第27話 友達だから

 大河さんから連絡が来たおかげで一時限目の授業にはちゃんと間に合った。まずは駅で待たせたことを謝ろうと思ったけど自習室にはもう姿はなく教室のいつもの席で自習していた。


 一緒に予備校に来て、それぞれ自習して授業を受けて、帰りはまた一緒に駅まで歩く。不思議な友情関係は絶妙な距離感のまま保たれていた。

 勉強に支障が出ない程度に会話をしてお互いのストレスを発散する、予備校の友達らしい友達だと思う。


 一日の中で関わる時間は少ないけどよそよそしい感じはなく、模試が終わったあとのカラオケは楽しみだったりする。


 軽く頬を叩いて気合を入れた。城ケ崎さんが結婚するのは前から知っていたことだ。縁談が丸く収まったのなら良いじゃないか。文字通り死ぬほど嫌いな相手だったけど改めて話し合ったら良い人だったのかもしれない。


 まずは僕自身が京東大に合格しないと大学でお礼も言えないんだ。いつも以上に気合を入れて臨んだ授業は午前のコマがあっという間に終わった。うん。記憶に何も残ってないね。


「おはようございます。もうお昼ですけど」


「え? あ、おはよう」


 反射的におはようと返してしまったけど大河さんの言う通りもうこんにちはの時間だ。思考が止まって正しい言葉の選択ができなくなっていた。


「ごめん。今日は寝坊しちゃって」


「そんな日もありますよ。でも、良かったです。体調不良とかじゃなくて」


 教室の冷房はやや強めに設定されているせいか女子は長袖だったり半袖の上にカーディガンを羽織っている人が多い。大河さんも例にもれず白いブラウスの上に桜色のカーディガンを合わせていた。


 けばけばした中学生よりもずっと若く見えるその清楚な出で立ちは男子の注目を集めている。なんであんな冴えないやつと? そんな心の声がグサグサと突き刺さるのを感じていた。


「寝坊なんて珍しいですね。いつも八時に自習室に来ていたのに」


「ああ、うん。ちょっと気合い入れて遅くまで勉強してたから」


「……嘘、ですよね? なんとなくわかります。早起きの週間ってそう簡単に抜けないですから。疲れていても勝手に目が覚めるものです。あの、隣いいですか?」


「え、あ、うん。どうぞ」


 隣のイスから荷物をどかして座れるように片付けると、木の実を持つリスみたいにアンパンを両手に抱えた大河さんが腰を下ろした。

 こんな風に昼休みの時間を一緒に過ごしているとまるで青春だ。受験のことで頭がいっぱいの浪人生ではなくて高校時代に体験したかった。


「何かあったんですか? 今日の亀田くん、なんだかボーっとしています」


「そうかな? いつもこんな感じだよ」


「むーっ」


 つぶらな瞳でじっと見つめられるとなんだか恥ずかしい。ただの友達なのにその先を予感させるような純粋な眼差しは刺激が強すぎる。


「実はさ……」


「やっぱり嘘だったんですね。見損ないました」


「いやいや、別に嘘をついてたわけじゃ」


「モノマネ」


「へ?」


「今度行くカラオケでモノマネしてください。それで許します」


「お、おう……」


 それで許してくれるのなら安いものだ。レパートリーは全くないから何か練習しておかないと。さすがの家庭教師もモノマネまでは教えてくれなかった。


「実は前に話した家庭教師が結婚したんだ。知ってる人が結婚するのって初めてでさ、なんか気になっちゃって」


「なるほど。その家庭教師のことが好きだったんですね」


「……違いますけど?」


「一瞬だけど間がありました。本当に好きじゃないならすぐに否定したはずです。相手は優秀な家庭教師、自分は浪人生。これも一つの身分格差ですよね」


 うんうんと一人で勝手に納得して頷いている。城ケ崎さんと同じでこういうモードに入った人を説得してもなかなか聞き入れてもらえない。自分の考えが正しいと信じている人を否定するとそこから関係がこじれてしまう。


 せっかく生まれた友情を壊さないために大河さんの誤解はそのままにしておくことにした。


「まあ、そういうことにしておいてよ。家庭教師は無事に結婚したし、これからはますます勉強に集中しないと」


「偉いです! 失恋にもめげず気持ちを切り替えて勉強に没頭できるなんて! わたしなら半年くらい落ち込んで気付けば受験本番です」


「さすがにそれは引きずり過ぎでは? 浪人生じゃないなら別にいいだろうけど」


「えへへ。そうですよね」


 頬をぽりぽりとかいて照れ隠しをするようにアンパンにかじりついた。こんなに可愛い女の子ならこの中の誰かが突然告白してもおかしくない。自分も同じ浪人生であることを忘れて恋愛に走りそうなチャラい男が何人かいるのは事実だ。


「それで、わたしはどうですか?」


「え?」


 恋焦がれていた家庭教師が他の男と結婚したからわたしはどうですかってこと!? 僕があまりにも奥手なだけで世間ではこんな風に軽率に次の恋に走るものなのか!?


 あまりに経験がなさ過ぎて、周りにも彼女持ちがいなかったら恋愛情報にも疎くて大河さんの言葉の真意を測りかねる。


 唐突な告白とも取れる言葉を放った当の本人は、照れ隠しなのかアンパンをもぐもぐと咀嚼しながら遠くを見つめていた。僕がリアクションしなければこの時間は動かない。


 大河さんは間違いなく可愛い。だけど僕らは浪人生。お互いに合格したあとなら即決で告白を受け入れられるのに……そうだ! お互いに合格したら付き合おう。それが無難だし、モチベーションになる。


「あのさ、僕らは浪人生だから……」「わたしは悩みを打ち明ける友達になれますか? 亀田くんの心を軽くできましたか?」


「え? あ、うん」


「よかった。いつもわたしの愚痴を聞いてもらっているので。こんな風にお互いにスッキリできたら浪人生活も乗り切れそうです。わたし達、友達だから」


 お腹も満たされてものすごく爽やかな表情を浮かべて立ち上がった。もう用事は済んだと言わんばかりにちょこちょことリスみたいに自分の席へと戻っていく。


 わたし達、友達だから。


 まるで念を押すようにしてこの言葉を残していった。

 そう、これでいい。僕らは友達だから恋愛感情は一切ない!


 京東大という難関を乗り越えるために一緒に頑張ろうと誓った友達なんだ!


 たしかに心は軽くなった。変に大河さんを意識することはきっともうないから。早めに勘違いを解いてくれる最高の友達だ。

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