に永遠の愛を誓います。俺のすべてを貴方様に捧げます」

そういって恭しくひざまずくと、彼女の手の甲にそっと口づけた。


「姫様のせいですよ。式の体をこんなに火照らせて。ちゃんと責任をとってくださいませ」

「はああ?何言ってんの?さっき食べさせたなんたらイチジクのせいでしょ?自業自得じゃん!」

「またそんな意地悪言う!さっきも言ったでしょ?式の体はそういうのは効かないの!姫様が可愛くて魅力的すぎるから、欲情してるの!」


「式って、よっぽど私のことが好きなんだな・・・」

「好き、じゃないです・・・」

「・・・えっ!?はあ???」


いきなり予想外の事を言われて、雪姫はどうしようもなく動揺してしまった。けれども、次の言葉を聞いて安心してしまう自分がいる。


「もう自分でも、どうしようもないくらい、貴方の事、『愛してる』んです!」

そういって式は、布団に雪姫を押し倒した。


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