ある女のヌルッとした行動が恐ろしく執念を感じます。
ポンタ
第1話 話が違う!!大人の関係だって割り切ったじゃん!!
夜の12時を回ったバーは客が少なく静かだ。
カウンターには自分1人、奥のテーブル席に1組の若いカップルが並んで座っている。
カウンターの上に置いたスマホが震える。
「・・・。」
メールを受信した。私はゆっくりとスマホを手にしてメールを確認する。
「・・・。」
予想していた差出人と予想していた内容に、一呼吸つき、ゆっくり目を閉じて片手で顔を覆った。
「安藤さん、大丈夫ですか?」
バーテンの吉木君が声をかけてくる。
「大丈夫に見える?」
「いえ・・・。」
「やばいよ、どうしよう。」
もし自分が子供だったら今すぐ泣き出したい気分だ。
「どうしたんですか?」
「・・・聞いてくれる?」
「僕で良ければ・・・。」
吉木君は静かに頷く。私はたぶん話を聞いて欲しくてこんな夜中にフラフラと近所にあるこのバーに来たのだ。
「このメール見て。」
自分に向いているスマホ画面を反転させる。
「いいんですか?」
「いいよ。」
『今日はとても楽しかったです。突然お邪魔してしまってすみません。とても仲の良いご夫婦で羨ましいです。課長の奥さん、とても羨ましいなぁ。でも私も奥さんに負けず課長の事が大好きです。美貴』
吉木君はスマホの画面をこちらに戻す。
「詳しくは分かりませんが、恐ろしい文面ですね。」
「・・・今日家に帰ったら玄関に靴が置いてあるの。もしかしたらって予感は少ししたけど、見事に的中したね。姿を見た時、本気で心臓が一瞬止まったよ。普通、勝手に家には来ないでしょ。」
「奥さんはこの美貴さんを前から知ってたんですか?」
「一度会社の人間何人かで家に連れて行った事があるから、顔は覚えてたね。」
「今回は一人で来たんですか?」
「みたい。」
「何しに?」
「俺が会社に書類を忘れてたらしくてさ、それを届けに。でもそんなのわざわざ届けるような書類じゃないんだ。」
「恐ろしいですね・・・。」
「二人とも和やかに世間話をしてたんだけど、妻は完全に怪しんでたね。俺を見る時目が笑ってないの。」
「実際に関係を持ったんですか?」
「・・・まぁ一回だけね。」
「女の勘ってやつですね。」
苦笑しワインに口を付ける。話を聞いてもらって少しだけ張り詰めたものが緩んだ。自分は47のいい大人だ。少しくらいの火遊びは甲斐性の内だと思っていたが、まさか家にまで来てしまうなんて想像も出来なかった。まるでドラマみたいだ。
美貴は会社の部下だ。たぶん今年で25くらいにはなるんだと思う。特別に美人と言う訳でもないけれど、色気がある女性だった。仕事もそつなくこなすし、物腰も柔らかい。そんな彼女に誘われたのは会社の飲み会の時だった。隣に座ってきた彼女は始めは普通だった。しかし時間が経つにつれ、少しづつ体を密着させて来て「課長の事好きなんですけど~。」と冗談っぽく顔を赤くさせながら言ってきた。「結婚してるんだけど。」と言うと、「ええ~つまんな~い。」と口を尖らせ、さらに体をくっつけて来た。会社の連中はその光景を喜ぶように「不倫だ」「浮気だ」などと彼女と私をはやし立てた。そして帰る時には酔っ払った彼女の介抱する役目を押し付けられ、そこからは流れでホテルに行ってしまった・・・。
「本当にその一回きりですか?」
「そう。でも言い訳するけど、ちゃんと確認はしてるんだよ。『分かってるよね。俺は結婚してるからこれ以上の関係にはなれないからね。』って。」
「・・・。」
「逃げの口実みたいに聞こえるかもしれないけど、お互い大人でしょ。そこは割り切って欲しかったんだよな。」
「そんなに言い寄って来てるんですか?」
「関係持ったのが、大体一か月くらい前。それから頻繁にメールがくるし、電話も来る。」
「・・・大変ですね。」
別の席から「すみませーん」と呼ぶ声。奥のテーブル席のカップルが軽く手を上げている。「ちょっとすみません」と言って、吉木君はその場を離れた。一人になりメールを見直す。一体なんでこんなめんどくさい事になってしまったのか。もちろん今の家族を捨てるつもりもないし、美貴と関係を続けるつもりもない。それも美貴も分かっているものだと思っていた。あの子は自分をどうしようとしているのか?妻と別れさせようとしているのだろうか?今日みたいにまた家に来られたらたまったものではない。
そんな事を考えていたらスマホが震えた。
「・・・。」
画面を見てギョッとした。今度はメールの受信ではない、電話の着信だ。画面には『佐渡美貴』と表示されている。
「嘘だろ。」
思わず声が漏れる。時間を確認すると1:30。こんな時間に電話がかかってくるなんて初めてだ。とっさに吉木君に目を向けるがこちらに気がつかずに何やらカチャカチャとシェイカーを振っている。
「・・・。」
じっと見る。全然こちらを見る気配がない。かっこつけてシェイカーを振っている場合ではない。こっちは一大事なのだ。
「・・・。」
外に出た方がいいと思い、椅子から立ち上がった所で着信が切れた。ホッと胸をなでおろし、椅子に座り直してそっとスマホをカウンターの上に置く。そして腕を組みスマホを眺める。
「すみません。」
と、吉木君が戻って来た。
「ちょっと今さ、電話がさ・・・。」
と言い終わる前にスマホがメールを受信する。この流れだと確実に彼女だ。
「・・・見たくないなぁ。」
届かなった事に出来ないだろうかと願うが、吉木君はじっとスマホを見つめている。
「見た方がいいかな・・・。」
「確認はした方がいいと思います。」
その言葉に促されそっとスマホを手に取りメールを確認する。
『いきなり電話してしまってすみません。課長の声が聴きたくて。ご迷惑なのは分かっているんですが、気持ちが抑えられなくて・・・すみません。でも大丈夫です。課長の寝顔を見ながら寝ますね。』
この文面の次に画像が送られてきた。顔面が硬直するのが自分でも分かった。添付されている画像は自分の寝姿だった。しかも上半身が裸だ。
「マジか・・・。」
またしても声が漏れる。まさか撮られていたなんて思わなかった。反則だ。こんなのはもっと別の世界で繰り広げられているものだとばかり思っていた。まさか自分がこんな事になるなんて思ってもみなかった。自分はごく普通のサラリーマンだ。
「どうですか?」
吉木君が聞いてくる。
「いや、やばい。かなりやばい。」
さすがに恐怖を感じた。そしてまたメールが来た。
『やっぱり会いたいです。今会いたいです。』
この一文だけ送られてきた。咄嗟に口に手をあてる。
「やばいやばいやばいやばいやばい。」
「どうしたんですか。」
「俺の寝顔の写真送って来た。しかも今会いたいって。」
画面を見せる。
「まずいですね。」
「まずいよね。マジでまずいよね。」
完全に彼女は我を忘れている。どうしたらいい?頭をフル回転させる。まず画像を消させるか?いや、下手に頼んだら何するか分からない。もし妻にこの写真が渡ったらシャレにならない。
「返信するんですか?」
「・・・。」
吉木君の問いにすぐに返事が出来ない。電話を手に持ったまま沈黙する。一体どうすればいいのか。
「すみませーん。」
また奥のテーブル席に座っているカップルが呼んでいる。「すみません。」と言って吉木君がいなくなる。チラッとカップルを見ると二人は寄り添うようにお酒を飲んでいる。相思相愛と言った感じだ。年齢はいくつくらいだろうか、美貴と同じくらいに見える。きっとあれが普通のカップルなのだろう。なんの後ろめたさもない、純粋なお付き合い。幸せそうだ。
「・・・。」
純粋なお付き合い・・・。そうなのだ、もし自分が独身であれば何の問題もないのだ。好きなら付き合えば良いし、そうでなければ素直に断ればいいのだ。彼女の言動に慌てているが悪いのは完全に自分の方なのだ。
「何か飲まれますか?」
戻って来た吉木君が聞いてくる。気が付くとワインが空になっていた。
「じゃあおかわり。」
「はい。」
そう言ってグラスにワインを注ぐ。
「もう一回ちゃんと話そうと思う。メールは今日は返さない。」
「そうですか。その方がいいかもしれないですね。」
吉木君は微笑む。
「この結末はどうなるかな?」
「僕に聞くんですか?」
「無事で別れられると思う?」
「どうでしょうか・・・無傷ではないと思います。」
「だよね。」
苦笑する。
「余計な話かも知れないんですが、『安珍・清姫伝説』って分かりますか?」
「あんちんきよひめ?知らない。」
「昔話なんですが、安藤さんの状況に似てるなって思いまして。」
「どんな話?幸せになる話じゃなきゃ嫌だよ。」
「じゃあ止めときます。」
「いいよ、教えて。何。」
「じゃあ・・・昔、安珍と言う修行僧と清姫と言う女性がいたんです。清姫は安珍に一目惚れをしたんですが、安珍はその思いに気を持たせるような曖昧な事を言ってはぐらかし、清姫から逃げてしまったんです。そしてその事に清姫は怒って安珍を追いかけました。その執念はやがて清姫を大蛇へと変身させました。そしてとうとう安珍を追い詰めたんです。」
「それで、追い詰めてどうしたの?」
「安珍はお寺の人間に頼み込み、鐘を地面に降ろしてもらいその中に隠れました。しかし清姫は情念の炎で鐘ごと焼き尽くそうとしました。」
「・・・安珍は助かったの?」
「安珍は残念ながら、焼き尽くされて灰になってしまいました。そして清姫も入水して自ら命を絶ちました。」
「・・・終わり?」
「はい、終わりです。」
真顔で答える。
「最悪で終わってるね。」
「一応心づもりはされた方がいいかと思いまして。」
「心づもりね・・・一応ね。」
ワインを一口飲み、グラスに入ったワインを見つめる。最悪の結末かもしれないが、吉木君の言っている事はもっともだ。もしかしたら穏便に済ませる事が出来るかもしれないと心のどこかで淡い期待を抱いていた。そんな簡単な訳がない。きっと現実は『安珍・清姫伝説』のように恐ろしいだろう。
「まさか焼き殺されはしないよね。」
「・・・女の人は怖いですから。」
「だよね・・・あのさ、一杯付き合ってくれない?」
私の誘いに吉木君は「ありがとうございます。」と答え、自分用にワインを注いだ。
「健闘を祈ります。」
「うん。」
グラスを合わせる。チラッと奥のカップルに目をやる。幸せそうに寄り添っている。どうあがいても私はあんな風になる事はないだろう。
「安珍と清姫ね・・・。」
思わず口から漏れてしまった。
ある女のヌルッとした行動が恐ろしく執念を感じます。 ポンタ @yaginuma0126
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