第24話 お別れ

「ずいぶんと親しそうだったわね。予備校の友達?」


「まあ、そんなところです」


「京東大を目指す浪人生がナンパしてるなんてずいぶんと余裕なのね」


「そんなんじゃないって。向こうから声を掛けてきたんだ。急に成績が伸びてますねって」


「つまり私のおかげってことね」


 結婚は城ケ崎さんが勝手に言ってるだけで僕らは別に付き合っているわけじゃない。今の関係を表現するのに一番近い言葉はルームシェアだ。契約上は僕の部屋に泊まっている形ではあるけど同棲ではない。


「昨日も言いましたけど成績が伸びたのは城ケ崎さんのおかげです。朝の目覚めも良くなりました」


「私が指導してるんだから当然よ。でも、そうよね。あの大家さんに嘘をつき続けるのは心が痛むわ。今日は連泊できそうなホテルを探していたの。この辺はさすがに料金が高いわね。電車賃も計算していろいろ考えてしまったわ」


「ホテル代も節約の対象なんですね」


「自炊もできなくなるからね。さすがに高級ホテルで何日も過ごせるほど稼いでないわ」


「大学生でホテル暮らしできるだけでも十分すごいですよ」


 もう自立していると言っても差し支えない。保証人さえどうにかなれば自分で部屋だって借りられそうだ。いっそ完全に親元を離れる選択肢だってあるのに、それをしないのにはなにか事情があるのかもしれない。


「それで、あの子は恋人候補なの?」


「違いますよ。男女が一緒に居るだけで恋人なら城ケ崎さんは今頃何股にもなってるんじゃないですか?」


「そ、そうね。きっと大変なことになってるわ。私のこは良いのよ。勇気こそ二股をかける甲斐性があるなんて驚きだわ」


「二股も何も付き合ってないでしょう。付き合ってもないのに一つ屋根の下で生活するってすごい体験ですよ」


「滅多にない経験を与えた私に感謝するのね」


「勉強と体力作りと食事に関しては本当に感謝してます。でも家賃問題でモヤモヤしてるのでそこはマイナスさせてください」


 帰宅ラッシュの時間帯で駅はそれなりに人が多い。雑踏の中での会話は少し声を張るせいで感情が込められる。感謝したい気持ちと文句を言いたい気持ち。その両方を発散できた気がして階段を上る足取りも軽かった。


「毎日使ってるのに、夕方に二人でってなると懐かしいわね」


「あまり良い思い出じゃないですけどね。僕はビンタされてるし」


「私の覚悟を邪魔したんだから当然の報いよ。一発で済ませた私の寛大な心に感謝するのね」


「攻撃した方が上から目線ってすごいな……」


「そんな風に悪態を付く勇気もなかなかのものよ。たいていの男は私に媚びを売って反論しないんだから」


「僕は城ケ崎さんに対して下心がありませんから。いきなりビンタする女を好きになると思います?」


「最悪の出会いから大恋愛に発展するのは少女漫画の王道よ?」


「残念ながら僕は少女漫画に登場する王子様タイプではないので当てはまらないですね」


「平凡な男が王子様になっていくのも王道だわ。王道こそ私に相応しい。そう考えると、親が決めた結婚相手も王道を彩るスパイスくらいにはなるかしら」


 言葉のキャッチボールをしていくうちにお互いが張っていた壁に少しずつ穴が開いていく。お互いちょっとずつ口が悪いのにイヤな感じはしない。責められているのが快感とかじゃなくて、思っていることをそのままぶつけられるのが気持ち良い。


 たぶんこんなやり取りができるのもあと少しだから感傷に浸っているんだ。大河さんと出会ったことで城ケ崎さんを別の角度から考えられたのも大きい。一人で悶々と悩み続けていたら、たぶんこんな風に心は軽くなっていなかった。


 階段を上りきったところで特快電車が勢いよく走り抜けていく。この二週間があっという間に過ぎていったみたいに、車両の姿は瞬く間に見えなくなった。


「ねえ、勇気」


「はい」


「命を助けた恩を仇で返したら怒るわよね?」


「え? まさか警察に僕を突き出す気じゃ……断固として無罪を主張しますよ! そっちが勝手に転がり込んできたんだから」


「そんなことしないわよ。ごめんなさい。当たり前のことを聞いちゃったわ。普通、恩を仇で返されたら怒るわよね」


「命を助けた責任を取れって言われたり、恩返しに家庭教師になるって言われたりめちゃくちゃですけど、感謝してる部分があるのは本当です。その恩返しが仇になる前に城ケ崎さんはちゃんと考えてくれたし、恩として受け取っておきますよ」


「そう」


 短い返事をしてから城ケ崎さんはすっかり黙り込んでしまった。ボーっと電車を待っていると時間を無駄にするなと怒られそうなので形だけ単語帳に目を落とす。

 毎日少しずつページだけは進んでいて折り返し地点に到達した。夏休みに入る前には一周はできそうだ。


 時間は確実に進んでいる。城ケ崎さんとの別れの時だ。

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