第44話 仇で返す

 なけなしの生活費を削ってタクシーでボロアパートに帰ってきた。運転手さんもウエディングドレスの美人と冴えないTシャツ男の組み合わせに触れていいのか迷ったみたいで会話らしい会話をせずに済んだ。


「まずは部屋の契約を変えるわよ」


「前にも言いましたけどそれはマズいですって。解雇通知が両親の元に届くかもしれないのに」


「その件は心配いらないって言ったでしょ。安心しなさい。亀田家くらいなら養ってみせるから」


「スマホもないのに株で稼ぐんですか?」


「私は京東大生よ? 家庭教師のバイト……勇気以外のね、まずはある程度稼いで、それを元手に資産を増やせば何も問題ないわ」


「本当にできそうなんだよな……って、さすがにそれは恩返しが過ぎますよ。無料で家庭教師をしてもらって、さらに食事の用意まで。両親の生活費まで面倒を見てもらったらそれことこっちが恩返ししないといけない」


「ご両親に恩を売っておくのも悪くないでしょ? 息子さんを私にくださいって。喜んで差し出してくれると思わない?」


「さっき勘当されたばかりの人が言うとめちゃくちゃ邪悪に聞こえるんですが」


「そもそもご両親は解雇されないわよ。絶対もう私達に興味を失ってるから」


「だといいんですけど」


 今のところ両親からの連絡はない。鶴蔵さんが怒りに任せてあの瞬間にクビを言い渡していれば一報あるはずだ。

 あっさりと勘当されてしまっても親子だった過去は変わらない。実の娘だった城ケ崎さんの言葉を信じよう。


「それよりも勇気、予備校をサボってるわよね」


「それは……まあ。でも日曜まで待ってたら式が終わってますよね?」


「ええ、浪人生は勉強第一よ。それを捨ててまで私を助けてくれたことは本当に感謝してる。ありがとう」


「頭を上げてください。城ケ崎さんは勘当されて、スマホもたぶん回収できなくて、全部綺麗に助けられたわけじゃないですから」


「素直に感謝してるんだから受け取っておきなさい。それとも、罵声とビンタがお好みかしら?」


「そういう趣味はないです。それだけはハッキリとわかってます」


「残念。スパルタ教育を施そうと思ったのに。明日は模試でしょ?」


「はい。今日一日で詰め込んだくらいでどうにかなる範囲の広さじゃないですから、これまでの成果を出し切るつもりです」


「その意気よ。でもね……模試は本番じゃない。それに勇気の知識はまだまだあやふやで今はもっと詰め込むべき時期」


「…………え?」


「まだ明るいわ。他の浪人生は予備校で勉強している。その差を埋める、いいえ、その上を行くにはスパルタ教育しかないわ。ウエディングドレスの家庭教師なんてこの世に一人よ? 良かったわね」


「今から勉強するんですか? あの、これからの生活について考えたりとか」


「まずは模試よ。ほら、早くしなさい」


 ドレスを着ているのにスタスタと階段を上って行く。このボロ階段をこんなにも優雅に駆けるのは城ケ崎さんくらいだ。


「鍵持ってないでしょ。転びますよ」


「持ってるわよ。ずっと」


「え……」


 胸の谷間から見覚えのあるキーホルダーが現れた。あの空間って本当に物を隠せるんだ……エロいという感情よりも先に感動が僕を襲った。


「これのおかげでしょ? 式の会場がわかったの」


「そうですけど……なんで」


「この鍵さえ持ってればいつでも勇気のところに逃げられる。監視が強くなって実際には無理だとしても、心に保険を掛ければ生きていけるって思ったの」


 ガチャリと鍵を開けてまるで我が家のように玄関をくぐった。合鍵を渡すつもりはなかったのに、これじゃあ誰がどう見ても同棲だ。


「勇気こそ鍵がなくてどうしてたの?」


「大家さんにスペアを借りて、それを元に合鍵を作りました」


「へぇ、この鍵が使えるってことは変えてはないのね」


「その鍵を誰かが拾ってもこのボロアパートに来るとは思えませんから。金目のものはないですし」


「今までは……ね。私も一緒に暮らすんだから防犯はちゃんとしてもらわないと。大家さんにあとで相談ね」


 淡々と話を進めながらガムテープの封印を解き、キャリーケースに詰めた私物を自分好みに広げていく。この部屋を占める城ケ崎さん成分がどんどん増えていって、もはや自分の部屋ではないみたいだ。


「さ、準備も整ったし始めるわよ。模試の前日は基礎の振り返りが一番。基本問題でしっかり点を稼ぎつつ、応用問題でも部分点を取れれば自信に繋がるわ」


「あ、本当にやるんですね」


「当たり前じゃない。今夜は寝かさない……ってことはないわ。模試の前日でも普段通りに睡眠を取る。これこそが真の体調管理よ」


 一瞬ドキッとしてしまった。ウェディングドレスで寝かさないって、つまりそういうことだ。賢者タイムに突入していたとしても一瞬でバーサーカーになれるくらいには今の城ケ崎さんは魅力的で、そういう展開になってもおかしくない関係を築いたとも思っている。


「安心しなさい。私が一流の男に育ててあげる。命を助けた責任を取ってもらうんだから」


「でも、スパルタ教育なんですよね?」


「京東大に合格できる一流の男への道は険しいの。当然よ」


「ありがたいような……恩を仇で返されてるような……」


「ほら、無駄口を叩いてないで手を動かす。この私を助けた手なのよ。もっと自信を持ちなさい」


 浪人生活が始まった時にはウエディングドレスの家庭教師が付くなんて思ってもみなかった。

 ほんのちょっとの勇気が人生を変える。そのことを教えてくれた城ケ崎さんへの恩返しは京東大合格しかない。


 いろいろな問題を抱えた共同生活はこれからも続いていく。

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