第38話 学生結婚

 あれから一週間が経過していた。國司田や鶴蔵さんが再度訪ねてくることもなく、合鍵も無事に作り終えて元の生活に戻っていた。

 一つ気がかりなのは残されたキャリーケースだ。どうも粗大ゴミとして処分する必要があるみたいで役所でシールを買わないといけないらしい。


 平日と土曜日は予備校なので役所に行く時間が取れない。ちょっと邪魔だけど部屋の隅に置いておくことにした。


「受験が終わったら捨てよう」


 すでに物を限界まで詰めてガムテープでぐるぐる巻きにしてある。もしかしたら城ケ崎さんがまた来るかもという幻想は捨てて、タイミングさえ合えばいつでも処分できる状態だ。


『続いてのニュースです。國司田グループ社長の國司田礼恩さんが城ケ崎グループ一人娘である美鶴さんと結婚することは先日お伝えしましたが、七月七日に式を挙げると発表しました。美鶴さんは現役京東大生で学生結婚ということになります』


「は?」


 結婚する未来はそう簡単には変えられない。大学にもこれまで通り通うと言っていた。ウソはついていない。でも、もう挙式だなんて城ケ崎さんの逃げ道が防がれるてるじゃないか。


 スマホでカレンダーを確認すると七月七日は金曜日。大企業の社長が平日に結婚式なんてやってる場合なのかとツッコミを入れたくなるし、城ケ崎さんだって大学の授業があるんじゃないのか。


 一日くらい欠席しても平気そうだとしても、相手の都合を考えずに自分のやりたいことを押し通すわがままぶりとその力強さに腹が立った。


「まさか辞めたりしないよな」


 結婚して家庭に入るから大学の授業はもう関係ない。本人の意思を無視した結婚ならその可能性も捨てきれない。テレビではそのあたりを詳しく報道していなかったので検索をかける。

 

 もうこの件については自分で調べないと決めたのにあっさりと破ってしまう心の弱さがイヤになる。救いの手を差し伸べなかった僕がこんな風にスマホとにらめっこしても彼女は救われないというのに。


「本当に日本の経済が動くんだ」


 ざっと検索した結果、二人の結婚による経済効果を解説する記事も何件かヒットした。欲しい情報ではないのでタイトルだけ見てスルーしたけど、この結婚によって救われる社員が大勢いるらしい。


 たぶんその大勢の中に僕の両親も含まれている。こうして一人暮らしをしながら浪人生活を送れているのも巡り巡っていけばこの結婚のおかげということになる。


「マジか!」


 城ケ崎グループの令嬢・結婚しても大学は卒業まで


 タイトルが目に入った時点で心がスッと軽くなった。念のため記事を最後まで読むと、タイトルに偽りなく妻の美鶴は京東大を正規の課程で卒業すると書かれている。


 まるで不正な課程があるみたいな書き方にモヤっともしたけど、ひとまず来年の春に合格すれば京東大のキャンパスでお礼を言える。僕がやるべきことは何も変わらない。


「城ケ崎さんのコメントもある」


 記事には続きがあって二ページに進むと取り繕った笑顔の城ケ崎さんの写真と共に短いコメントが掲載されていた。

 たったこれだけでもクリック一回分を稼いだことになるんだからせこいやり方だと思う。


「…………なんだよこれ」


 たくさんの人に祝福されてすごく

 すごく幸せです。私は、まだまだ

 結婚なんてずっと先のことだと思っ

 ていたので礼恩さんの決断には驚きました。


 写真が挿入されているせいで文が変なところで改行されていた。コメント欄にも気付いた人はいるみたいだ。『結』の部分を『け』と読む派とたまたま縦読みに解釈できるだけで深い意味はない派に分かれて勝手に論争を繰り広げている。


 ここに写真を入れるかどうか記事を書く人のさじ加減だし、それを計算して縦読みを仕込むなんていくら城ケ崎さんでも不可能だ。


 これは偶然。あの時の『助けて』が耳にこびりついているからそんな風に見えるだけだ。自分に言い聞かせて問題集を開いても内容が全く頭に入ってこない。


 僕が城ケ崎さんに会うのは来年の春。そして、それが最後になる。

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