新婚初夜のコロシアイ


「姫様・・・式はこの日が来るのを一日千秋の想いで待ち焦がれておりました」

と言いながら上座に座る姫君に対し、恭しく伏礼する男がいた。

 髪は黒髪短髪で、どことなく優しそうな面立ちをした鳶色の瞳をした優男だった。

彼がひとたび歩けば、女官たちはうっとりと熱っぽく見つめるような眉目秀麗の凛々しい男だった。


対して上座に座る姫君は、不思議な光沢の色を持つ銀色の長い髪の娘で、これまた少女のようにあどけない、儚げな花のような美しさをもちながらも、どこか凛としたたたずまいの品がある姫君だった。


その姫はというと、先ほどから不機嫌そうな顔をして頬杖をついている。

どうやらご機嫌斜めのようすだった。


「どうなさったのですか?そんなつれない態度をなさって・・・」

内心姫君のご機嫌の悪さに冷や汗をかきながら、なんでもない態度で、今日晴れて夫になった式がたずねた。今日はとても大事な日だから、彼女には笑顔でいてほしいのに。


「式さぁ。アンタ私に何か言うことない?」

「は?といいますと・・・・何も思いつきませんが・・・」

「ほんとぉ?」

「何をおっしゃりたいかわかりませんが、皆目見当もつきません」

「あっそ!あくまでしらをきるんだー。私は知ってるんだぞ?お前さぁ、一度私を諦めようとして、他の女と見合いをしたことがあるだろう?私っていう婚約者がいながらさぁ!」

「つッ!!??」


闇に葬ったはずの過去の事実をほじくりかえされて、風早式は仰天した。いったい誰が姫様にチクッたのか・・・。だいたい予測はついているが。


「お前にとって私への想いというのはその程度だったというわけだ」

「そんなッ!?誤解です!あれはお義父上の、龍玄さまが無理やり下さったお話だったので断るわけにもいかず・・・俺は騙されたんです!!久しぶりに二人で飲もうと龍玄さまからの約束の場所に行ったら、なぜかお見合いの席になっておりまして・・・・どうしても逃げられなかったのです!」

「だいたい、龍玄さまは、どうして今更ほかの女性とお見合いなぞさせるのでしょうか?」

「そりゃ、父ちゃんはお前が大嫌いだからだろうよ。この前の死合だってこてんぱんにのしてたじゃん。雪姫を無理やり自分のものにしたしさぁ。自分の大事な娘奪うわ、死合には負けて屈辱あじわうわ、嫌われて当然じゃね?」

「うう・・・」


まっとうな彼女の指摘に式はうなだれた。前から龍玄さまには嫌われていたとは知っていたが、これほどとは。現に今日は大事な結婚初夜だというのに、もう弊害がでてきてるではないか。


「それに確かに見合いはいたしましたけれど、自分には将来を約束した女性がいる、と丁重にお断りさせていただきました」

「ふん、どーだか?相手は乗り気だったみたいだがな」

「そんなの関係ありません。式はずっと前から、子供のころから、ただ、姫様のみをお慕い申しておりました」

「じゃあなんで、お見合いしたこと言わなかったの?」

「いう必要がないと判断しました。姫様との結婚をひかえてるのに、余計な波風などたてたくなかったからです」

「ふ――――ん。あっそ。でもなんか面白くないんだよねぇ―――」

「ははぁ、妬いていて下さるのですね?」

「ああ、それはないわ――――ぜんぜん、まったく!」



――――マズイ。


このままでは、大事な新婚初夜までいける気配が全くない!

内心焦った式は話題を変えることにした。雪姫が絶対に食いつく餌を用意する。


「もう、ひ・め・さ・ま!そんな怖い顔なさらないで、せっかくの結婚したのですから!お祝いにお菓子でも食べましょう!式が焼いたのですよ」


「む―――――。お前、話そらそうとしてるでしょ―――?」

「え?じゃあいりませんか?」

「食べるぅ!!」


そういってひゅっと上座から一瞬で消えたかと思うと、次の瞬間嬉しそうな顔をして式の目の前に現れた。


普通の人間ならあまりの速さに、驚くだろうが、これは『瞬動』という瞬間移動の一種で、神族である神威人なら誰でもやってのける芸当である。むろん彼もできるので今更驚くことはなかった。


「さ、さ、姫様の好きな桃蜜酒とマドレーヌですよ。どうぞ」

うまく餌に食いついた可愛らしい姫君に、とろけるような甘い笑みを浮かべながら、式は上機嫌で、桃と蜂蜜でできた上品なお酒とお鉢に山盛りに持った貝殻型のマドレーヌを差し出した。


「・・・・・」

「どうされました?」

「なーんか、怪しい」


ギクッ!!?


「お前、なんか毒でも盛ってるんじゃねぇーだろうなぁ?」

「いいええ。まさか。ほら式が食べて見せますから」

そういって山盛りのマドレーヌから一つとると、おいしそうにパクパク食べて見せた。


「む――――。気のせいかなぁ。じゃあいっただきますっと!」

「うふふ。おいしいですね、姫様。一つの食べ物を分け合うのは夫婦の証ですもの」

「ふ――――ん。そうだね――――」


そういって嬉しそうにすりよる式を片手でつっぱって押しよけながら、器用に雪姫はおいしそうに焼き菓子をつまんでいた。

やがて、鉢盛にのってた焼き菓子が空になると。


「ああ、おなかいっぱい!もうねよ――――っと。じゃあね、式」

といってこれから起こることに一人胸躍らせている夫とは別に、妻は冷たい態度で部屋から出て行こうとした。あまりのこの温度差に式は愕然としてしまう。


「え、ええええ!?もう眠るんですか?きょ、今日が何の日かわかってて、そんなこと仰ってるんですか?」

「ええ?お前と結婚した日だろ?半ば強引に」

「そっ・・・そうですけど!だったら今夜・・・」

「別に今日じゃなくてもいいじゃ――――ん。ってかずっとプラトニックでもよくね?」


ずっとこの日が来るのを待ち焦がれていたのに、あまりにひどい拒絶の連射に式は卒倒しそうになった。だが、日々の鍛錬のたまものなのか、なんとか思いとどまると、真剣な顔をして雪姫に尋ねた。


「わかりました。あくまでも眠られるとおっしゃるなら、寝る前に一死合(しあい)しませんか?」

「死合ぃ――――?今からぁ?」


死合とは命がけのコロシアイのことである。お互いに何かをかけ、命がけで戦うこと。場合によってはそれにより相手を殺したとしても合法とされる。


「へえ?式のくせに私に勝つ気でいるの?」

「無論です。式は今日の日が来るのをずっと待ち焦がれていましたもの。これからただで眠らせるなんて、有り得ない。今夜の初夜をかけて勝負するのです!」

「賭けの対象は?アンタはそれでいいかもしれないけど、私にはなんのメリットあんのよ?」

「ならば、最強の剣をかけましょう。代々黒狼に伝わる、如月の至宝。【式刀・霊祁】を進呈しましょう。いかがですか?」

「う―――――ん。別にお前の剣はいらないけど、興味はあるんだよね。如月の城が保管してるのに、私は触っちゃいけないって言われてたしなぁ。どんな剣か興味はあるよね―――」

「まあ、ここはのせられてやるよ。じゃ、審判呼ぼうか。お――――い、莉理ぃ?」

「お呼びでございましょうか?姫様」


そういって奥からしずしずと気品のある女官が出てきた。ゆるくウェーブががった髪をひとつにまとめている。

この如月の国、雪姫の居城【麗月城】の筆頭女官、【北条・莉理】(ほうじょう・りり)だった。


「莉理―――。式が初夜をかけて死合したいんだって。お前、簡易的に審判してくれない?」

「まああッ!!?駄犬の分際で、姫様と結婚さえするのすらおこがましいのに、初夜をかけて死合ですって!?姫様、莉理がコイツの相手になりますわ!莉理、前々からコイツが大嫌いですもの!今日こそたたき出してやりますわ!」

「そのセリフは、俺に勝ってから言ってくださいよ、莉理さん。相変わらず、しつっこくねちっこく、俺の命狙う根性は認めますけどね。話聞いてます?姫様御自ら戦われるから、審判してほしいって仰ってるんですよ?」

「まああッ!?そちらこそ、あまり調子にのるなですわ!この身の程しらずがッ!なぜ如月の現人神であらせられる、莉理の姫様が、お前なんぞと剣を交えなければいけませんの!顔を洗って出直してきやがれですわ!」


式がなおも言い募ろうとしたが、雪姫が頭をかきかきしょうもなさそうに言った。


「莉理――――。お前がコイツ死ぬほど嫌いなのはよく知ってるけど、今は自重しろ。あとでいくらでも寝首かいていいから。とりあえず今はお前が審判やって」

「はいぃぃ!!承知いたしましたわ!姫様!」

とんだ身のかわりようである。


雪姫は仕方ないので、懐から銀色に輝く符を2枚引き出すと、一枚を式に投げ渡した。

「これで、いいだろ?これを渡したってことは、お前をぶち殺して、私は晴れて自由の身になってもいいってことだよな?」

「ご自由に。式、負けませんもん。式が勝ったら、姫様との初夜は式のもの」

「私が勝ったら霊祁をいただこう。あと式とは別れて、晴れて独身貴族に逆戻りー♪」

「そ、そんなの、絶対させませんもん!姫様は、式のお嫁さんになるんです!」


そういって二人が宣誓すると、宙に浮いた銀色の符がきらりと光り、青い焔とともに消えてなくなっていた。それすなわち、天界と地上を管轄する【天寿元老院】(てんじゅげんろういん)が受理したという証だった。


「よ――――し、これで後腐れなくお前ぶち殺せるな、覚悟しろよ、式ぃ?」

あとで莉理の奴をぶっ刺すと心に決めてから、式は気を引き締めるためにすうと深呼吸した。


「そちらこそ、こちらが勝ったら閨で、いやというほど、愛して、いじめて差し上げますから。お覚悟を」

「用意――――――はじめ!!」


号令とともに、まず雪姫がしたことは後方へ飛んで、式と距離をとることだった。

(奴は近接戦闘のエキスパートだ!近づくのは圧倒的不利!ならば・・・・離れてから圧倒的物量で―――――)




!!


そう決意した彼女の手の中には数十枚の式符(式神を操る札のこと)が出現した。鳥の文字を古代文字(篆書体)で素早く親指で書くと鋭い勢いで式へと投げつけた。


すると式符は一瞬で白い鳥になり、弾丸のような速さで対象へとぶつかっていった。これが頭に直撃すれば脳みそがはじけるほどの勢いと質量の弾丸となるのだ。これが幾万という礫となって彼に襲い掛かった。普通の人間ならば跡形もなく血みどろである。


もちろん、当たればの話だが。


対して、式はというと、あえて、何もしなかった。よけることもなければ、片手で庇うこともない。ただ、にんまりと笑うだけであった。なぜならば、彼に式鳥がぶつかる瞬間、空間が水面のように波紋をおこして、式鳥は吸い込まれるように、あっけなく消えてしまったからである。


「つッ!?」


(やっぱり、下位の法術だと奴には効き目がないか!というか法術も仙術もある程度、無効化するなど反則だろ、普通!!)

ちなみに、法術は雪姫達、神族が使う魔法のようなもので、仙術は道士や陰陽師といった人間が扱う術のことである。なぜか、風早式は中位から下位の法術が試してみたが、ほぼ効かなかったし、むしろ仙術のほうが彼には効きやすいようだった。まったくもって謎の体質である。


ならば・・・


「いでよ、三種の神器が一つ、八咫鏡!!」


すると彼女の隣に、人の大きさと同じくらいの大きな銅鏡が出現した。八咫鏡は瞬時に日光を吸収し、きらりと光り輝いたと思うと、超高熱のぶっとい光線を式に向かって発射した。直撃すれば人間など瞬時に蒸発するおっそろしい技である。


しかしこれも先ほどの瞬動でかわす式。


どこへ移動したかと思うと、銅鏡の背面へ移動し、片手で――――



ごぐわっしゃ!!



と叩き割ってしまった。

「くッ!?」

瞬時に式から離れようとするも、力強い男のうでが、華奢な雪姫の手首をつかまえ、力ずくで引き寄せていた。


しかし――――。


ぴうっと空気を裂き、雪姫の繊手の中から現れたのは、細い針をもった錐であった。

絶対の距離をつめ、勝機とおもってのど元に刺そうとするも、この男は余裕綽々といった様子で、紙一重でかわしてしまった。


「おお、危ない危ない。姫様の手にこんな無粋なものなど、必要ありませぬ。ご丁寧に毒まで塗られて」

「ちっ、刺さってればよかったのに!!」

「いーやーでーす!毒など喰らったら姫様抱けなくなるではないですか!まあ、かすったとしても、俺は毒の鍛錬もしてるので、ほとんど効きませんがね?」


くすくす笑いながら、近づいてくる式に本気で戦慄した雪姫は、片手で印を切るとなんと、次は同じ雪姫が6体現れ、式を円になって取り囲んでいた。いわゆる分身の術である。それぞれ大層な弓をつがえ、容赦なく狙いを定めて一斉掃射した。


しかし、6連射同時発射を、男はたった片手の一振りですべて受け止めてしまった。手から零れ落ちる矢の残骸が、はかなく風に散っていった。


「な・・・・・」


これには雪姫も、絶句してしまう。この男が強いのは知っていたが、まさかこれほどとは。

「おお、怖い怖い。姫様が増えるのはうれしいことですが、この世に姫様の偽物などいりませぬ。そんな無粋なものは叩き壊してしまうが道理」

そういってごしゃごしゃ素手で式符でできた人形を、顔面から叩き割り始めた。


あまりの予想外の事態に雪姫はさらに体が硬直してしまう。まさか、式が本気で、よりにもよって自分と同じ顔した人形をごしゃごしゃ叩き割るとは思いもよらなかったからだ。自分と同じ顔の人形にすれば、雪姫恋しさに相手も油断すると思っていたが、戸惑いもなく軽快に自分の顔面を殴られている姿など見ていて気持ちいいものではない。


注意しておくが、神威人というのは普通の人間の何千倍も力が強く、もちろん、普段は抑えているが、1トンくらいの重量など、片手で簡単に出せるのである。そして、もう4体も式符が割られてしまった。残るのは、同じ絶望の顔をした、人形と本物のみ。とうとう自分の番になって、雪姫はぎゅっと目をつぶって自分も殴られるのを覚悟した。 


数秒後に、式に殴られる残酷で無残な未来を思い描きながら―――――。

式の、男にしては、華奢なうでがふりあがったかと思うと――――


次の瞬間、与えられたのは暴力的な重量と衝撃ではなく、やわらかい感触だった。


―――――――ちゅ。


小刻みに震えていた姫君の薔薇色のほほに、夫がそっと口づけた感触なのであった。

一瞬、何をされたかわからないで硬直していると、

「姫様!つ――――かまえた♪」

といって、彼がにこにこしながら、ぎゅ――――っとされるがままに、抱っこされている状態であった。


「へ?なんで?なんでなんで?アンタ私殴るんじゃなかったの?」

というか、自分と同じ式符でできた紙人形も、まったく同じ顔、同じ体だというのに、なぜ見分けがついたのか?

「いやだなぁ。どうして式が、愛する奥さんを殴らなきゃいけないんですかぁ?あんな無粋な紙人形と姫様くらい見分けがつきますってぇ。もうあんな無粋な偽物作るのやめてくださいよぉ」

「悪かったなぁ!どっちも一緒の顔だよ!悪かったな、無粋な顔で!!」

「ち―――が―――い――――ます!!全然違うもん!!姫様は、甘くていいお花の匂いがするもん!!ぺらっぺらの紙人形とはわけが違うもん!!」


そこで、ようやく合点がいった。

(あ、そっか!式は嗅覚も鋭いんだった・・・・)

要するにコイツ、犬並みの嗅覚で紙と本物を嗅ぎ分けたのである。それでも、常人にはまったくわからないだろう。

彼が鋭い嗅覚をもつからできた芸当で、微妙な差のある匂いでわかるなんて、これまた尋常じゃなかった。


「もぉ――――!!わかったからぁ!!いいかげん、離してよう!!」

「い――――や!!離したら姫様、遠くへ行っちゃうもん!式、そんなのやだも――――ん!今日は記念すべき姫様との大事な初夜だから・・・・」


式は顔を真っ赤にしながら、愛しそうにぎゅっと雪姫を抱きしめて頬ずりした。

そこで、雪姫は今更になって重大な事実を思い出した。『負けた=式に抱かれて初夜』という最悪の構図がこのあと待っているではないか!?

しかーし、そうは問屋はおろさないのが、主とツーカーの侍女というものである。


あろうことか、審判の莉理さんは、目をとじてま―――――ったく死合を見てないふりを決め込んでいた。

「ちょっとぉ莉理さん!知らないふりするのやめてくださいよ!俺、十分勝ってるじゃないですか?」

式が不満そうにブーイングするが、最愛の姫君をバカ式にとられて、式が大嫌いな侍女はどこ吹く風である。

「ああら、わたくし、ねむくてぇ、まったく見えませんわぁ。もう、困ったから姫様の不戦勝でよろしいかしら?」

「そうだねぇ、それじゃそうしよっか――――じゃ、これで終わりってことで」


最初から莉理を呼んでおいてよかった――――と思ってにこにこしながら顔をゆるめ、雪姫はさっさとずらかろうとした。しかし、またさらに問屋がおりなかったのである。


「ふ―――ん。あくまでそうおっしゃるんですか?じゃあスペシャルゲストに出てもらいましょ―――!!」

「はあ!?何がスペシャルゲストだぁ!?な・・・に、が・・・」


そういって部屋の奥から出てきたのは、思春期をむかえたばかりであろう、小さな幼女だった。しかも可哀想なくらいに顔が真っ青で涙目になっているのである。

「い、伊勢ちゃん!?どうしたの!?こんな時間に?」

「い、伊勢お姉さま!?どうなさったのですか!?」


幼女は頭に二つお団子頭をした、愛くるしい幼女で、名前を【巴・伊勢】(ともえ・いせ)という。彼女もまた、麗月城、すなわち雪姫に使える女官だった。ちなみに小さいなりした幼女だけど、人妻で莉理よりも年上である。


彼女は城の全部の料理をまかなう料理番が彼女の仕事だった。誤解がないように、言っておくが、莉理は学生時代に彼女に大変お世話になっていて、身分こそ莉理が上なものの、彼女には頭が上がらないのである。なんたって血はつながっていないものの、お姉さまとよんで慕っているくらいなのだから。


「ひ・・・ひめさま。莉理しゃん・・・」


愛くるしい彼女の両目から、涙がこぼれんばかりで、伊勢が大好きな二人は動揺してしまった。

「どうしたの!?いったい何があったの!?」

「うっ・・・ううっ・・・ひっく」

「あ、あちしの自慢の包丁とられちゃったでしゅ――――!!あれがないとお仕事できましぇ――――ん!!」

「――――は?はああ?」

「し――――き―――――!!て――――め――――え――――!!」


犯人はしれっとどこ吹く風でそっぽ向いている。雪姫が問い詰めると困ったように苦笑した。

「やだなぁ、ただの保険ですよ。伊勢さ―――ん、包丁返してほしかったら、莉理さんに俺が勝つように『お願い』してくれませぇ―――ん?」

(そうか、そういうことか!)

と雪姫は思い至った。式の奴、包丁を人質にして、伊勢ちゃんのお願いに莉理が断れないのをいいことに、最初から勝つよう保険をかけていたのである。


しかも、莉理から勝利宣言してもらうことで、式が大嫌いな彼女に屈辱も与えるという手の込んだいりようだった。

もうこれは悪魔的知能犯でなくて、いったいなんなのか!?


「莉理しゃ―――――ん、お願いでしゅ―――――。式しゃん、勝たせてやってくだしゃいよう!あちしの包丁が、かかってるんでしゅ――――!!」

「そ・・・それは、でも。お姉さま。その・・・・」

いつも涼しい顔している莉理だが、尊敬している伊勢からのお願いもあって、恐ろしいくらいの滝汗で眼が泳いでいた。どうやら、雪姫の愛と伊勢の尊敬で葛藤されているご様子である。そんな彼女達の苦しみを見捨てるような主ではなかった。


「はああ―――――。わかったよ。すっっっごく不本意だけど、雪姫の負けでいいよ。式が勝ったことにしちゃっといて」

「で、ですが、姫様!!それでは――――あのような獣(ケダモノ)と・・・本気で結ばれるつもりですの!?」

「しょうがないだろ――――?死合で負けちゃったんだから―――」


(ま・・・・まだ逃げるのあきらめてないけどね―――――)


と心の中で、誰にも気づかれぬよう、独り言ちた。


「ひ、姫様!でしたら、莉理がかわりに、風早の相手をいたします!!姫様の苦痛に比べられたら、莉理、いくらでも我慢できますわ!!」

主の心中を見かねたのか、この侍女はとんでもないことを言い出した。


しかし。


パチン。


と誰かが指をならした音がすると、一気に部屋の外へはじき出されてしまった。ついでにいうと伊勢ちゃんもである。


キィィィイイン!!


結界が発動されると同時に聞こえたのは、嘲笑だった。


「アンタの相手なんか、御免こうむりますよ。いい加減、空気読んでくれないかな?俺の愛しい姫様との夜に、アンタは邪魔なんですよ!」

「つッ!?風早ぁッ!!覚えてらっしゃい!!必ずわたくしが殺してやる!!必ず!!」


結界の外で呪詛の言葉を吐き捨てる侍女もなんのその、式は雪姫に無音で近づくと、その白い額をちょんと人差し指でつついた。あまりの早業にぽかんとしていて雪姫も隙ができてしまったのを、後悔している。


「な・・・・・」


つつかれた瞬間に、雪姫の意識は暗闇に沈んでしまった。相変わらず美しい花のような顔かんばせを眺めていると先ほどの幼女の声が式の脳裏に響いた。


これは【他心通】といって、一種のテレパシーみたいなもんで、心を許している相手にはできる代物である。まれに上位の存在が下位の存在に強制的にできることもあるが、詳しいことはまた後ほど。


(うまくいきましたね、式しゃん)

(はあ、まあ、なんとか。冷や汗もんでしたが。ご協力感謝します。伊勢さん)

(むふふ―――!ちゃんと人間国宝が作った業物の包丁、約束通りくださいね!!)

(了解っす。さすが、伊勢さん。名演技でした。さすがです)


そういって交信終了すると、やっと風早式はほっと息をついた。


「誰も、俺たちの初夜は邪魔させない――――たとえ姫様であっても」


そういって爛々と眼を輝かせた彼の眼は、いつもの鳶色じゃなく赤い紅玉のよう燃え上がる炎のようにきらめいていた。


が、それも一瞬で元に戻る。―――――長い夜が始まろうとしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る