第39話 決戦前

 梅雨らしい長雨と真夏みたいな猛暑を繰り返しながら季節は進み、気付けば七月六日。七夕を控える街はフリーの短冊が置かれていて子供達のお願いごとに混じって切実な願望も垂れ下がっていた。


「今週末はついに模試ですね」


「そうだね。はぁ、E判定だったらどうしよう」


 京東大に合格したい!


 僕らが書くとしたら間違いなくこうなる。浪人生として当たり前過ぎて、そして二人で仲良く短冊を書く姿は周りからカップルのように見られてしまいそうでついに誘うことなく今日に至ってしまった。

 大河さんも七夕にはあまり興味がないのかそういうお誘いは一切ない。


「大丈夫ですよ亀田くんなら。それに今A判定だったらずっとキープする方が大変じゃないですか? すぐにでもテストを受けて合格したいー! ってなりそうです」


「たしかに。ほどほどにC判定くらいがちょうど良いのかも。ま、その判定を取られるかが問題なんだけどさ……」


「どんな結果だとしてもカラオケで発散しましょう! わたしはそれが楽しみで最近は頑張ってます」


 気温は三十度近いのに大河さんは相変わらず長袖を着ている。萌え袖は非常に可愛いと思う一方で、熱中症にならないか心配になる。

 予備校のエアコンはちょっと効きすぎなところがあるとは言え、それなら一枚羽織ればいいだけだ。


 本当に冷え性で今も涼しく感じているのだとしたら、夏は羨ましいけど冬は凍死するんじゃないだろか。


「ところで亀田くん」


「うん?」


「最近、また悩んでませんか?」


「え……そんなことはな…………あります」


 友達にウソをつきたくなかった。詳細は話せなくても悩んでいるという事実だけは伝えたい。今週末の模試を乗り越えてカラオケを楽しむためには絶対に必要な過程だと思った。


「わたしでよければ話を聞きますよ。もちろん、勉強の負担にならない範囲で」


 適切な距離感が本当に助かる。うっかり惚れてしまうこともない、あくまでも勉強第一の姿勢で接してくれる最高の友達だ。

 ファストフード店にでも入ってゆっくりという感じではなく、駅までの数分間で心が少しでも軽くなればいい。


「実は、明日が結婚式なんですよ。家庭教師の」


「えぇ!? 以前から結婚が決まってたとかですか? 早すぎません?」


「婚約自体はしてたので前々からと言えばそうだし、違うと言えば違うし……別に恋愛感情とかはないんですけど本人が置き去りにされてるみたいでモヤモヤするなって」


「その家庭教師さんは結婚したくないんですか?」


 僕は小さく頷いた。本人が望まない結婚を見逃している罪悪感がそうさせた。だけど僕には何もできないのも事実。勝手に罪悪感を覚えているだけで城ケ崎さんは僕を責めていないかもしれない。


「望まない結婚に王子様が現れたら、わたしだったら嬉しいな~」


「僕は王子様ってガラじゃないよ。それに式の場所もわからないし」


「わかってたら行ってるみたいな口ぶりですよ?」


「そんなことする風に見える? 浪人生が家庭教師の結婚を阻止しに行くって予備校で伝説になりそう」


「きっと亀田くんがお休みしてるのに気が付くのはわたしだけですよ。予備校生は周りのことなんてそんなに気にしてません」


 半分正解で半分不正解だと思った。僕みたいなやつが休んでも誰も気にしない。でも大河さんはどうだろう。きっかけさえあればお近づきになろうとしている雰囲気の男は何人かいる。

 恋愛に現を抜かしてライバルが減る分には構わないけど、一人二人減ったくらいで京東大の倍率は大きく変わらない。


 それに大河さんを生贄みたいにしてライバルが減ったとしても、それこそ罪悪感に押し潰されそうになりそうだ。


 もうすぐ駅に着く。大河さんとはここでお別れだ。また半日後にここで待ち合わせして勉強漬けの一日が始まる。授業を受けている間に式が終わって、僕らは模試に挑む。


 城ケ崎さんが二年前に通った道を僕は追い掛ける。その間に彼女は京東大に通いながらも僕と全く違う道を進む。これこそ運命だ。本来あるべき姿に戻っただけ。


「一日休んだくらいで落ちる人は、何をやっても受かりませんよ」


「え? 急にどうしたの?」


「このままだと亀田くんの模試がボロボロになりそうだったので鼓舞してみました。えへへへ。効きました?」


「鼓舞だったの? 煽られてるように聞こえたけど」


「似たようなものです。家庭教師さんみたいにできる自信はないですけど、一日分くらいならわたしが教えてあげます。あーあ、カラオケが勉強会になっちゃうな~」


「いや、カラオケは歌うところで勉強するところじゃ……」


 比較的安価で個室を確保できると考えると勉強に使うのも悪くないな。


「なんか明日休む前提が話を進めてない?」


「お休みしないんですか? 家庭教師さんのために」


「休んだら怒られるよ。予備校休んでなにしてるんだって。僕ができる恩返しは京東大に合格することなんだから」


「絶対に後悔しませんか? わたし達が授業を受けてる間に式が進んでいって、家庭教師さんが誓いのキスをするんですよ」


「それは……」


 城ケ崎さんとはキスをするような仲じゃない。過去に他の男とも付き合ってきて、男女の関係だって経験済み。キスするくらいで僕が文句を言う筋合いはない。相手が國司田という点を除けば……。


「もしかして亀田くんもお相手の男性が嫌いだったり? えへへへ。三角関係だ」


「なんか楽しんでない?」


「浪人中に恋バナに花を咲かせるなんて思っていませんでしたから」


「恋バナでもないんだけどな」


「とにかく、明日は一人で予備校に行きますからわたしのことは気にしなくて大丈夫ですよ。模試の前に何をすべきか、よく考えてみてください」


「大河さん……」


 模試という決戦の前に僕がすべきこと。それは……。


「僕は休まないよ。式場もわからないしさ」


 この言葉が耳に入っていないかのように大河さんはちょこちょこと階段を上って行ってしまった。明日、予備校で顔を合わせるのがちょっと気まずい。

 もし嫌われてしまってもぼっちの浪人生活に戻るだけ。数々の出会いがあったけど全部が奇跡みたいなものだったんだ。

 運を使うなら入試本番にしたいところだったけど、これからまた少しずつ運を貯めておこう。


「ん?」


 一通のメールが届いた。家族以外には教えていないし、いろいろな登録もSNSのアカウントで認証しているから迷惑メールも届かない。心当たりがあるとすればGPSアプリだった。


 アプリ自体は削除しても登録情報はきちんと消えていなかったらしい。電池がもうすぐなくなりそうと伝えてくれたのは、たぶんアプリを消して通知が届いていないからだ。


「一旦アプリを入れ直すか」


 これからもメールが届くようだと鬱陶しい。まだパスワードを把握しているうちに全部の情報を削除してしまおう。

 どこか遠くに消えてしまった鍵に想いを馳せながら帰りの電車に揺られた。


 単語帳を開くのを忘れていたことに気付いたのは、降りる時だった。

 

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