第33話 相応しい男

「まったく、何がキミに相応しい男よ。京東大を出てスポーツで好成績を残して仕事で結果を出しても人間性がダメ。人間性が」


「まあまあ落ち着いて。朝早いし」


「……そうね。壁が薄いものね」


 素直に声のボリュームを落としてくれるのはありがたいけど一言多い。事実だから何も言い返せないのが情けないところだ。


「ごめん。お客さんのお茶とか用意してなくて」


「いいのよ。浪人生が部屋に友達を招いてパーティなんてありえないんだから」


 節約のために飲み物は水しか飲んでいない。野菜ジュースをサラダ代わりにしていた時期もあったけど、城ケ崎さんと生活していた二週間で考えを改めた。野菜はちゃんと野菜として食べた方がいい。


 そうなると飲み物はシンプルな水に落ち着いて、結果ペットボトルが一本もない冷蔵庫ができあがった。


「まだトレーニングも続けてるの?」


「最近はずっと雨で走ってはないですけど筋トレは。やっぱり受験は体力勝負だなって」


「いい心掛けじゃない。私のアドバイスを素直に受け入れたのは勇気が初めてよ」


「そうなんですか? 目の前に効果を実証した良い見本がいるんだからみんなマネしそうなものですけど」


「努力し続けるのも一つの才能なの。走りに行けないから代わりに勉強してたんでしょう? 家庭教師がいなくても大丈夫そうね」


「そんなことは……!」


 ないと言ってしまったら城ケ崎さんに依存しているみたいだと気付いて言葉に詰まってしまう。

 実際、成績は伸び悩んでいるから家庭教師は必要だし、食事に関しては一人暮らし初期よりはマシになっているとはいえ質は落ちている。


 だけど、また城ケ崎さんがこの部屋で暮らすとなれば家賃問題が再燃する。しかもニュースで大々的に報じられた結婚だ。実質人妻が浪人生の部屋に入り浸っているなんて世間が喜びそうなスキャンダルだ。


「それで勇気、家出の件なんだけど」


「この部屋はダメです。前にも言ったじゃないですか」


 喉は乾いていた。この一言を水で流しこんでしまわないように、暑さと乾きに耐えながら話を進める。こんな風に忍耐力が付いたのは城ケ崎さんのおかげだ。


「まだ何も言ってないじゃない」


「家出をしてわざわざここに来るってことはそういうことでしょう? どんなに察しが悪い人でも気付きますって」


「私の教育の成果が仇となったわね」


 キャリーケースは部屋の中に運ばれていてすぐにでも荷ほどきしそうな雰囲気だ。大学は高校までと違って休んだところで保護者に連絡が行くことはないらしい。一日休むとどれくらい授業に置いていかれるのか全く想像できないけど、城ケ崎さんならそれくらいのハンデは余裕で乗り越えられそうだ。


 スペックが高いゆえに多少の無理も我がままも押し通せる。僕にはできない芸当だから羨ましい。


「まあ、私だって学習してるわ。何日かでいいから泊めて。要望があれば家庭教師もするし、食事だって用意するから」


「本当に数日ですよ? お金があるならちゃんとホテルにでも」


「ええ、勇気が本気で京東大を目指してるってわかったから、邪魔になるようなことはしたくない。でもあれね、縦読みで私を励ましてるつもりだったのかしら?」


「ちゃんと届いたんだ」


「処分されそうだったのをこっそり拾ったのよ。私宛に手紙を出す亀田勇気なんて勇気しかいないから」


「あ……やっぱり処分されるんだ」


「会社宛じゃあね。ま、他に宛先もわからないから仕方ないけど」


「だって城ケ崎さんの連絡先知らないから」


「そうね。でも、今はまだ教えられない。恩を仇で返すみたいで申し訳ないんだけど、このスマホだってきっと……」


 國司田グループくらい大きな企業なら他人のスマホをハッキングしてGPSを設定するくらい簡単にできそうだ。それが非人道的な行為だとしても、國司田が『妻が心配で……』なんてお芝居をすれば周りはコロッと信じてしまう。


 外面の良さと財力を平気で悪用できるのがあの男だ。きっと、被害に遭った人にしか伝わらない。対面してようやく城ケ崎さんの辛さを理解できた。


「それじゃあ家出したってすぐに捕まるんじゃ」


「どうかしらね。この部屋に居るってわかっていながらずっと放置してたし、私自身に興味はないのよ。世界に目を向ければ私と同じくらい美人で、あの男に従順な女性だっているはずよ。たまたまパパの会社が倒れかけていたから都合が良かっただけで……」


「会社の都合で娘の人生を売るなんて、そんな」


「だから家出したの。別にパパの会社が潰れても私は生きていける。働いてる皆さんには申し訳ないけど、別に私が雇ってるわけじゃない」


「ですね。会社の問題は社長が解決すべきで、娘に押し付ける話じゃないです」


「わかってるじゃない。私に相応しい男なだけあるわ」


「相応しいかどうかはわからないですけどね。スペックだけなら國司田の方が」


「そんなものは後からいくらでも付いてくるわ。三つ子の魂百までって言うでしょ? あんな傲慢な性格、地獄に堕ちて生まれ変わっても直らないわ」


 僕がコップに注いだのは水道水のはずなのに城ケ崎さんのボルテージはどんどん上がっていく。蛇口からお酒が出たわけでもないのに、こんなに愚痴をこぼすのは初めてだ。


 結婚発表があってからよっぽど鬱憤が溜まっていたらしい。僕が大河さんと友達になって心が軽くなったように、城ケ崎さんにもこういう場が必要なんだ。


 きっと大学の友達からは玉の輿に乗った勝ち組みたいな扱いを受けて、愚痴をこぼそうものならやっかまれるに違いない。世間一般の感覚で言えば國司田は超優良物件だから。


「勇気、そろそろ出発の時間よ。今日は荷ほどきでずっと居るから戸締りの心配はしなくていいわ」


「もう決定なんですね」


「当たり前じゃない。他に行く当てもないんだから」


 大学の友達の家でもホテルでもどこへでも行けそうなのに、僕だけが頼りなんて言われたら嬉しくなってしまう。自己肯定感が低い人生を送ってきた悪影響だ。

 城ケ崎さんに留守を任せること自体は特に心配ない。


 だけど、もしかしたら彼女が知らない事実がある。國司田と城ケ崎さんの関係があまり良好ではないのならコミュニケーションも薄いはず。

 僕の口からこれだけは先に伝えておかなければならない。

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