第26話 大ニュース
家庭教師が去ってから二週間が経過していた。あの日曜日に降った豪雨からはカラカラの晴天が続いて結局梅雨入りは見送られている。
窓から朝陽が差し込んで半ば強制的に目が覚めて、せっかく習慣化してきたのだからとジョギングは続けている。さすがに城ケ崎さんと同じ距離を毎日走るのは厳しいのでコースはだいぶ短くしてるけど、なんの運動もしていないよりかはマシだと信じている。
朝食はコンビニのおにぎりに戻った。今から料理を勉強するには時間が掛かり過ぎるし、一人前だけを作るとなるとコスパが悪いらしい。作り置きをするにも保存が利くレシピを選ばないといけないのでそれも手間だ。
時間を有効活用するために多少割高でもコンビニを利用させてもらっている。一人暮らしを始めた時は自分がこんな思考になるなんて思ってもみなかった。
「ニュースもチェックしないとな」
特に共通テストでは時事ネタを使った問題が出ると予備校からも家庭教師からも言われていた。ニュースを見たくらいで解ける代物ではないとこの身を以て知っているんだけど、それはニュースに関心を持っていないからだと怒られた。
「って言っても、政経は受けないしなぁ」
数学に時事問題が出るとは思えないし、現代文だってそこまで新しい文章が使われるわけじゃない。古文・漢文なんていつの時代の話だ。それでもなんとなくチェックしておかないとマズい気がしてくるのは家庭教師による教育の賜物だろう。
体力作りや勉強法を実践して結果を出しているからこそ説得力がある。
『続いてはおめでたいニュースです』
芸能人の結婚や妊娠か? たしかにめでたい話だ。でもそれをわざわざ全国で放送するのはどうなんだと小さい頃から思っている。芸能人が結婚したところで僕とは何の接点もないからご祝儀を送ることもない。そもそもお祝いを贈る間柄なら本人から直接連絡が来る。
ほとんどの人にとって無関係とも言える結婚をニュースとして扱いだしたのは一体どこの誰なんだ。
自分だったら知らない人に祝われるくらいならそっとしておいてほしいという小さな願望だ。僕の結婚がテレビで報じられることなんて絶対ないんだから。
『國司田グループの社長である國司田礼恩氏が婚約を発表しました。お相手はあの城ケ崎グループの一人娘、城ケ崎美鶴さんということで経済界の大物カップル誕生に株価も急上昇しています』
「……城ケ崎? 美鶴って、たしか城ケ崎さんも美鶴って名乗っていたような」
美しい鶴と書いて美鶴。その名前に恥じない美しさを持つ彼女が城ケ崎グループの一人娘?
株でお金を稼ぐにしても元手は必要だ。父親は仕事で忙しくて、娘のための出費は惜しまなかった。
自分を磨きに磨いて常に堂々としていて、お金だってたくさんあるのに経営者目線で節約も考えていた城ケ崎さん。社長令嬢と言われてもすんなりと納得できる。
「ネットなら写真も出てるから」
今テレビに映し出されたのは結婚相手である國司田グループの社長だけ。肝心の結婚相手の顔は特に報じられていなかった。
二週間も同じ部屋で寝食を共にしたのに僕らは連絡先を交換していない。僕は一週間くらいでお別れだと思っていたし、彼女の方からも特に連絡先を聞いてくることはなかった。
特に不便なことはなかったし、この部屋から出ていくと決まったあとに連絡先をこちらから尋ねるのは未練があるみたいで恥ずかしかった。京東大に入ればそのうち会えると高を括っていたのが間違いだったかもしれない。
本人に直接聞けば一発で正解を引き当てられるのに、それができないもどかしさはテスト本番に似ている。
家で問題を解いている時はすぐに解答を見ることができるけど、本番ではそんなことはできない。すぐに合っているか間違っているかを確認できないストレスにも耐性を付けないと受験は乗り切れないそうだ。
「まあ、スマホで調べるのも大差ないか」
本人に聞いても答えてくれるかはわからない。そろそろ出発の時間だというのにネットで國司田グループの結婚報道について調べているあたりは家庭教師の教育の成果が出ていないと思った。
「おっ!」
同じような見出しの記事がいくつもあって内容もあまり変わらない。だけど一つだけ城ケ崎グループの一人娘の顔写真を掲載しているものがあった。
件の國司田グループの社長は証明写真みたいな正面からの画像なのに対し、結婚相手の方は盗撮みたいな写真だ。
おそらく京東大の敷地内で知らない女性、おそらく大学の同級生と談笑している。
「なんかクールに笑ってんな」
笑顔は笑顔なんだけどどこか澄ましているというか、心の中にある余裕を表情に出すことでアピールしているような違和感のある笑顔だった。
パッと思い浮かべる社長令嬢のイメージを崩さない姿ではあるけど、駅のホームやこの部屋で見せた自信に溢れる堂々とした姿とはまた違った印象だ。
「うわっ! いろいろ書いてある」
京東大に現役合格したことやスポーツや家事も得意なこと。自分の学費や生活費は株で稼いで自立していることが当然のように掲載されている。城ケ崎さんが自分でペラペラと喋ったとは思えない。
どこからか情報が漏れているとしか考えられなくて背筋に悪寒が走った。
「僕のことは書かれてないよな……」
結婚相手が僕の知る城ケ崎さんかどうかを知りたかっただけなのに記事を最初から最後まで読んでしまった。顔写真が載っていなかった記事にも念のため目を通して、婚約者とは違う男と同居生活を送っていたことが書かれていないか確かめる。
最近は勉強に集中できるようになっているけど、時間の経過を忘れるくらい没頭したのは久しぶりだ。
僕が調べた限りではこの部屋で家庭教師をしていたことはどの記事にも載っていない。この二週間で怪しい人に付きまとわれた感覚はなかったし、写真を撮られた覚えもない。
自分の行動が全国デビューしなかったことと、なにより城ケ崎さんの結婚を妨害するようなことにならなくてホッと胸を撫で下ろした。
「ん?」
―亀田くん、今どこですか?
通知音と共にスマホの上部に表示された短いメッセージ。
この僕に唯一と言っていい連絡をくれる大河さんからのものだった。
ネットニュースを見るのに夢中になっていたすでに八時を回っていることに気付いていなかった。
「やばっ!」
今からゆっくり家を出ても授業には余裕で間に合う。だけど予備校でできた友達を結構な時間待たせてしまっている。本当だったらもう自習室に入っている時間だ。
―ごめん。寝坊した。先に行ってて。
謝罪と理由と対応。
この三つを簡潔にまとめて送信した。駅で待ち合わせしながら単語帳を見るよりも、自習室で腰を据えて問題を解いた方が勉強になる。
単語帳なんていうのはあくまで隙間時間を有効に使うためのものでメインの武器ではない。
受験生の大切な時間を奪ってしまったことに罪悪感を覚えてしまう。
「気になるけど後にしよう」
もし大河さんと友達になっていなかったらいつまでもニュースを見ていたと思うもう僕の家庭教師ではないけど恩人ではある。最初は僕が命の恩人だったはずなのにおかしな話だ。
でも、大学生のうちに結婚発表なんて……まさか辞めたりしないよな。
後にしようと決めたはずなのに心のざわつきは収まらない。一通り目を通して城ケ崎さんの大学生活については特に触れられていなかった。
僕と彼女の繋がりはもう最難関大学だけだ。僕が合格しても、城ケ崎さんが退学していたら絶対に会うことはできない。
「婚約発表しただけで、結婚は卒業してからとかだよな」
学生結婚という選択肢だってある。結婚してすぐに妊娠するわけでもない。城ケ崎さんは自分で学費も稼いでいるんだ。辞めさせる権利なんて誰にもない。
僕は城ケ崎さんにお礼を言うために合格する。この柱は絶対に折れてはいけないし、誰にも折らせない。折らないでほしい。
そう願いながら、僕は予備校へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。