第18話 大家さん

「はぁ……すさまじかった」


 お肉コーナーに群がる主婦のみなさん。そこに入り込む余地はなく、最終的に城ケ崎さんが持ち前の体力で獲物をゲットしていた。


「とんかつの口になってたのに唐揚げよ。どうしてくれるの?」


「唐揚げだって美味しいじゃないですか。城ケ崎さんの唐揚げ、楽しみだな~」


「明日からの一週間に勝つためにとんかつだったのに」


「ゲン担ぎもするんですね」


「受験まで日があるうちはね。本番前にとんかつは控えた方がいいわ。消化にエネルギーを使って頭が回らなくなるわ」


「もうそんな先のことまで考えてるんですか」


「常に先を見据えて行動する。目先のことだけに捉われていては必ず失敗するわ」


 両手を広げて大仰に話す姿はまるで大統領の演説だ。ただの理想論ではなく実行に移して結果を出しているからこそ説得力がある。


 そしてなぜ城ケ崎さんの両手がフリーになっているかと言えば、お詫びということで僕が両手に食材がたっぷり詰め込まれたエコバックを持ってアパートに帰っている。本来なら帰り道の方が足取りは軽くなるはずなのにタイムセールの勢いに押されてすっかり意気消沈していた。


「体力がいかに大切かわかったでしょ? 受験が終わったあとこそ体力勝負なのよ」


「この身を以て実感しています」


 母さんもこんな風に重い荷物を持ってたんだな。共働きであまり一緒の過ごした思い出はないければど、少しは買い物に付き合って荷物持ちくらいしておけば良かったと後悔する。


 京東大に合格して実家に報告しに行ったら親孝行しよう。日曜日の夕方という時間帯が感傷的な気分にさせた。


「城ケ崎さんは実家に戻りたいとか思わないんですか?」


「全くないわね。帰っても誰も居ないし」


「そうですか。まあ、うちも似たようなものですけど」


「勇気は一人暮らしを始めて二か月くらいよね? ゴールデンウィークに帰省もしていなければホームシックになってもおかしくないわ」


「ホームシックというか、こうやって買い物の荷物を持ってるともう少しくらい親孝行しておけば良かったなって」


「今できる一番の親孝行は京東大に合格することじゃないかしら」


「ですよね。予備校の授業料にプラスして生活費まで出してもらってますし」


 ボロいアパートとは言え駅から遠くない立地で家賃は安くない。そこに光熱費や食費なんかも加われば結構な額だ。バイト漬けの生活なら賄えるけど、予備校と両立となれば不眠不休になる。


 勉強に集中できるように、そして浪人生の息子を実家から遠ざけるために用意された部屋は親の愛情とプライドが詰まっている。


「あら? もしかしてお隣さんかしら。この機会にご挨拶を」


「城ケ崎さん! ちょっと待って!」


 廊下の二階部分に立つ一人のおばあさん。城ケ崎さんの見立て通りお隣さんではある。ただ、その立場が非常に問題なんだ。おばあさんじゃなくてサラリーマンの方なら全然挨拶してくれていいのに、なんでよりにもよっておばあさんなんだ。


 軽やかに駆けていく彼女を追うにも両手のエコバッグが重くて走れない。やっぱり体力って大事なんだな。不測の事態も体力があれば強引に解決できる。


 できる限りスピードを出して古びた階段を上ると二人の会話が耳に入ってきた。


「勇気くんと将来結婚する城ケ崎美鶴です。ご挨拶に伺いたかったのですがタイミングが合わず遅くなってしまいました」


「あらあら。亀田くんの。若いっていいわね~」


 城ケ崎さんの説明に何の疑問も抱かずのほほんとした返事をしている。仮に本当に彼女だとして、隣に住む浪人生の彼女がわざわざ挨拶なんてしないだろう!

 細かいことを気にしないタイプだというのは第一印象でなんとなくわかっていたけど、特殊詐欺に引っ掛からないか不安になるおおらかさだ。


「違うんです大家さん。ここ何日かうちに泊まりに来てて。その……うるさくしてたらすみません」


「う、うるさくってなにする気よ! 変な声なんて出さないわよ」


 顔を真っ赤にして城ケ崎さんが慌てる。いつも自信たっぷりで自分の行動に間違いがないと言わんばかりな態度なのに珍しい。


「いや、夜中に二人でご飯を食べてる時とかうるさくないかなって。勉強も教えてもらってるし」


「あ……あぁ。そういう。誤解を招く表現はやめてちょうだい」


 一体何を言ってるんだ。むしろお隣さんへのご挨拶なんてうるさくしてすみませんとかそういう意味合いくらいしかないだろ。

 ましてやこの人は……。


「ちょっと親とケンカして何日か泊まってるんです。それくらいなら平気ですよね。大家さん」


「えぇ、えぇ、もちろん。同棲するのなら契約内容を変えてもらわないと困るけど。でも大丈夫? この部屋に二人で寝るのは狭いでしょ?」


「どうにかなってます。今はまだ朝晩は冷えるので。これが夏だったら大変でした」


「二人でくっついて寝てるのね。若い頃を思い出しちゃうわ」


「あはは……」


 城ケ崎さんが赤面した理由がわかった。僕らは断じてそういう関係ではないし、この一週間でセクシーな声が漏れたことは一度たりともない。

 恋人が泊まりに来てるのに一度もない方が不自然かもしれないけど、僕はまだ浪人の身。大学に合格するまでお預けという設定にしておけば貫き通せるかもしれない。


「あの、一応確認なんですけどもしこの部屋を二人で借りるってなったら僕の親にも連絡行きます?」


「えぇ、保証人であり保護者ですから。家賃も倍になるからね~。契約自体は全然構わないけど、狭くなぁい?」


「そこは全然大丈夫です。平日の昼間はお互いに出てますし、休みの日は距離感を詰められるし、むしろ嬉しいっていうか。ね?」


「え? えぇ、そうね。広いだけの部屋なんて掃除が大変なだけでメリットが少ないですから。最適なサイズの部屋を有効活用してこそみたいな面はあると思います」


「亀田くんの彼女はずいぶん頭の良さそうなことを言うのね~。将来は尻に敷かれるのかしら」


「すでに敷かれてますね。ははははは」


「ちょっと。どういう意味かしら? 私達は対等な関係になるのよ?」


 ギロリと睨まれて反射的に縮こまってしまった。こんな風に威嚇されるのはとても対等とは言えない。大家さんの言う通り、そして自分でも認めるレベルで尻に敷かれている。


「夫婦っていうのは亀田くん達みたいな方が長続きするのよ。男が偉そうな家庭はだいたい離婚してるわ」


「ですよね。プライドばっかり高くていつもマウントを取る男となんて結婚しない方がいいですよね!」


「マウント……? 山のことかい? たしかに山を相続すると大変だからね~。その辺も見極めた方がいいわ」


 例の御曹司は山を持っているのだろか。話を聞く限りだと山の一つや二つ所有していても驚きはない。なんならリゾート開発とかしていそうだ。一概に山の相続も悪い話ではないと思う。


 学歴や体力と同じで山だって持っていないより持ってる方が良い。よく知らないけどそんなイメージだ。


「素敵なアドバイスをありがとうございます。父にも聞かせてやりたいです」


「あらあら。城ケ崎さんのお父さんは亭主関白なのかい?」


「亭主関白というか、私が幼い頃に母は亡くなってまして、元から仕事人間だったのがますます仕事人間なった感じですね。教育や習い事にお金を惜しまないことには感謝していますけど、全然意志の疎通ができてないというか、私のためだと言って勝手にいろいろ決めてしまったりというか」


「そうかいそうかい。それは大変だね~。亀田くん、義理のお父さんとはうまくやるんだよ」


「あ……はい」


 適当に頷いてしまったけど話の本題はそこじゃない。母親は亡くなっている? 城ケ崎さんの家庭の事情について詳しく聞いていなかったので初耳の情報だ。ものすごいお金持ちなのに家事全般が得意なのも納得できる話であるけど、まさかこんな形で知るなんて思ってもみなかった。


「大変だったね。これからは優しい彼氏さんにいっぱい甘えるんだよ」


「はい! これから自分好みに教育していきますから」


「あっはっは。元気で良い彼女さんじゃないか。これからどんな男になるか楽しみだよ」


 にこにこと笑いながら大家さんは自分の部屋に入っていった。ひとまず城ケ崎さんは数日泊まるということで落ち着いたけど、何度も顔を合わせたら契約内容の変更を迫られる。

 そしてその時にはうちの親にも連絡が行くわけで……。


「っていうか城ケ崎さんのうち、いろいろ大変なんですね」


「小さい頃はいっぱい泣いたわ。でも、泣いたって何も変わらない。元気に生きてくれてたらそれが一番だけど、ママの死で私は強くなれた。料理の基礎は教えてもらったおかげでこうしてその腕前を活かせてるしね」


 父親への嫌悪感とは反対に母親に対しては愛情を感じている。短い言葉でもそれがハッキリと伝わるくらいに一音一音が優しい。


「それはそうと二人で借りるのも問題ないみたいね。勇気の逃げ道を塞ぐためにもこっそり大家さんに相談しようかしら」


「本当にやめてくださいお願いします!」


「ふふ、冗談よ。勇気に愛想を尽かされたら私、本当に死ぬしかなくなっちゃうもの」


 表情は笑っているのに、自殺未遂の前科があるだけに冗談とは思えなかった。父親が居るこの世界より、母親が居る世界に行きたい。

 もしそんな風に頭の片隅で考えているのだとしたら、強そうに見える彼女の弱い部分を垣間見てしまった。

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