第36話 助けて
「騒ぐと思うが構わず連れていってくれ」
「承知しました」
「ちょっ! 離しなさいよ! こんなの警察に通報すれば一発で」
「私が何の根回しもしてないと思うかね? 礼恩くんから聞いているよ。ここの住人は話がわかる相手だ、と」
城ケ崎さんが大声を上げながら腕を大きく振り回しているにも関わらず隣のサラリーマンも大家さんも部屋から出てくる様子はない。トラブルに巻き込まれたくないという心理は僕だってあるから気持ちはわかるけど、チラリとも様子を見ないのは本当に根回しされているからだと確信した。
「体がデカいだけでどうせたいしたことないんでしょ! ふんっ! えいっ!」
大男の胸やお腹をグーで叩いても一切リアクションがない。まるでダメージが入っていない。毎日ジョギングしたり筋トレをしている程度では敵わない戦うための筋肉。その実力を見せつけられている。
「勇気、助けて! あの日みたいに」
「できないよね? ご両親が解雇されれば受験どころではなくなってしまう。私はね、キミの受験を邪魔したいわけじゃないんだ。むしろ婚約者がいる女性と同居する方が勉強の妨げだろう? 娘も大学を辞めるわけじゃない。合格すればまた会えるんだ。それを励みに頑張ってくれたまえ」
「…………はい」
「もっと抵抗されるかと思っていたが聞き分けがいいじゃないか。なるほど。たしかに婿に来てもらうのも悪くない」
「パパ!」
「だがね亀田くん。キミに何がある? 京東大生でもない。親はうちの社員で明らかに資産は少ない。このSP達に勝てる身体能力もなければ頼れる人脈もない。親としてはね、礼恩くんと結婚するのが幸せと判断するよ」
「だから私がイヤだって言ってるじゃない! このまま無理矢理連れていったら今度こそ本当に死んでやる! 止められるのは勇気だけよ! 私は勇気と一緒じゃないと死ぬ!」
「それができないようにすることも可能なんだよ。何と言っても國司田グループと合併して経営は持ち直すからね。いくらでもお金を掛けて思い通りにすることができる。美鶴がどんなに反抗しようが痛くも痒くもない。もう以前の私ではないのだよ」
城ケ崎さんは両腕をがっちりと押さえられてもはや抵抗することもできない。口を塞がれていないだけまだ人道的と言えるけど、身動きすら取れない状態になっていた。
「お荷物はこちらで回収しましょうか?」
「結構だ。また新しい物を買えばいい。それに、美鶴の思い出を残してやるのも優しさではないかね。娘にどんな感情を抱いても二度と届かないことを認識させるにはちょうどいいだろう」
「勇気! 警察を呼んで! いくらパパでも警察にまで根回しはできない! そしたら……」
僕は首を横に振った。警察を呼べば一時的な解決になると思う。だけど、こいつらはきっとまたやって来る。一生逃げ続けることはできないし、僕が城ケ崎さんをここに留まらせるだけの明確な理由がない。
事情を整理すれば城ケ崎さんが國司田の元に行くのが正しいと第三者に太鼓判を押されてしまうのは明白だ。
「賢明な判断だ。娘との関係を公にはできないからキミのご両親の待遇を良くすることはできないが、将来は安泰だと約束しよう。浪人生活が終わってもここでの一人暮らしは続くだろうから経済的な支援は必要だろうしね」
「………………」
「さて、行こうか。悪いね亀田くん。貴重な朝の時間を。これからも受験勉強に励んでくれたまえ」
「勇気!! お願い!!! あの日みたいに!!!!」
羽交い絞めにするならいっそ口も塞いでほしい。城ケ崎さんの言葉が僕の心をグサグサと突き刺す。悪いことは何もしていない。むしろこうなることが正しいはずなのに罪悪感に押し潰されそうなる。
ズルズルと引きずられながら城ケ崎さんは叫び続ける。自らの意思で旅立った時は大雨だったくせに、今日はスッキリとした快晴だ。
湿っぽい雰囲気になるよりずっと良い。そもそもこの数日はイレギュラーなものだったんだ。本来ならもう城ケ崎さんはこの部屋に来ないはずだった。
それに本人も言っていたじゃないか。『何日かここに泊めて』と。その何日かが今日で終わったに過ぎない。
大学も辞めないみたいだし、来年の四月には京東大のキャンパスで合格報告しないとな!
大丈夫。モチベーションはちゃんと維持できる。目標に変更はない。僕はただの浪人生で、社長令嬢と結婚できる人間じゃないんだ。
だからお願いです。僕に助けを求めないでください。幸せを願っています。
少しずつ遠くなっていく城ケ崎さんの声を拒絶するように玄関を閉めた。残されたキャリーケースに詰められるだけ彼女の私物を詰めてガムテープを巻く。どのゴミの日に出せばいいのかは後で確認しよう。
もうこの部屋に家庭教師の物を置いておく必要はない。今度こそ、絶対に。
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