第41話 出席
宣言通り、いつもの時間のいつもの場所に大河さんは居なかった。きっと一人で予備校に行ったんだ。僕が遅れることはあっても大河さんが遅れたことは一度もない。何の連絡もないということはそういうことだ。
ふわふわの小動物みたいに見えて実は結構頑固なのかもしれない。カラオケでどんな曲を歌うのか余計に楽しみになってきた。
「一応文面だけは考えておくか」
もしもの時は何度か画面をタッチするだけで謝罪文を送れるように準備しておく。それで許してもらえるなら警察はいらないという話なんだけど弁明の機会くらいは与えてほしい。
許してもらえるかは別の話。自分の心をちょっとでも軽くするための保険みたいなものだ。
心なしかいつもより街がきらびやかだ。二人の結婚式が今日この街で挙がると知っているかこその勘違いなのかもしれないけど、一段上流に足を踏み入れた感覚が確かにある。
「……雰囲気に飲まれるな」
一度目の受験の時は周りがみんな自分より頭が良さそうに見えた。実際、僕はあの中でビリではないにしろ下位集団だから落ちている。
なにも一番になる必要はない。最低限の順位さえ確保できれば合格する。
國司田がどんなにハイスペックでも、僕には城ケ崎さんがお墨付きをくれた勇気があるらしい。この一点において僕はあいつに勝っている。そう信じて自分を鼓舞する。
ホテルに近付くとスーツやドレスを身にまとったいかにもお金を持っていそうな人達が増えていった。Tシャツ姿で歩く自分は明らかに場違いだけどここはまだ街中だ。誰も僕を気に掛けていない。
「式場は……別館なんだ」
事前に調べずにロビーへ向かっていたら何も目的と達成できないまま不審者として通報されていた。
招待状はない。だから、受付を正規のルートで通るのは不可能だ。入口からスタッフがいなくなって、人手が式に集中するタイミングにこそチャンスはある。
「単語帳とか忘れちゃったな」
こういう待ち時間を無駄にしてはいけないのに、家庭教師に怒られる理由が増えてしまった。
アプリを起動してGPSの信号を確認する。このホテルから動いていない。正確な位置まではわからないけど、この敷地内にキーホルダーがあることは間違いなかった。
「……罠じゃないよな」
GPSの存在に気付いた國司田が僕をおびき寄せるためにホテルの従業員を買収しキーホルダーを持たせて、のこのこやってきた僕を通報させる。
刑務所に入れば城ケ崎さんがアパートに逃げこむことはできないし、受験もできず京東大に足を踏み入れることもない。
完全に城ケ崎さんと僕を分断させるためにこれくらいのことは平気でしそうだ。
「きっとここだ。七月七日。金持ちっぽい人が多い。もし勘違いだったら、全力で謝ろう。逃げると罪は重くなる。成人年齢だけど十九歳ならギリギリ名前は報道されないかもしれないし」
確証のない保険を掛けてバクバクと鼓動する心臓を落ち着かせる。時間が進むたびに息が苦しくなっていく。今ならまだ間に合う。遅刻にはなるけど予備校に行けば平穏な日常だ。
大河さんには見放されちゃうかな。結局詳しい事情は話せないから、秘密を隠して期待を裏切って、友情は終わるかもしれない。
「友達に背中を押してもらったんだ」
このまま突き進みさえすれば、どんな結末を迎えても大河さんは友達でいてくれるはず。一緒にカラオケに行く約束もした。
家庭教師を助けられなくても、せめて友達との約束は守ろう。
そろそろ式は始まるだろうか。続々と別館に向かっていった人の流れが落ち着いてきた。
入口にはまだスタッフが立っている。あの人が居なくなったタイミングで、それもドアが閉まる前に忍び込む。
この時点でバレたら終わり。高級ホテルに似つかわしくないTシャツ姿ですでに浮いている。スーツなんて持ってないし、正装らしいものは実家にあるかつての制服くらいだ。
もしあったとしてもそれだけは着てこなかった。僕は庶民としてこの場所に来た。金持ち同士の利権まみれの結婚に一言申すために。時代錯誤も甚だしい。努力して自分を磨き続けてちゃんと自立している娘が、あんなにも嫌がる結婚を押し通す大人達への反抗。
自分の親にも反抗せず、言われた通りに最難関の大学を受験するために浪人している冴えない男が他人様の親に反抗するというのはおかしな話だけど、僕は助けを求められてしまった。
一度助けた手前、見放すのは心が痛む。
あの日、手を伸ばしていなければこんなことにならなかった。こんな自分になっていなかった。
「今だっ!」
受付の片付けが始まった。スタッフが慌ただしく動いている隙を突いてドアをくぐった。物陰に潜みながら移動する様子はまるでスパイだ。
心音が漏れて誰かに気付かれないか不安になると、さらに心臓が激しく動く。
無謀と勇敢は違うと漫画なんかによくあるセリフだ。
今の僕は名前通りの勇気だろうか。そうであってほしい。家庭教師に褒めてもらったこの名前に恥じない行為じゃなかったら、ここに来た意味がないから。
罵声を浴びせられるのもビンタされるのも恐くない。一度経験してしまえばどうってことはない。
明らかに不正なルートだけど、僕は城ケ崎さんの結婚式に出席した。
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